小説「臀部注射」第3章 カーテンの向こう
中学2年の冬の体験の後、私が内心密かに「白い館」と呼んでいたその医院に行く機会は何年も訪れなかった。私は心のどこかで、あの冬と同じ体験、つまり隣同士のベッドに私と女性患者がうつ伏せになり、並んで一緒にお尻に注射されるという出来事を期待していたが、発熱を伴うほどの風邪をひくことなく過ごしていた。
次にその医院を訪れたのは、あの体験からちょうど3年後、高校2年の冬のことだった。
私が入った高校は一応進学校とされている所だった。吉村厚子とは別々の高校に進んだので、中学卒業以来、彼女とはまったく顔を合わせることがなくなった。ただし、中学2年の時にあの医院の処置室で見た彼女の注射シーンは依然として鮮明な記憶として残っていた。
私は高校でもバスケットボール部に入ったが、結局、それも1年で止めてしまった。大学の受験勉強と両立が難しくなったというのが言い訳の一つ。もう一つは、中学時代ほど競技に情熱を感じなくなったことだ。バスケットの強豪校ではないその高校は県大会の準決勝まで進出するのも難しく、2回戦か3回戦で敗退するのが常だった。
部活をやめた私は授業が終わると真っ直ぐ家に帰り、参考書を開く生活を続けていた。
ある日の高校での昼休み、教室で弁当を食べ終えた私は机に置いた両手の上に頭の乗せ、うとうとしていた。その時、後の方からクラスの女子たちが話すひそひそ声が聞こえた。
「ヨウコ、おととい、ペニシリン打たれたんだって」
その一言で、まどろみかけていた私の意識は急に現実に引き戻された。ヨウコとは、同級生の柏原洋子のことに違いない。2日前、彼女は授業中に体調が悪くなり、3時間目が始まる前に高校を早退していた。女子たちが話しているのは、その後のことだと思われた。
ペニシリン・・・。私が小学生の頃まで、近所の内科医院で耳にするその薬剤名の響きは常に恐怖を呼び起こした。その医院では通院の度に必ずといっていいほど注射されたが、どんな薬を注射するのかいちいち説明された訳ではない。ただし、ペニシリンだけは例外だった。
「今日は、ペニシリンのお注射ですね。」
その医院で、看護婦が言うそんな言葉を何度か耳にした。それだけペニシリンを注射される機会が多かったということだろう。
その薬剤名と分かちがたく結びついている記憶。それは視覚、聴覚、嗅覚、触覚、それぞれの明確な記憶だ。看護婦が手に持ったガラス瓶を振って中の白い薬液を混ぜている光景。その薬液を充たした注射器を手に近づいて来て私に言う言葉。
「ちょっと痛い注射だけど、我慢しようね。じゃ、お尻を出してうつぶせになって」
お尻を消毒される時、あたりに漂うアルコールの匂い。そして、お尻にブスリと打たれた注射の激しい痛み。
我慢しようとしても口から泣き声が洩れ、目から涙が流れ出す。それは、お尻に打たれる注射の中でも特別に痛い注射だった。
女子たちの小声は続いた。
「ペニシリンって何?」
「え、ペニシリン知らないの?注射よ、ペニシリン注射。打たれたことない?」
「私は、夏風邪引いて熱が高い時に打たれたよ」
教室の後方の席でおしゃべりしている女子たちは3~4人いるらしかったが、その中に柏原洋子本人はいないようだ。話の中心になっているのは、ややハスキーな声からしてたぶん樋口恵だ。樋口は、一体どんな情報網を学校内に張り巡らしているのか、まるで生徒たちの秘密を全て把握しているかのような早耳だった。
あれはいつの事だったか、周りに人がいない時に樋口はもったいぶって声をひそめ、同じクラスで野球部の義弘と水泳部の有香がみんなには内緒でこっそり付き合っていると私に言った。そんな話は聞いたことがなかったし二人の間に変わった気配も感じなかったので、その時はまさかと思った。しかしそれから1か月くらい後でそれが本当のことだと分かり、私は驚愕した。
女子たちのおしゃべりを聞きながら、私は振り返りたくなる気持ちを抑え眠ったふりを続けた。男子に話が聞こえていることが分かったら、彼女たちはしゃべるのを止めるだろう。眠ったふりをしながらも、私は女子たちが話す一言一言に意識を集中していた。
