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がんというライフイベントが家族を強くした

がんと診断された人にとって家族のサポートは心強いもの。がんと仕事の両立支援を行う、一般社団法人「がんと働く応援団」の代表理事の吉田ゆりさんは、「家族の存在が治療法を決める軸になった」と話します。しかしその一方、「家族だからこそ伝えられない想いがあった」と本音をポロリ。そんなありがたくも難しい家族とのコミュニケーションについて、吉田さんにお話を伺いました。

目の前の家族との生活が
治療法を決めるうえでの軸に

吉田ゆりさんががんと診断されたのは36歳のとき。キャリアカウンセラーとして独立し、まさに「これから」というタイミングでした。お子さんの頭がぶつかったときにお腹に激痛が走り、病院に駆け込んだところ、卵巣がんの可能性が高いことを告げられたそうです。
「医師からはその場で様々な治療法を矢継ぎ早に説明されました。何も分からない状態なのにシビアな選択を短時間でしなきゃいけないのはすごく不安で。後から聞いたところによると、病院としても手術室の確保や各所への連絡、入院の準備などがある手前、スピーディーに進めなくてはいけない事情があることを知りましたが、そのときの私の思いとしては“そんなに一気に決められない!”でした」

突然の状況にパニックになりかけた吉田さんですが、隣を見ると呆然とするご主人の姿が。ご自身までパニックになってはまずいと吉田さんは深呼吸し、意識的に左脳モードに切り替えたといいます。このとき大きな意味をもったのが「家族」の存在でした。

「最初は、仕事はどうしようとか、お金はかかるのかなとか、いろいろと考えてしまうんです。でもあれこれ気にしていると決まるものも決まりませんから、私の場合は、家族にとって1番いい選択をしようと決めました。軸が定まると自ずと取捨選択がしやすくなるもの。先生に質問しながら、手術の方法や抗がん剤の有無、入院の日程などをその場で決めました」

そのまま入院となった吉田さん。日中は手続きなどやることが多くバタバタと時間が過ぎていきましたが、ご飯を食べ終わり18時をまわった頃、あたりが静かになるにつれて、どんどん不安が大きくなったといいます。「卵巣がん」とスマホで検索しても、適切な治療とその後の生活についての情報は見つからず。「不安になると分かっていても調べる手は止まらなかった」と当日の夜を振り返ります。

頭の中には、大きな不安ともうひとつ、悩みもありました。それは自身の母親と父親、妹というもうひとつの“家族”に、傷つけず、ショックを与えず、がんという事実を伝えるにはどうすればいいのか。
「調子が悪いときほど自分を肯定的にとらえるのが難しく、余計な心配をかけちゃいけないって思いが強く働いてしまうんです。我が家は妹が看護師だったので、彼女が状況をパッと理解して、“正しい情報を知りたい”という私に病気のガイドブックを届けてくれましたが、より伝え方を悩んだのが、父親と母親。私に寄せられる相談でも非常に多いケースなのですが、“そんな体に生んでしまって、ごめんね”と謝られるご両親がすごく多いんです。我が家の場合も母に謝られたのですが、心の準備をしていたことが功を奏し、“そんなことはない!けれどこれから助けてほしいことがあるから!”と伝えることができました」

家族を大切に思うからこそ
伝えづらい言葉があった

2児の母親である吉田さん。当時は長男が1歳で待機児童だったこともあり、ただでさえ家族の日常は大忙しでした。そこへきての吉田さんの入院。大変だったであろうことは想像に難くありません。「主人が会社を休み、実家から父親がヘルプに来てくれてなんとか生活を維持してくれました」と入院中のドタバタした生活について吉田さんは振り返ります。しかしなんとかなるのは吉田さんが入院していた一時期だけ。その後、主治医から抗がん剤治療をすすめられたものの、長男の預け先がないことから、吉田さんは抗がん剤治療をあきらめました。

「主人もこれ以上会社を休めませんし、これは物理的に無理だなと。自分ががんになって分かったことなのですが、日本の場合、“家庭でなんとかしてください”という文化が強く、行政のサポートがあまり機能していないんです。ここは改善していかなくてはいけない点だと思っています」

