Tomopiiaナースのひとりごと ~寄り添うということ その2~
前回、『寄り添う』をテーマに愛犬『テツ』のお話をしました。(前回の記事はこちら)今回はある患者さんとのお話です。
その患者Sさんと出会ったのは、病院の前のイチョウ並木が色づく季節でした。Sさんは、受診をされた時には進行性の胃がんで、既にあちこちに転移しているという状況でした。末期の状態で、このまま何もしなければ余命1か月程と告知され、医師が延命のために抗がん剤の投与を勧めましたが、Sさんは全ての治療を拒否しました。
Sさんは60代前半で、穏やかでありながらもどこか芯の強い、そして瞳の奥に厳しさをもっているといった印象の方でした。もうSさんに時間が無いと知った私は、会っておきたい方がいるのではないか、状態の落ち着いているときに外泊をしたらどうかとご本人に話をしました。するとSさんは『僕はね、若いころバブルの真っただ中で会社を経営していたんだよ。その頃は毎晩遊び歩いて、周りにはたくさんの人たちがいたよ。何人女を泣かせたかなぁ(笑)でも、保証人になっちゃったりバブルが崩壊したりしてさ、自己破産して一文無しになったら誰もいなくなっちゃったよ。今は生活保護を受けて、人様の税金で食べさせてもらっている身で。だから誰も会いたい人なんかいないし、僕が死んでも誰も悲しまないし、いなくなったことも誰も気づかないんだよ』と微笑みました。気が付くと私はそばで号泣していました。(看護師なのに・・・)
その様子を見てSさんは『なんで看護師さんが泣くんだよ、僕が平気だって言ってるのに・・でもありがとう。女に泣かれるなんて何年ぶりだろう』と私の頭をコツンとつつきました。
それからも、仕事の調整がつくとSさんのベッドサイドに行きました。Sさんは起きているときは、たいてい古本屋で買った本を静かに読んでいました。ある時、Sさんの老眼鏡が壊れている事に気付きました。『下の売店で簡単な老眼鏡が売ってるから買ってくる』という私に『もう、あと何日も生きない僕に新しいものを買う必要はないよ。でも、そう言ったらもう死ぬだけなのになんで本なんか読んでるんだろうね』と言われました。そこで、またまたダメダメ看護師の私はウルウルしてしまいます。
その後も『また来たの?』と言われながら、勤務の日は毎日Sさんのベッドサイドに通いました。それは、誰にも看取られず亡くなってしまうことに対しての私のひそかな抵抗でした。Sさんの人生の最後に同じ空気を吸い、同じ時間を過ごした人間がいること、そこに確かにSさんがいたということを感じたかったのかもしれません。ただ黙って、そばにいる。時々、言葉を交わしながら・・・。それが、その時の私にできる『寄り添う』形だったのかもしれません。
数日後、出勤すると朝方にSさんは亡くなられたと聞きました。霊安室には穏やかに眠っているようなSさんが安置されていました。
泣きじゃくる私に『また泣いてるのかー。ダメな看護師だなー』というSさんの声が聞こえた気がしました。