「ヨウコ、うちに帰っても良くならなくて、病院に行ったのかな」
「ううん、おとといはあんまり具合が悪いからお母さんが車で学校に迎えに来て、そのまま病院に行ったんだって。熱も高かったみたいだよ。診察したお医者さんが、『ペニシリン注射します』って言ったんだって」
「ヨウコ、どこに注射されたの?」
「それがね・・・、お、し、り、に、ぶっすり!」
「えー、お尻出したの、はずかしーい」
「ペニシリンってお尻に注射するでしょ」
「え、そうなの?」
「そうだよ。必ずお尻だよね」
「お尻に注射するから、ペニ・しり・ンって言うのかな」
「まさかぁ、ふふふ」
柏原洋子は、文系の科目が得意で成績が良く、クラブ活動では吹奏楽部に所属していた。高校の文化祭で吹奏楽部が演奏する時に、フルートを吹く柏原を目にしたが、その様子は中々サマになっていた。どちらかと言えばスレンダーな体型で、すらりと背が高い。清楚な感じの顔立ちだった。
そのペニシリン注射が効いて熱が下がったのか、今日になって彼女は登校してきていた。
女子たちは声をひそめているつもりらしいが、その声に集中している私の耳はすべての言葉を聞き取っていた。
「ペニシリン注射って、痛いんじゃない?」
「痛いねー、ペニシリン」
「すごく痛いよ!私なんか中学生の時だったけど、お尻にペニシリン注射されて我慢できなくて泣いちゃったもん」
「ヨウコも泣いたのかな?」
「あ、ヨウコ、言ってたよ。お尻にブスッと針が刺さって、それから薬が入ってきた時、すごく痛くて、声を出さないように必死で我慢したら、声は出なかったけど、その代わり目から涙がポロポロ出ちゃったんだって」
「ヨウコ、泣いたの?高校生なのに、お尻に注射されて泣いたんだ。小学生みたい」
「高校生でも、痛い注射だったら泣くでしょ」
「私見たことある、病院で。お尻に注射されて泣いてた大人の女の人」
「それでさ、ヨウコ、注射の後で看護婦さんに涙を流してるの見つかって、慰められたんだって」
「え、何て慰められたの?」
「この注射痛かったでしょう。我慢出来てえらかったですね。お尻を動かさないでいてくれたから、注射しやすかったですよ、だって・・・」
「いやだぁ、そんなこと言われたら、逆に恥ずかしいじゃない」
「やっぱりペニシリンの注射って、そんなに痛いんだね」
午後の授業が始まる前、教室の前の方にある席に戻ってきた柏原洋子の姿を、私の目は追っていた。どうしても、視線は彼女の下半身に向かう。スカートに包まれた下半身はスリムだったが、後ろから見ると尻の二つの山がスカートの生地に浮き出している。
高校からまっすぐ病院に行ったのなら、柏原は制服のスカート姿のままで診療を受けたことになる。注射される時は、スカートをめくり上げたのだろうか、それともスカートと下着を下げてお尻を出したのだろうか。いずれにしても柏原洋子は病院のベッドにうつ伏せになり、下着を下げて白いお尻をさらけ出し、そのお尻に痛い注射を打たれて目から涙を流したのだ。
5時間目の古文の時間、教師が話す係り結びの法則も頭に入らず、私はそのことばかり考えていた。
そんな出来事があってから数日しか経たない頃、私も柏原洋子と似た体験をすることになった。
その日、私は高校で授業を受けながら自分の体の異常を感じていた。喉は前日から変な感じがしていたが、授業を受けている間にはっきりとした痛みになった。それだけでなく悪寒もした。
「熱がある。結構高い熱だ」
そう思った私は、休み時間に高校の保健室に行き体温を測らせてもらった。38度8分。3年振りに医療機関で受診するに値する病状だった。私はその日も念のため健康保険証を持ってきていた。授業はまだ一つ残っていたが、私は迷わず高校を早退し、学生服姿のまま、あの医院に向かった。