入院中のサポートはもちろん、大きな心の支えになったことで「家族には感謝しかない」と吉田さん。しかしその一方、家族だからこそ遠慮して飲み込んだ言葉もあったといいます。それは内臓痛と言われる手術後の痛みや辛さ、疲れ。退院してから数か月は、いろいろな痛みが混ざったような独特の痛みに苦しんだものの、家族には言いづらかったと話します。
「診断されてすぐはアドレナリンが出るせいか勢いでバーッと頑張れるのですが、数か月も続くと、家族も頑張り続けていたので、だんだん疲弊してくるんですよね。そんななかで“つらい”“痛い”とはなかなか言えませんでした。どんどん押しつぶされそうになって、あの頃は“自分は役に立たないダメな母親だ”みたいなネガティブな感情でいっぱいで、もう地獄でしたね。」

対話は心の栄養
たくさんのチャネルを持っておくべき

0125吉田さんその後の活動

術後の痛みが和らぐなか、長男の保育園が決まったことをきっかけに、先のことを考える余裕ができ、少しずつ心が上を向いていったという吉田さん。「キャリアカウンセラー」の経験と、がん罹患者としての経験を掛け合わせた活動をはじめようと、がん相談員の勉強を開始し、同時に地域にがんの患者会を立ち上げます。
「振り返ったときに、もっと積極的に当事者同士で話をしておけばよかったと思ったんです。同じ経験をした人たちであれば、あの辛さも伝えられたと思いますし、乗り越え方も教えてもらえたかもしれないと。だからこそ患者会が必要だと感じました」

また吉田さんは抗がん剤治療を受けなかったことを後悔していたが、セカンドオピニオンで話した医師から「ベストな治療法を選んだね。先のことを考えて大丈夫」と言われたことも大きな自信になったそう。対話に悩み、そして救われた経験から、相談先のチャネルは多ければ多いほどいいと考えるようになったといいます。
「がんになるとわかるのですが、話し相手の使い分けってとっても大事。うまく使い分けることで次のステップに進みやすいんです。Tomopiiaのサービスもそうですよね。私もテストユーザーとして利用させていただきましたが、巡回している看護師さんと話しているような雰囲気でとても心強かったです。退院後は後遺症や副作用に関することなど、どこまで主治医や会社に言っていいのか分からないと悩む人が多いので、医療の相談ができて、かつ話し相手になってくれるサービスってすごく貴重だと思います」

吉田さんは、がんというライフイベントを経て、夫への感謝や信頼度がグッと上がり、「家族が強くなった」と笑顔で話します。
「当時3歳だった長女にもごまかさずに“がん”とはっきり伝えました。最初は“死んじゃうの!?”と言われましたが、何度も説明したことで、今は正しく対処すれば、「がん=死」にはならないケースもあるんだと理解してくれています」

家族に伝えることの難しさを知っているからこそ、吉田さんは相談者に、「伝えないと変わらないけれど、伝えることで変わることもある」と話すそうです。

「患者さんのなかには“迷惑をかけたくないから、伝えたくない”という人がとても多いんです。でも伝えるメリットとデメリットを書き出してもらうと、“伝えよう”と前向きになる人がほとんどです。もし家族に伝えられなかったり、伝え方が分からないのであれば、“伝えられない”という気持ちを、私の団体やTomopiiaなどをうまく活用して相談してほしいと思います。相談するための相談でかまいません。1人で抱え込んで辛い時間を過ごす必要はありません。対話は心の栄養ですから、まずは勇気をもって気持を聞かせて欲しい!」。

プロフィール

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国家検定キャリアコンサルティング技能士2級
国家資格第一種衛生管理者・両立支援コーディネーター
メンタルヘルスマネジメント2種

略歴:
81年生まれ、東京都出身。千葉大学文学部行動科学科卒業。
留学先のカナダでキャリアカウンセリングと出会う。企業と人がWinWinになれる環境を作りたいと大学卒業後、複数社で人事として採用育成に携わる。育児と仕事の両立の壁に直面しキャリアコンサルタントとして独立。2018年秋(37歳)に卵巣がんが発覚し手術。現在はホルモン治療中。現在は、各種専門家と共にがんを正しく知り、備え、いざなっても対応できる組織・人を増やす為に一般社団法人がんと働く応援団で活動中。既婚、2児の母

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