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介護って今まで置き去りにした親への気持ちを認識し健全な場所へリセットする期間
ケアラーケア・セラピストのTOMOKOです。現在は、理学療法士をしながらケアラーや今後親の介護に不安をもっている方々にむけ、介護に対する意識改革とボディセラピーを発信しています。
私の信念は、自分の内側で起きていることが現実世界に反映されている。
だから、自分の意識やBODYを調える事で目の前の要介護者もより良くなる、という事です。
突然私の話になってしまいますが、ケアラーの皆さんにも介護に対して違った視点がもてるかと思い記事にしてみます。
※親子関係が良好で介護に対し辛い感覚がない方はここで読むのをやめて下さい。
先日、母の意識レベル低下で救急搬送されました。
最初は生きる、死ぬ、が半々と言われました。結果的には重度の高血糖でした。認知面低下が進みこの血糖コントロールが非常に難しく、今までも何度か救急搬送されています。今は、一般病棟に移り状態は落ち着きました(^^♪
さて、この時の私の心境です。
その日は週末で、たくさんの予定がありました。もちろん、全て取り消し実家に向かいます。焦り、後悔、悲しみ、怒り、様々な感情がでてきました。
何度か投稿しましたが、私は幼少期から母と父の暴力を含めた不仲に気をもみ、傷つきました。また、母が家庭や社会、子育てを上手くやっていけない事で、母親=手のかかる人、というイメージでした。
私自身も多くのセラピーや考え方に触れ、両親との付き合い方、向き合い方がわかってきました。自分の生まれ育った状況にも受け入れてました。
そんな中、今回の意識低下はいつもと違う、と感じでした。
実家に向かう電車の中で、自分の心や体の反応をみつめると、こんな言葉がでてきました。
『手がかかってもいいから生きてて欲しい』
でした。自分でも驚きでした。
私は、両親に対する多くのネガティブな感情に向き合い、専門家のもと癒してきました。しかし、このような言葉が聞かれたのは初めてでした。
親が精神的に熟達していないケースも多くあると思います。子供の方が精神性が高いケース、つまり親子逆転の生活環境で育った方も多くいます。
私の家はそのようなケースでした。
孤独や寂しさ、怒りなどに向き合ってきたからこそ、
『手がかかってもいいから生きてて欲しい』
という言葉を自分でキャッチできたのかもしれません。
今回の件で、私は子供の頃から自分の人生を楽しくさせない感情を持ち続け、ある意味母親とつながろうとしていた、と気づきました。
私の本当の意味での”自立”が問われた時だと思いました。
親に『あなたの育て方はよくなかった』と、どこかで気づかせなくては、
と心の奥にあったと認識しました。
でもこれは、結局のところ、被害者でい続ける事で、
自分の人生に責任を持ちたくなかったんだと気づきました。
介護というだけあって、要介護者はそりゃ、様々な病状変化を起こします。
そのたびに、感情変化が大波、小波と起こるわけです(笑)
もう我々はある意味、感情サーファーになる必要があると思います。
だから、見ないふり、逃げたりすればするほど、のみこまれます。
だから、乗りこなすのです。これが共感疲労に陥らない方法でもあります。
不安、孤独、悲しみ、愁い、イライラ、無気力、怒り、妬み、何が腹の底から湧いてきても良いのです。
そこを見て見ぬ振りせずに、ただ観察し受け止めるだけです。
これが乗りこなす、という事。
もし暴れていたり、悲痛な要介護者が目の前にいたら、
その現実にのみ込まれずに、冷静な心で観察する視点が重要です。
それには感情や現実を受け入れられる自分のBODYが必要です。
どうしたらよいのか?
それが、、丹田呼吸や体を動かしケアする事です。
ストレッチでもウォーキングでも良いです。
ラジオ体操でも良いと思います。
そうやって、介護って、たっくさん置き去りにしてきた
親や家族への気持ちや本音に気づく期間。
負の感情であれば、それに自分で気づいて陽のエネルギーに変容できる期間でもあります。
誰よりも自分の人生が一番よかったと思え、人間性に深みが増すと思います。
私にはそんな大きな悲しみも喜びも知っている人が一番魅力的で輝いて見えます。