高校は自宅から見て中学校とはほぼ反対の方向にあり、私は自転車で通学していた。通学距離は自転車で約20分だ。中学校に近い「白い館」は高校から自宅へ向かう途中にはなく、私は自転車で大きく遠回りしてその医院へ向かった。寒い街の中を30分も走る間、悪寒はますますひどくなってきたが、これから起こることへの期待が私を捉えていた。心のどこかでずっとこの機会を私は待っていたのだ。
植木に囲まれた白い外壁の医院の姿は、私の記憶にある通りだった。中学生だった自分の体験がよみがえり、甘酸っぱい感情が沸き起こる。しかし、受付を済ませて待合室に入ると、そこには思いのほか人が少なかった。私は風邪の患者が大勢いる光景を想像していたが、待合室にいるのは5~6人に過ぎず、それも高齢の患者が多い。それより下の年代で女性と言えば太ったおばさんが一人と、小学校低学年くらい女の子と母親だけだ。
その女の子と母親二人は、私が待合室の長イスに腰を下ろした時、看護婦に呼ばれて中待合室に入っていった。
私は自分の中でふくらんでいた期待が何の根拠も持っていないことを思い知らされた。前回は、確かにこの医院で同級生の女子と並んでお尻に注射された。でもそれは、いくつかの偶然がたまたま重なったに過ぎない。そんな偶然が自分にまた起こるなんて、考える方がおかしいのだ。
それからしばらく、新たな患者はその医院に入って来なかった。そのうち、小学校低学年の女の子と母親が診療を終えたらしく待合室に戻ってきた。二人は私の右側の席に座った。何とはなしに女の子の様子待を見ていると、その子の幼い顔に急に変化が現れた。長イスに座った時は無表情だったのに、突然に泣き顔になり目から数滴の涙がこぼれた。30代と思われる母親はそれに気いてハンカチでその涙を拭き、それから娘の肩を抱いた。
私の心の中に小さな動揺が起こった。
この子は注射されたんだ。きっと痛い注射を打たれたんだ。
私は遠い記憶を遡った。それは自分がこの少女と同じ歳くらいの時、自宅近くの医院で見た光景だ。処置室で自分の注射の順番を待っている時、開いたカーテンの陰から姿を現した泣き顔の女の子とその母親。その子は小学校の同級生だ。一緒にカーテンから出てきた看護婦が持つトレイには、2本の空の注射器。同級生の女の子は小さなお尻の左右にその2本の注射を打たれたのだ。
今、自分の隣で母親に肩を抱かれ涙をこぼしている少女もきっとお尻に痛い注射をうたれたのだ。私はさしたる根拠もなくそう思った。
その時だった。一人の患者が待合室のドアを開けた。黒いスーツ姿の大人の女性だ。ドアから入って来た女性が受付カウンターの前に立ち、手続きをしている姿を見た時、私の鼓動は速まった。
受付の職員と話している女性はこちらに後ろ姿を見せている。スーツのジャケットは背中を腰の位置まで覆っているだけで、ジャケットの下に黒いパンツスーツをまとった下半身が見えていた。 そのお尻の形が私の目を引いた。体にぴったりフィットしたスーツの黒い生地は尻の部分で滑らかに丸く膨らみ、その下部では尻と太腿との境となるラインがくっきりと弧を描いている。視覚が伝える情報だけで、その肉体の柔らかさが想像できた。
受付から振り返ったその女性は綺麗にメイクアップしていた。年齢は30歳前後だろうか。スーツの下には白いブラウスを着ている。髪を肩の長さに切りそろえている。切れ長の目が涼しげで、ピンクのルージュをした凜とした顔は大人の雰囲気を漂わせていた。ただ、その表情は少し苦しそうだ。風邪だろうか。そのスーツ姿は仕事の制服に見える。ということは、仕事中に具合が悪くなって職場からこの医院に来たと考えられる。
この医院がある場所は静かな住宅街だが、歩いて4、5分も行くと大きな通りがあり、そこにはデパートやショッピングビルもある。どこかのショップの店員ではないだろうか。女性の姿には事務系というより接客系の雰囲気がある。
黒いスーツ姿の女性は、待合室に4列に置かれた長イスの私の前列に座り、小さく咳き込んだ。長イスは前回来院した時と同じもので、背もたれがない。私は自分の右斜め前にあるその女性のお尻から目を離せなかった。若さから成熟に向かう肉体を包む黒いパンツスーツは、大きく柔らかそうな2つの球形を作っている。私の中で一度しぼみかけた妄想が再び大きくなっていった。
