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小説「臀部注射」第2章 白い館の記憶

 私は小学校低学年の頃まで体が弱かった。しょっちゅう風邪などで熱を出しては、母親に自宅近くの内科・小児科医院に連れていかれた。

 一般的に言って、最近は病院に行っても以前ほど注射をしない傾向がある。でも、ひと頃はどんな病気だろうとまるで定番のように注射を打たれたものだった。私が行っていた医院でも、医者の診察が済んだ後で処置室へ呼ばれて行くと、決まって看護婦が「ズボンとパンツを下げてうつ伏せになってね」と言い、私の尻に注射針を突き刺すのだった。

 特にその医院では院長の方針なのか、大人も子どももほとんどの患者がお尻に注射されているようだった。処置室の注射を行うベッドはカーテンで隠されていたが、自分の番を待っている間、カーテンの中から看護婦が他の患者に「お尻に注射しますね。」とか「ズボンを下げてうつ伏せになってください。」とかいう声は当たり前のように聞こえてきた。ベッドにうつ伏せに押さえつけられお尻に注射されていると思われる小さな子供の泣き叫ぶ声が医院内に響くこともしばしばだった。

 診察と治療を終えて待合室に戻って来た患者が、自分のお尻をさすったり揉んだりしている姿もよく目にしていた。中でも、自分の母親くらいの年頃の女性が、立ったまま右手を背後に回して人目もはばからずズボンの上から丸々と肥えたお尻の右側を揉んでいた光景は印象に残っている。その女性は痛そうに顔をしかめ、うっすら涙ぐんでいるように見えた。
 「大人の人でも我慢できないくらい痛い注射だったんだ」私は思った。
 その女性の表情を見ているうちに、その大きなお尻に太い注射が打たれる光景が頭に浮かび、これから診察と「治療」を受けようとしていた私を怯えさせた。

 一度は同級生と顔を合わせた事もある。あれは確か、小学2年生の時だ。診察の後、いつものように処置室に行き自分の番を待っていた私は、カーテンの中からすすり泣く声を聞いた。その声は次第に高くなってくる。やがて、注射の処置を終えたらしい看護婦がカーテンを開けると、その中から出てきたのは母親に付き添われた同級生の女の子だった。

 教室ではいつも愛らしい笑顔を見せている子だったが、その時は泣き顔で、手でほおの涙をぬぐっていた。母娘の後から出て来た看護婦が持っていた金属トレイの中には、空になった2本の注射器があった。その2本の注射は、つい今し方、その女の子のまだ幼く小さなお尻の右と左に打たれたものに間違いなかった。よほど痛い注射だったのだろう。

 その子は母親から、「もう小学生でしょう。泣かないの。」ときつい口調でしかられていた。お尻に痛い注射を2本も打たれるだけでも辛いのに、その上母親にしかられているその女の子の状況に、私は子供心にも理不尽なものを感じた。しかし、その後すぐに、今度は自分がその子と入れ替わりにそのベッドにうつ伏せになるように言われ、お尻に注射を打たれることになった。自分のお尻にブスリと打たれた注射の痛さに必死で耐えながら、私は、さっきの同級生の苦痛を思った。

 その医院では、できれば思い出したくない体験もある。
 私が小学校3年の時だった。その時はいつになく熱が高く、喉もすごく痛かった。

 診察の時医者が「扁桃腺がだいぶ腫れてるね。」と半ば独り言のように言ったのを覚えている。その後、例によって注射のために処置室に呼ばれたのだが、看護婦が持ってきたトレイの中を見て私はびっくりした。金属製のトレイには注射器が2本も置かれており、しかも2本ともいつもの注射の2倍くらい太かった。今考えると、20㏄の注射器だったのだろう。注射液も注射器の半分近くまで充填されていた。

 その太い注射器の1本を手にして看護婦は言った。
「お尻に注射しますね。ズボンを下げて、うつ伏せになってください。」
 なぜか看護婦の表情も普段と違って緊張しているように見えた。
 いつも聞く言葉なのに、その太い注射を目にした私は体が震えるほどの恐怖に駆られた。そんなに太い注射をお尻に打たれたことはなかったからだ。私はそばにいた母親にうながされてしかたなくズボンを下げうつ伏せになった。

