ハードルを上げすぎないこと。
昭和の押し付け教育が嫌すぎたけど、
令和で子育ていい感じに終わりかけの私。
子供を見てると、自分を同じ感じに育て直そう!って思う、ミドルシニアの考えを書くね。
小5の息子が「バトルラップ」にハマって
もう2カ月くらいかな。
はじめは特定のラッパーのバトルを繰り返し見て聞いてるだけだった。
そのうち真似しはじめるんだけど、早口だし
リズムに言葉乗せるのって、結構難しい。
私も一時やってみたから分かるけど、
情熱がないとできないよね。
てことを繰り返してたら、最近普通に歌える(っていうのかな)ようになってきて、車に乗ってどこかへ行く時なんかに、後ろの席でリズム流して、それに合わせてラップしてるわけです。
それ見てて、すごいなぁと思った。
少しずつハードルをクリアしていって
今では自分が好きなリズム(バックの音)を探して
それに合わせてラップしてるわけ。
やり方を誰に教わったわけでもないけど
そんな風に、繰り返し繰り返し聞いてやって
そのうち、原曲なしでやれるようになってきた。
そっか!
こんな風に練習すればいいのか😃
って、私が勉強になった。
息子は習い事ゼロで、好きなことして遊んでる日々。
私は子どもの頃、ピアノやバトンやら習字やら
色々習わせられたけど、どれもイマイチだった。
嫌いじゃなかったはずなのに、
家で練習するのが嫌すぎて
「月謝をドブに捨てるのと同じや!」
と母から怒鳴られまくってさらに嫌になって辞めたんだけど、辞めるのも一苦労。
母が子どもの頃に習いたくても習いに行けなかったピアノを、私にはやらせてあげたい!
娘の弾くピアノで歌うのがお母さんの夢なの〜
とかのたまい私の気持ち全無視で
どっかの音大卒の厳しい先生のところへ行かされ
家でも教室でも怒られまくって
本当に嫌だった。
そもそも私は、譜面が読めなくて
毎回座学で音符を読む練習をさせられたけど
時間計ってここまでやれ!
みたいなやり方で緊張するし
間違えたら怒られるし
もう、嫌いになる要素しかなかった。
音を楽しむなんてこと、できなかったわ。
ピアノだけじゃなくて、バトントワリングも習ってたんだけど、あれって技術なんだよね。
で、年に数回検定があるからその練習をさせられるんだけど、踊るのは好きでも
「形通りに何かをやらされる」ってことが苦手な私。
まぁ、毎回落ちてたよね。
で、検定受けるにもお金かかるわけ。
受けに行くにもお金かかるわけ。
私はそんなこと、全然やりたくもない。
なのに「お前は金を無駄にする」とか
「習えることに感謝しろ」とかってさー!
…おかしいよねぇ。
そんな子ども時代を送ってきたので
子どもがしたくもないことを習わせるのは反対で
「なんにもしたくない!遊んでいたい!」
というその通りに放牧してたら
ゲームとかラップとか、やりたいことは拾ってくるし、友達に教わったりyoutube見たりして
自分でやってるよね。
で、飛んだ話を元に戻すと
私だって、音楽もダンスも好きだった。
だけど、出される課題は好きじゃなかったし
できる気もしなかった。
いきなり富士山に登ろう!
とか言われても、家の裏の丘で遊ぶのが好きなだけだったのに、登山とか嫌!
みたいなことになっていて
もうちょい、楽しんでクリアできそうな
低いハードル設定からスタートしてくれてたら
それなりに続いたのかも?と思ったりもする。
でも、クラシックピアノもバトンも
音楽が好き、踊るのが好きって広い趣味の中では
めちゃくちゃ狭い世界だったよね。
大人になるとそれが分かるし
今なら自分の好きだけを選べるし
自分のやりたいようにやることだってできる。
子どもの頃、それを知っていれば
無駄に肯定感下げる必要もなかったし
お金も時間も精神力も、無駄にしなかったかもな
って思う。
だけど昭和の教育ってだいたいがそうでしょ。
なんなら今だって、学校の教育ってそうでしょ。
あるべきところを一斉に目指させる。
教え方の上手い人って
「ハードルの下げ方」が上手なんだと思う。
そして、自分に寄り添って優しくするって
そういうことなんだと思う。
「100点目指せ、最低80点な!」
って言われ続けてきた人生だったが
もう、そういうところから抜けようと思う。
結局、誰も何も指示してこない自由な状況で
「自分が心地よく楽しめるものを選ぶ力」
ってのが、生きる力だと思うわけ。
好きなことをしたいなら、その前に
嫌いなものを捨てる作業が大事だなって
感じてるところです。
子どもから学ぶことは、多い。
今度は自分を育て直すよ🌷