あの日、中学の同級生、吉村厚子も同じようにこの長イスに座っていた。その後、彼女は処置室のベッドで紺色のズボンと下着を下げた姿でうつ伏せに横たわり、医師によってお尻に注射を打たれた。それは自分がこの目で見た紛れもない事実だ。どうしてもその時の吉村厚子の姿と目の前のスーツ姿の女性を重ねてしまう。
その時は、私も吉村厚子も風邪をひいてこの医院で診察を受け、治療としてお尻に2本注射された。この医院では風邪の患者がお尻に注射されることは普通にあることなんだ。それに、今隣にいる小学生の女の子も注射されたに違いない。医師があの時と同じなら、その治療方針は維持されていると考えていい。そして、スーツの女性も風邪のように思える。
脳裏に一つのイメージが浮かぶ。それは、目の前の女性が黒いパンツスーツとショーツを下げ、白いお尻を丸出しにしてベッドにうつ伏せになった姿だ。そして、その丸く柔らかいお尻に注射針がブスリと突き刺され、注射器の中の液体が注入される。
そう想像するだけで、私の下半身の一部分は反応し膨らみ始めていた。
私はその時になって一つの事実に思い当たった。私が来院してから、この女性が来るまで患者は誰も来院していない。ということは、来院した時刻がいくら離れていても受付の順番は私のすぐ次がこの女性だ。つまり、私が診察を受けた次にこの女性が診察を受け、私の治療の次にこの女性が治療を受ける。ということは、あの日と同じように私とこの女性が隣同士のベッドに並んでうつ伏せになり、一緒にお尻に注射されるという事がありうるのだ。
その考えに私の興奮は高まった。ズボンの前の膨らみは外からもはっきり分かるくらいになっていた。私は、できるだけ何気ない振りを装って股間を隠すように手を置いた。それから、誰か私の体の変化に気づいていないかあたりを見回した。
その時だった。一人の看護婦が待合室に来て言った。
「神谷君彦さん、神谷さん、中待合室にお入りください」
こんな時に呼ばれるなんて。最悪のタイミングだ。ズボンの前を膨らませて診察を受ける訳にいかない。
そう考えているうちに、看護婦は続けて言った。
「イシバシさん、イシバシ、ユリさん、中待合室にお入りください」」
その声に、斜め前に座っているスーツ姿の女性が立ち上がった。
私は思った。この人、石橋ユリっていうんだ。「ユリ」ってどんな字を書くんだろう。しかし、そんなことを考えている暇はなかった。看護婦が聞こえなかったと思ったのか、もう一度私の名前を呼んだ。
「神谷さん、神谷君彦さん、中待合室にお入りください」
「あ、はい」
私はぎこちない返事をし、ズボンの前を隠すようにカバンを持って中待合室に進んだ。
中待合室には、2つの長イスが繋げて置かれている。私がその部屋に入った時、長イスには中年の太ったおばさんとスーツ姿の女性が座っていた。私は二人の間の位置に座った。この後に診察室に呼ばれるのは中年のおばさんだろう。その後は私。そしてその後はスーツ姿の女性だ。そこまでは間違いない。否応なく私の期待は高まる。私もこの女性も診察が終わった後で処置室に呼ばれ、また、あの日のように二人とも注射を打たれるのだろうか。
私は横目でそうっと女性の横顔をうかがった。
女性は整った顔を真っ直ぐ前に向けている。綺麗だ。私は改めて大人の女性の涼しげな美貌に惹かれた。視線を少し下に向けると、黒いパンツをまとった下半身が目に入る。ふっくらと丸いお尻、そこから前方に伸びる一対の太腿は黒い生地をボリューム豊かに膨らませている。
その女性が私の視線に気づいたのか、ふいにこちらを見た。私は慌てて視線を真正面に戻し、そしらぬ顔をした。
その時、診察室のドアが開き看護婦が患者の名前を呼んだ。呼ばれたのは、思ったとおり中年のおばさんだった。
しばらくして、診察が終わったおばさんが診察室から出てくる。今度は、看護婦が私の名を呼んだ。
「神谷さん、神谷君彦さん、診察室にどうぞ」