 恐怖感でいっぱいだった私は、看護婦がお尻にアルコール綿を触れたひやっとした感触だけで身体をビクッと動かしてしまった。それでも右の尻に打たれた最初の注射の痛さは、歯を食いしばってなんとか我慢する事が出来た。しかし、次に看護婦が「ちょっと痛いけど我慢してね」といいながら、左の尻にブスリと注射針を刺し、その後薬が注入されはじめると尻に激しい痛みが襲った。私は思わず「痛い~」と声を上げた。目からはぽろぽろ涙がこぼれた。
 看護婦は「我慢してね。もうすぐ終わるからね。」と言いながら注射を続けたが、私にはその時間が永遠に続くように思われた。

 注射が終わり看護婦が針を抜いた時、私の顔は涙だらけだった。看護婦は私を慰めるためか、尻の左右にアルコール綿を押し当てて揉みながら言った。
「はい、終わったよ。もう泣かなくて良いからね~」
 子ども心にその看護婦が悪い訳じゃないと分かってはいたが、その言葉には憎しみさえ感じた。どんなに優しい言葉を言っても、私の尻に太く強烈に痛い注射を2本も打ったという事実が消え去る訳ではない。
 同時に、私は自分が小学3年にもなって注射されて泣いてしまったことに激しい屈辱感を感じていた。

 しかし、私が小学校の高学年になった頃からは風邪をひいても大してひどくはならず、その医院に行く機会もずっと少なくなった。そして中学生になってからはバスケットボール部に入ったため体が鍛えられて丈夫になったのか、まったく病院の門をくぐることなく過ごしていた。

 「出来事」はそんな頃、私が中学2年生の冬に起こった。
 その日は朝から喉が痛く、熱っぽい感じだった。それは自分がまだ小さな頃、風邪で苦しんだ時の感じを思い出させた。その日は週末ということもあって、私はなんとか持つだろうと学校へ行った。ただし、母親から言われて念のために健康保険証をカバンに入れていた。

 ところが、授業を受けている間も喉の痛みは治まるどころかますますひどくなった。やっと下校する頃には寒気まで感じるようになり、計らなくても自分で熱が高いと分かる程だった。
「保険証を持ってきて良かった」
 私はバスケ部の部室へ行くことなく学校を後にした。早く病院に行って喉の痛さと寒気を何とかして欲しい。私の頭の中にあるのはそのことだけだった。

 私は小学校の頃行っていた自宅近くの医院へ行くつもりだったが、家に帰る途中、ふと気持ちが変わった。それは通学路の中程にある一軒の医院を見た時のことだった。
「今日はここへ行ってみようか」
 その医院で診療を受けたことはなかったが、私はそう思った。

 そこは通学の時にいつも見ながら通り過ぎていた内科医院で、1~2年前に建ったばかりだった。白い色の外壁も近代的で清潔そうな感じがしたが、建物の周りを立木で囲まれ、あまり見通しが効かない所が秘密めいた雰囲気を漂わせていた。クラスの友達が風邪の時にその医院に行ったという話を聞いたこともあった。

 小学校の頃行っていた医院は木造の小さな建物だったが、ずっと建て替えられておらず、この医院に比べるとずいぶん古びた雰囲気がした。それに、その医院だとまたお尻に注射されるに決まっている。
 その頃の私には、小さな子供の時とは違って看護婦とはいえ女性にお尻を見られることへの羞恥心があったし、小学3年の時のあの屈辱の注射体験もまだ生々しい記憶としてあった。

「この医院なら肩とか腕に注射するかもしれない。」
 何の根拠もなかったが、今まで行ったことがないという不安感よりも看護婦の前でお尻を出さずに済むかもしれないという期待感が勝った。私は意を決して、初めての医院のドアを開けた。

 医院の中は独特の消毒薬の匂いがしていた。それは自宅近くの医院と共通していたが、内装などははるかに新しく明るい雰囲気だった。季節柄風邪の患者が多いのか、医院内にたくさんの人がいる感じが伝わってきた。

「この医院にして良かった」
 私は受付を済ませた時、明るい雰囲気にそう思った。
 しかし受付の左にあるドアから待合室へ入った瞬間、私は息が止まるようなショックを受けた。長椅子に座って順番を待っている患者の中にクラスメイトの顔を見つけたのだ。それはよりによって私が密かに気持ちを寄せている女子だった。
 彼女もすぐに私を認めて、とまどったような笑みを浮かべて軽く会釈した。私もぎこちなく会釈を返すとなるべく遠くの場所に座った。

「まさか!なんでこんな所で吉村厚子に会うんだろう。」
 私は、その日の彼女の様子を思い浮かべようとした。
 具合が悪かったんだろうか?確かに静かな感じだったけど、いつもそんな風だし・・・。それに自分自身の喉の痛さでそれどころじゃなかった。彼女も今ここにいるということは私と同じように学校が終わってから真っ直ぐこの医院に来たに違いない。

