酒場という人生交差点
「よく、このお店には来られるんですか?という会話からスタートで!
」
カウンターにお互いのことを知らない2人のお客さんが座られたときに、いつも僕が使う2人が会話をはじめるための合図だ。
この合図と同時に「あ、どうもはじめまして、えっと、このお店には〜
」という会話が始まる。いつもその光景はクラス替えがあった後に、初めて隣り合わせになったクラスメイトに挨拶するような感じ。合図と同時に大人な青春っぽい光景が広がっていく。
この2人のお客さんは、当然だがお互いのことを知らない。
たまたま見つけた酒場で、たまたま座った席の隣にいただけの関係性だ。
言うなれば「誰でもないただの人」が隣にいただけだ。
でも、不思議なもので、同じ店で同じ生ビールを飲んでいると、その人のことが気になり始めるようだ。
カウンター越しにその姿を見ると「あ、話しかけたいんだろうな、お互いに」ということが、お客さんの目配せによって手に取るようにわかる。
そして、最初の「よく、このお店には〜」になる。
しかし、だいたいこの会話がスタートするときは2人ともご新規ということが多いので。お互いに「はじめてです」となり、会話が途切れる。なにかお互い察して苦笑いを浮かべ、そして、「店長、わざとでしょう?」と言われて、僕は笑う。
それでも、人の縁というのは力強いもので、その会話から、いろいろな話に展開されていく。仕事の話になったり、恋人・家族の話、下ネタだったり、これからの野望についての話だったり。お店をやっている僕はお客さんの会話を、まるでラジオを聞いているかのように楽しんでいる。
数秒前までは、このお店のカウンターの一席に腰掛けることがなければ、お互いを知ることもなく、今、目の前で繰り広げられている楽しそうな会話は生まれなかった。
そして、その会話をしている2人はお互いの名前をだいたい知らずに会話をしている。名前も知らないのでその人の肩書きも知らない。手に入る情報は服装と顔立ち、飲み食いしているモノくらいだ。それ以外の情報はお互いに話さない限りは出てくることはない。
それでも「誰でもないただの人」と楽しげにお互い会話している。しかも、これまで親友だったかのような雰囲気で。
そんな光景を見るのが、僕は好きだったりしている。
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「誰でもない人」同士がすれ違う瞬間は多く存在していると思う。
例えば、渋谷のスクランブル交差点は多くの人が行き交う交差点は最たるものだろう。お互いの肩がすれ違ったり、ぶつかったりするだけの光景。互いの半径5m以内に複数の「誰でもない人」がすれ違っていくが、深い干渉はし合わない。そこに存在していることは認識しているが、実体としてではなく、まるで景色として見ているかのように。
一方、酒場で名前も知らないままの状態で肩を並べて、一緒にお酒を片手に乾杯をする光景もある。すれ違い方によっては、その人の人生が変わったりする。
そして、今日も誰かが「誰でもないただの人」と一緒にお酒を飲みたいと思っているのかなと思う。
だから、今日もこうして、僕はお店を開くのだ。