診察室の中にいたのは、前回来院した時と同じ医師だった。顔をはっきり記憶していた訳ではないが、間違いない。吉村厚子のお尻にその手で2本の注射を打った医師だ。診察の後、医師が口にした言葉も前と同じだった。
「風邪ですね。今日は注射をします。隣の処置室に入ってください」
注射という処置の宣告は子どもの頃なら何より聞きたくない言葉だった。しかし、今はこの言葉を待っていた。一度は現実性のない妄想と考えていた事が、いつの間にか可能性のある予想に変わろうとしていた。
私が診察室を出て、看護婦に促されて処置室に向かうと、入れ替わりにスーツの女性が診察室に呼び込まれた。
「石橋さん、石橋ユリさん、診察室にどうぞ」
その言葉を聞きながら、私は思った。
この女性も医師から注射を告げられれば、それも静脈注射などではなくお尻への注射であれば、そうすれば私の妄想は現実になる。
他人がお尻に注射されることを願うなんて、不道徳なことに違いない。それを分かっていても私は思いを止められなかった。
私は処置室に入った。先ほどの中年女性が丸椅子に座り、長い脚の付いた台に腕を乗せていた。上腕部がゴムで縛られ、静脈には太い注射器の先端の針が刺さっている。
部屋の様子は前回とほぼ同じだった。ただし、記憶とは違うところが1つあった。前回お尻に注射されたベッドがある周りを囲んでいるカーテンだ。記憶にあるカーテンは確か白い色だった。何回も脳裏に浮かべた光景だから間違いない。しかし、今その位置にあるのは、薄いグリーンのカーテンだった。古くなったカーテンを新しいものに取り替えたのだろうか。ただの色の違いなのに、私は何か引っかかるものを感じた。
処置室の長イスには私以外誰も座っていない。私はじりじりする気持ちでスーツの女性を待った。早く来ないと私一人で注射されることになる。女性を待つ時間は長く感じられた。もしかして、あの女の人は注射の処置を受けないのだろうか。そもそも女性が風邪だというのは、私がそう思い込んでいるだけかもしれない。
私が期待を失いかけていた時、一人の看護婦がカーテンを開きながら私の名前を呼んだ。
「神谷さん、神谷君彦さん、お注射です。こちらへどうぞ」
スーツの女性がまだ処置室に来ないうちに自分が呼ばれたことに、私は後ろ髪を引かれる思いだった。しかし、カーテンの中に入ると別のショックが私を襲った。
そこには、前と同じように2つのベッドが並んでいる。ただし、3年前との大きな違いが1つあった。天井の2つのベッドの間の部分にカーテンレールが取り付けられ、互いのベッドを隠すようにカーテンが引かれている。そのカーテンも薄いグリーンだった。
さっきの違和感の正体はこれだったのか。これでは、たとえ隣のベッドであの女性が注射されることになっても、その姿を見ることはできない。期待が膨らんでいただけに失望は大きかった。
看護婦は2つのベッドの片方に私を導き、ベッド脇のテーブルに金属製のトレイを置いた。その中には透明な液体を充たされた2本の注射器がある。私は、その注射器を見て少したじろいだ。2本の注射器とも太い。そしてたっぷりとした注射液で充たされている。その注射は私のお尻に打たれるのだ。
その看護婦には見覚えがなかった。少なくとも、前に私に注射した看護婦ではない。まだ20歳そこそこと思える若さで、私とはあまり歳が離れていない。背がすらりと高くてスタイルが良く、可愛らしい顔には愛嬌があった。
「神谷さん、今日はお注射2本ですね。お尻にしますから、ズボンを下げてうつ伏せになってください」
看護婦の声はどこか楽しそうだった。私はスーツの女性の注射シーンが見られないと判った失望の中で学生服のズボンのバックルを外しファスナーを下ろすと、なげやりにズボンを太腿のあたりまで下げてベッドにうつ伏せになった。
「じゃあ、お尻を出しますよ」
看護婦はブリーフを太腿の上部まで引き下げ、私のお尻を丸出しにした。それから思いがけない言葉を口にした。
「お尻の右、左、どっちらから注射しましょうか」
私は思わず聞き返した。
「え」