 吉村厚子は卓球部に所属していた。あどけなさの残る顔立ちをしていたが、その身体は小柄ながら女性らしいふくよかさを持っていた。彼女はその日、紺色のセーターとズボンという地味な服装だった。クラスでは今日のように彼女がズボンをはいている日、私は時々密かに彼女のズボンに浮き出したお尻の形を盗み見る事があった。そんな時、吉村厚子のお尻はズボンのラインに豊かな膨らみを形作っていた。

 私の胸で急激に鼓動が高まりだしていた。
「厚子さんも風邪だろうか。・・・この医院もうちの近所の医院と同じように注射するんだろうか。ということは・・・厚子さんもお尻に注射されるんだろうか」
 考えまいとしても私の頭の中に妄想が広がり始めた。それはズボンとパンツを下げて、露わになった彼女のお尻に注射針が突き立てられる光景だった。
 その妄想は振り払おうとしても脳裏でますます鮮明なシーンになっていき、私はズボンの中で熱く膨らんでいくものを他の患者に気づかれないようにするのに苦労した。

 その医院には彼女が先に来ていたので、診察のために呼ばれたのも彼女の方が早かった。しかし、1人おいてその後に今度は私が診察室に呼び込まれた。「診察室」と書いたプレートのあるドアを入ると、そこにはまだ30代と思われる医者がいた。

 診察は喉の様子を診たり、胸に聴診器を当てたりで、前に行っていた内科・小児科医院と同じだった。診察が終わって、服を直している私に医者は「風邪ですね。熱が高いので注射しておきましょう」と言った。
 やっぱり注射するんだと私は思った。どこに注射するんだろう。小学校の時のようにお尻に注射されるんだろうか。

 その後私は診察室のとなりにあるやや広い部屋に通された。そこで私は再び吉村厚子と顔を合わせた。彼女は、入り口のそばに置かれている2つの長椅子の一つに他の3、4人の患者と一緒に座っていた。私に気づいたのか気づかないのか、彼女はしそらぬ顔で前を見たままだった。私も何か気まずい気持ちのまま座った。2人の距離は1メートル位しかない。

 消毒用アルコールの匂いが強く漂うその部屋は、大きく二つの部分に分けられていた。診察室に近い側には、患者たちが座っている長椅子がある。壁際には薬品や器具の棚が並び、窓際のテーブルでは2人の看護婦が注射の準備をしていた。その手前では、中年の女性患者が丸椅子に座り、金属パイプの脚がついた台の上に左手の肘の部分を乗せている。看護婦がその患者の上腕部をゴムで縛り、黄色い注射液で充たされた太い注射器の針を静脈に刺そうとしてる所だった。私は思わず目をそらした。

 部屋の残り半分のスペースは白いカーテンで周りから隔てられている。
 長椅子で待っている患者達は、順番がくると女性患者のように目の前の丸椅子に座って静脈に注射されるか、カーテンの中へ導かれていくか、そのどちらかに分かれた。

 長椅子に座って順番を待っている間、私の胸の鼓動はますます高まった。自分が医師に「注射する」と言われてここへ来た以上、吉村厚子も注射されるためにここに座っているに違いない。カーテンの向こうでは何が行われているのだろうか?

 その時、そのカーテンの前で一人の看護婦が言った言葉に私は思わずびくっ身体を振るわせた。
「吉村さん、吉村厚子さん」
 それに応じて立ち上がった彼女に看護婦は言った。
「吉村さん、お注射しますからこちらへどうぞ」
 看護婦はそう言うとカーテンを開けて彼女を中に導き入れた。カーテンはすぐ閉じられたが、閉じる前に中にベッドが置いてあるのが見えた。

 その直後、私の予想していなかった事が起きた。さっきの医者が診察室の方から現れて、金属のトレーを持った看護婦と一緒にそのカーテンで囲まれたコーナーに入っていったのだ。トレーの中には注射器が置いてあるようだった。
「えっ?なんでお医者さんが来たんだろう。注射器を持った看護婦と一緒に入っていったという事は・・・お医者さんが注射するんだろうか?」
 私は再び胸が高鳴り始めた。

