誰かいるかなと叫んでみたら、まんまるな目をした君がいたから。
いつもなんとなく書いているから、
かけないときは本当にかけないのです。
書き納めなどできず、
書きはじめと言うものには3つも書く。
こうやって気分で、ふらふら書いているだけです。
しかし私は、
やはり自身をすり減らしながら書いた、
まさに赤黒く、てらてらと光る傷口みたいな、
あるいは濃化してぐちゃぐちゃな傷口みたいな文章が好きです。
このnoteアカウントの初期に書いたようなのがまさにそれです。
書いているときは苦しくて、
しかし手は止まらない。
刻まれてきた、刻みつけてきた傷口に、
ぐりぐりと指を突っ込んで、打つ。
書き上がった文章はどうしようもないものです。
だけどこうやって
インターネットの海に放り込むのは
あなたに届いてほしいから。
救いは待っていても来ない。
自分を本当に救えるのは自分しかいなくて、
それでも救いを求めるのなら、
手を伸ばして、叫び続けなきゃいけないんです。
人々の行き交う交差点の真ん中で、
ただ一人の誰かを待って叫んでみるんです。
まんまるな目をしてこちらをみている、
たった一人のあなたに出会うために。
私はインターネットの人々に救われようなんて
思っていないし、
インターネットの人々を救おうなんて
思っていませんが、
(自分は自分でしか救えないと思っているので)
私の言葉で誰かが「救われた。」と
言ってくれたのなら、
嬉しくて泣いてしまうだろうな。
私は、奈落から叫び続けていますよ。