この若い看護婦にからかわれているのだろうか。私は答えた。
「どちらでもいいです」
「じゃ、最初のお注射は右にしますね。消毒します。ちょっと冷たいですよー」
私は尻の右側の上の方にひんやりしたアルコール綿の感触があった。その時だった。カーテンの外で別の看護婦の声がした。
「石橋さん、石橋ユリさん。筋肉注射をしますから、ベッドの方にお願いします」
あのスーツの女性だ。いつの間に処置室に来たのだろう。ベッドに呼ばれたということはお尻に注射されるんだ。
うつ伏せになった私の鼓動が速まる。たとえその姿を直接目にすることはできなくても、隣のベッドであの綺麗な女性がお尻に注射されるのだ。再度、私の脳裏に成熟した女性の丸出しになったお尻のイメージが浮かぶ。
その時、私は声を上げた。
「いてっ」
私のお尻の右側に注射針が突き刺さっていた。
「痛かったですか。ごめんなさい。じゃ、お薬を入れますよ」
看護婦の声が聞こえた。その瞬間、鋭い痛みが尻を襲った。
「うっ、…うっ、う、う、う…」
声を出すまいとしたが、私の口からうなり声がもれた。
私は痛みを我慢しながらもカーテンの向こう側の様子に聞き耳を立てていた。その耳は意外な声を聞いた。男の声だった。
「石橋さん、お尻に2本注射します。ズボンを下げてベッドに横になってください」
あの医師だ。吉村厚子の時と同じように、看護婦ではなくあの医師が注射を打つんだ。私はその事実に驚いていた。
考えてみれば吉村厚子にもこの医師が注射したのだから、スーツの女性に医師が注射することは十分考えられることだった。しかし、なぜか私は無意識にその可能性を頭から消していた。
今、きっと医師は注射器を手に持ち、あの女性が黒いスーツのパンツを下げる様子を見ているのだ。私は、あらん限りの注意力をカーテンの向こうに向けた。女性がベッドに上がる気配がした。
「石橋さん、パンツをさげます」
今度は看護婦の声がした。隣にいるのはあのスーツの女性、医師、補助する看護婦の3人だ。その後少しの間、何の音も聞き取れなかった。
「あうっ」
女性の悲鳴が静けさを破った。医師がその手で女性のお尻に注射針を突き刺したのだ。
「あ、ああ、あぅー…」
高い声は続いた。突き刺された注射針からふっくらしたお尻の中に送り込まれる注射液が女性患者に苦痛のうめき声を上げさせている。狂おしい声に私の興奮はますます高まった。うつ伏せになった私の股間で、体の一部が再び大きく膨らんでいた。
私は自分の尻から注射針が引き抜かれるのを感じた。
「はい!最初の注射は終わりましたよ。じゃ、次は左に注射します」
尻の左側の上部にひやっとしたアルコール綿の冷たさ。続いて長い針が突き刺されるショック。
「うっ」
「今度の注射は痛いですよ。我慢してくださいね。」
患者の苦痛を予告する言葉なのに、若い看護婦の声は相変わらず明るい。
「いってっ!いた、いたたた、痛いっ」
尻の奥深くに起こった激しい痛さに私はたまらず声を出した。注射の痛さは予想を超えていた。その痛みは3年前の注射よりももっと激しいものに感じられた。
2本目の注射はなかなか終わらなかった。注射液の量が多いのだ。その間にも、私の尻の痛みは激しさを増した。
「いてっ、いててて…」
「痛いですかー、もうちょっとだから我慢しましょうね」
私のみっともない声と看護婦の言葉はカーテンの向こうにいる女性にも当然聞こえているはずだ。学生服を着た高校生が尻に注射される痛みに泣き声を上げていると、当然、その女性は分かっている。私は恥ずかしかった。しかし、その女性も今は自分のお尻に打たれた注射の痛みに苦しんでいた。
カーテンの向こうから、再びあの医師の声。
「もう1本注射します」
最初の注射が終わったらしい。
「うっ」
また女性のうめき声がした。続いてさっきよりさらに辛そうな声が聞こえた。
「あー、あぁ、痛い、…あ、あぁ」
その声に私の体は反応を続け、上から体重がかかっているにもかかわらず、その部分は太さと長さを増した。脳裏にはあの女性の丸出しになった白いお尻に注射針が深く突き刺されている像がくっきりと焦点を結ぶ。