 しかしあまり考えている余裕はなかった。少し後に今度は自分が呼ばれたのだ。
「神谷さん、神谷君彦さん」
 私はドギマギしながら立ち上がった。さっきとは別の看護婦がカーテンの前で呼んでいた。
「神谷さん、お注射です。どうぞこちらに来てください。」
 まさか!吉村厚子と一緒に呼ばれるなんて。
 カーテンの中がどうなっているか分からないこともあって、私の頭の中はほとんど真っ白になった。しかし、そのまま突っ立っている訳にも行かない。私は看護婦が呼ぶカーテンの方に進んだ。

 看護婦は黙ってカーテンを少し開いて入るよう促した。それに応じて一歩中に入った私は、そこで見た信じられない光景に凍り付いたように動けなくなった。後ろでは看護婦がカーテンを閉めた。

 カーテンの中には二つのベッドが並んでいたが、ベッドの間を隔てるカーテンはない。向かって左のベットは空いている状態。そしてもう一つ、右のベッドには吉村厚子がこちら側に足を向けてうつ伏せになっていた。彼女のズボンとパンツは腿の上部まで下ろされ、さっき私の頭に浮かんだ妄想とまったく同じように紺色のズボンとセーターの間に白くてふっくらとしたお尻の二つの山が丸出しになっている。私の頭に一気に血が上った。

「見ちゃだめだ」
 そう思いながらも、もう目をそらす事はできなかった。
 まさに今、医者が注射をしようとしていた。左手に持ったアルコール綿で吉村厚子の右のお尻を拭いている。お尻は、アルコール綿の動きにつれてフルフルと柔らかく揺れていた。
 医師の右手の中には、透明な液体を充たした太い注射器があった。アルコール綿での消毒が済むと医者は吉村厚子の優しげなお尻の上の方を左手でつまみ、手の中のお尻の肉に右手で長い注射針を深々と突き刺した。彼女の顔が痛そうにゆがむのが見えた。

「神谷さん、ズボンを下げてこちらにうつ伏せになってください。」
 私はその声に我に返った。私を呼んだ看護婦は、空いている左のベッドを手で示していた。
「お尻に注射します。」
 何がなんだか分からないまま、私は言われるままにベッドに上がると、ベルトのバックルを外しズボンを腿のあたりまで下げるとうつ伏せになった。吉村厚子の顔を見ている訳にもいかず、自分の顔は反対側へ向けた。頭の中は完全にパニック状態だった。
 看護婦は私のパンツを下げ尻を丸出しにした。それから、アルコールで拭いているらしく右の尻にひやりとした感触があった。続いて、注射針がお尻にぶすりと侵入する感触。

「痛っ」
 私は思わず声を出した。すぐ隣に好きな子がいるというのに。何年ぶりかでお尻に打たれた注射はそれほど痛かった。私は思わず歯を食いしばってそれ以上声を出さないよう我慢した。

 隣のベッドからは、かすかなうめき声が聞こえてきた。吉村厚子の声だ。
「痛いですか。もう少しですからね、我慢して。」
 医者が彼女に声をかけた。しかし、その小さなうめき声はしばらく止むことがなかった。
「はい、終わりました。・・・吉村さん、もう1本注射あります。」
 再び医者が言った。

 私は自分のお尻の痛さを必死でこらえながらその声を聞いて思った。
「厚子さん、もう1本注射するんだ。」
 その時、看護婦が私に言った。
「もう終わりますよ。」
 そして注射針が私のお尻から引き抜かれた。しかし、ほっとしている間もなく看護婦が付け加えた。
「神谷さん、今日はお注射2本です。もう1本お尻にしますからね。」

「痛いっ!」
 隣のベッドから吉村厚子の声が聞こえた。いつもの澄んだ高い声ではなく、苦しそうな濁った声だった。今度は左のお尻に注射されたのだろう。見えていない分、余計に音や声が想像をかき立てる。
 そうしているうちに、私の左のお尻もアルコールで拭かれた後、ぶすっと注射針が突き刺された。
「うっ!」
 今度は我慢していようと思っていたのに、薬液が注入され始めた時、その猛烈な痛みに私は声を出してしまった。吉村厚子の今度の注射もかなり痛いらしくまたかすかなうめき声が聞こえ出した。

 好きな同級生の子と隣同士のベッドにうつ伏せになりお尻に2本ずつ注射を打たれる。しかも間に隔てるカーテンもない。これほど信じがたい事があるだろうか。しかし、その信じがたい事が現実に起きているのだ。

 2本目の注射も吉村厚子の方が先に終わった。注射の後で医者は彼女のお尻を揉み、それからパンツを引き上げたような気配が伝わってきた。
「注射は終わりました。じゃお大事に。」
 医者はそう言うと、カーテンの外へ出て行った。
 私がまだ左のお尻に注射されている間に、彼女は服を直してそのカーテンで囲まれたコーナーから出た。私がお尻に注射されている姿も彼女に見られたのだろう。