「はい、これで注射は終わりましたよ。痛かったでしょう。しこりにならないように。良く揉んでおきますね」
看護婦の言葉とともに私の尻から2本目の注射針が引き抜かれた。看護婦は尻の左右にアルコール綿を押し当てぐりぐり揉み始めた。尻にまた痛みがよみがえる。私は必死に声をださないように我慢した。
その間もカーテンの向こうから悩ましい声は続いていた。
「あー、あぁ、あぁぁぁ」
ほとんど泣き声だった。そんなに痛い注射なんだ。女性の苦痛の声を耳にしながら私の興奮は最高潮に達していた。
「はい終わり。もう痛い注射はないからね」
左右の注射した箇所を充分過ぎるほど充分に揉んだ看護婦は、いたずらっぽく言うと、私のお尻の下の方、腿との境に近い辺りをぴしゃりと手でたたいた。この看護婦にとって男子高校生のお尻に注射することは楽しい仕事なのかもしれない。私はそう思った。
「服を着ていいですよ」
看護婦の言葉を聞いても、私はしばらく動くのをためらっていた。今、体を起こしたらパンツの前が膨らんでいるのを見られてしまう。しかし、看護婦もじっとこちらの様子をうかがったまま動かない。私は仕方なくベッドの上に立て膝を付き、急いでパンツを引き上げた。
看護婦はすべて見通しているかように微笑みながら私のパンツの前の部分に視線を向けていた。私はベッドから降り、慌ただしくズボンを引き上げてバックルを締めた。
その時、カーテンの向こうから医師の声が聞こえた。
「これで注射は終わりです。お大事に」
その声の主はカーテンに囲まれた区域から出ていったようだ。看護婦の声が続いた。
「注射した所を揉みますね」
その時になっても女性のすすり泣くような声はまだ聞こえていた。
「どうも」
私は自分のお尻に2本の注射を打った若い看護婦にぶっきらぼうに言うと、カーテンから出て待合室に向かった。
「お大事に」
あくまで明るい看護婦の声が背中越しに聞こえた。
待合室に戻ると、患者の数はさっきより増えていた。私は長イスの最前列、受付のすぐ近くにに空いている二つ席を見つけ、その右側の方に腰を下ろした。注射されたばかりの尻の左右2箇所がまた痛んだ。
私は待合室から処置室へと通じるドアに意識を集中していた。少しして、そのドアからあのスーツ姿の女性が姿を現した。メイクを決めた整った顔は悲しげで、心なしか目がうるんでいるように見えた。女性は長イスからそちらを見ている私に気づき、真っ直ぐこちらを見た。一瞬、女性と私の目が合う。女性は私の目を見たまま私の方に歩いてくる。私の左隣の空いた席に座るつもりなのだろうか。私はドキドキして目をそらした。さっき注射の痛さにうめき声を出した女性は、私のすぐ左前の位置に向こう向きに立った。自然と、その女性のパンツスーツのお尻に目がいく。私の目と女性のお尻との距離は50㎝くらいしかない。黒い生地に包まれた成熟した女性の大きく丸いお尻は、私のすぐ目の前にある。それは私を圧倒するような存在感があった。
しかし、その女性は座ろうとせず、そこに立ったまま両手を背後に回し、自分のお尻の左右を揉み始めた。それも軽く撫でるようなやり方ではない。親指を腰骨の下あたりに当て、残りの4本の指とその親指で尻の肉をわしづかみにすると、その指に力を入て尻を揉みしだいた。女性の指は黒い生地の上からお尻の肉にめり込み、指が動く度にお尻は柔軟に形を変えた。
わざとオレにお尻を揉んでいるのを見せつけている。
まだ他に空いている席もあるのに、女性が私のすぐ斜め前に立ってお尻を揉んでいる姿を見ると、そうとしか考えられなかった。若い女性なら、自分がお尻に注射されたことを他人に知られたら恥ずかしいだろう。それなのに、なぜわざわざその事実を知らせるようなことをしているのか。私の頭に疑問が湧き起こる。
その振る舞いは、このお尻に2本も痛い注射をされたのだと、自分の辛さや恥ずかしさを私に訴えているようだった。
同時に、この私を咎めているようにも思えた。女性は、注射の痛さに自分が上げた悲鳴を、学生服姿の男子高校生がカーテン越しに聞いていたことを知っている。