 私が2本目の注射を終えてお尻の左右に鋭い痛みを感じながら待合室に戻ると、長いすに座っている吉村厚子と三度顔を合わせることになった。吉村厚子は待合室に入った私を認めると、顔を反対側に背けた。たった今起こった出来事については、お互い知らない振りをしているしかない。

 意識してその席を選んだ訳ではなかったが、私が座った位置は吉村厚子の斜め後方だった。その待合室の長いすは背もたれが無いタイプだったので、つい、座っている彼女のお尻の部分に目が行った。彼女の身体にはややきつめと見える紺色のズボンはお尻の所で二つの球形を作っている。ズボンとパンツの布で包まれたそのお尻の膨らみには、つい今しがた、あの医者の手で2本の注射針が深く突き刺され、薬液が注ぎ込まれたのだ。

 吉村厚子は今、お尻の左右に私が感じているのと同じ痛みを感じているはずだ。彼女を横顔見ると、ほおが赤らんでいる。それは風邪による発熱のせいばかりではなかっただろう。心なしか目が潤んでいるみたいだった。
 私はその時、不意に、彼女がたまらなくいとしいという気持ちに包まれ、駆け寄って抱きしめたいという衝動に駆られた。そばに誰もいなければ実際にそうしていたかも知れない。

 休み明けの次の月曜日、熱も下がり喉の痛みも軽くなっていた私は普通通り登校した。

 そして自分の教室に入った時、偶然そこにいた吉村厚子と間近で対面した。吉村厚子は何も言わず顔をそらしてその場から離れたが、最初に私と目が合った瞬間その頬がさっと赤く染まったのを私は見逃さなかった。私は私で自分の顔が赤くなっていくのを感じていた。
 私はそんな二人の様子を誰かに見られたのではないかと恐れた。周りにいるのは男女間の関係には特に興味を持つ年頃のクラスメイトばかりである。二人で顔を赤くしたりしていればすぐにあらぬ噂が広まってしまう。しかし、幸いにも誰も私たちに起こった小さな変化には気づかなかったようだ。

 彼女とは同級生なので、当然ながらその後も学校では毎日顔を合わせた。2人ともあの日の出来事については誰にも何も言わなかったので、あの医院での体験は吉村厚子と私だけの間の秘密になった。ただ、私は彼女のあどけなさを残した顔を見る度にいやおうなく頭の中に「あのシーン」がありありと浮かぶのを抑えることが出来なかった。

 正直に告白すると、その出来事があった日から私は毎晩のように吉村厚子がお尻に注射される光景を思い出しながら自らを慰めた。それは、その頃に覚え始めた行為だった。私は自室のベッドの中であの医院での出来事を最初から順繰りに脳裏に思い浮かべ、あの子のふっくらしたお尻に長い注射針が突き刺される場面まで来ると、自分の手の中で太く硬直した器官から体液を激しくほとばしらせた。

 自分の好きな子が恥ずかしく痛い思いをしたというのに、その事を「悪用」してそんな行為を行っている自分に罪悪感を感じてはいたが、私はその行為を止めることができなかった。それほど、目の前で見た同級生の丸出しの白いお尻と、そのお尻に注射が打たれるシーンは生々しく鮮烈で、私の脳裏に長く留まって本能的な衝動をかき立て続けた。

 そんな日々を送るうち、行為が済んだ後のけだるい虚脱感の中で一つの疑問が心に残るようになっていた。

 それは「なぜ、吉村厚子の時だけ看護婦じゃなく医者が注射したんだろうか」という疑問だった。私に注射したのは看護婦だったし、見ていた限りほかの患者の時も看護婦に注射されていたようだ。
 その疑問は、自分の好きな女の子にお尻を出させ、そのお尻に痛い注射を打った医師に対する怨嗟や嫉妬といった感情とないまぜになっていた。
「あの医者は、吉村厚子がかわいいから、自分で彼女のお尻に注射したかったんじゃないだろうか」
 私はそう想像した。

 その想像は、やがて一つの考えに繋がっていった。
「医者はどんな美人にも、どんな可愛い子にも、お尻を出すように言うことができるんだ。それだけじゃない。そのお尻に自分の手で注射することだって出来る。これほどの特権が与えられている職業は医者だけだ。」
 その考えは、私の頭から離れなくなっていった。

 (終わり)

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