もちろん、それは私の責任ではない。偶然そういう状況になっただけだ。しかし、確かに私はカーテンの向こうから聞こえる物音に聞き耳を立て、女性のうめき声に刺激を受けていた。そして、その刺激に反応して私の体は極度の興奮を表した。
私は後ろめたい気持ちになりながらも、女性の手で揉まれ柔らかく動く尻の肉を目の前で見て、ますます鼓動が高まっていた。女性の行為は、私のすぐ目の前にあるふっくらと女らしいお尻の左右両側に、つい今しがた2本の注射針が深く突き刺され、尻の内部に薬剤が注入されたことが紛れもない事実であることを物語っていた。
やがて女性はお尻から手を離し私の隣に座った。私は自分の股間の膨らみに気づかれることを恐れ、そ知らぬ顔をするよう務めていた。二人とも黙って前を見たまま時間が過ぎていく。
受付の職員が私の名前を呼んだ時、気まずい時間が終わることに私はほっとした。カバンで股間をかくしながら立ち上がる。受付で会計を済ませ、私は医院の玄関に向かった。待合室を出る時に振り返ると、その女性はさっきと同じように整った顔を真っ直ぐ前に向けて座っていた。私は最後の視線を女性の形の良いお尻に向け、ドアを出た。
医院からの帰り道、自転車のペダルに乗せた足を踏み込むたびにお尻の左右が交互に痛んだ。冬の街で自転車を走らせなが、私は一つの事実に心を捉えられていた。それは、あのスーツの女性のお尻に注射したのが看護婦ではなく、医師だったという事実だ。
その医師が患者に注射したケースで、私が知っているのは、中学の時に吉村厚子が注射された時、そして今回のスーツの女性が注射された時の2回に過ぎない。しかし、どちらも注射されたのは女性患者だ。そして医師がその手で注射針を突き刺したのは女性らしいふっくらした丸みを持ったお尻だ。そのことだけで、私は確信した。
あの医師は女性患者のお尻に注射したいと思った時にだけ、自分で注射するんだ。自分が院長を務める医院なら、それが可能だ。あの医院を訪れる美しい人妻、女子高校生や若いOL、そんな女性患者たちは、処置室でベッドにうつ伏せになるように指示され、あの医師によってお尻に痛い注射を打たれ悲鳴を上げるのだ。
もしかすると、待合室の隣の席で涙を流していたあの小学生の女の子も、あの医師によってお尻に痛い注射を打たれたのかも知れない。
私が自宅に着いた時、母親は買い物に行ったのか留守だった。私は、真っ直ぐ2階の自分の部屋に行くと学生服の上着とズボンを脱ぎ捨て、飛び込むように自分のベッドに乗った。その時になっても私の男性器官はまだ激しい興奮を示していた。
あの女性の大人っぽいきれいな顔、黒いパンツスーツに浮き出た大きく丸いお尻の形、カーテンの向こうから聞こえた女性の辛そうなうめき声。それらが私の頭の中を占めていた。
そして、実際に目でみるよりも鮮明なくらいくっきりと、パンツスーツと下着が下げられ丸出しになった白いお尻に長い注射針がブスリと刺されるイメージが脳裏に浮かぶ。
パンツを引き下げるのももどかしく、その下から飛び出した自分の器官を握る。それは昂ぶりの極致にあった。私の手が数回のストロークを与えただけで、硬直した男性器官は痙攣しながら多量の体液を何度も宙にほとばしらせた。
結局、私は高校卒業後、大学の医学部へ進み医師になった。もともと理系科目が得意で、特に高校で出会った生物という科目を通して「生命」が持つ不思議さに興味をったという事もある。また、若い頃は誰もが言いそうな「病気で苦しむ人の役に立ちたい」という青くさい希望もあった。だから女性のお尻に注射したいという理由だけでこの道を選んだ訳ではない。
だが、あの中学生と高校生の時に「白い館」で体験した出来事が私の進路に影響しなかったと言えば嘘になる。
私は大学進学で育った街を離れたため、あの高校の日を最後にその医院には行っていない。
(終わり)
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