ピカピカ、なんである。
台所のシンク、洗面所の水栓、階段のすみっこ。母が我が家に遊びに来てくれる日、ふと気がつくとピカピカになっているのである、いろんなところが。
未就学児2人の育児と仕事で平日がどたばた、ということを言い訳にして普段の掃除はザ・適当。ルンバは小さいおもちゃをのみこんでしまいそうだから使えず、マキタの掃除機とブラーバ(床拭きロボット)の力を借りてなんとか「清潔」は保っているけれど細かいところまではとても手が回らない。友人の家に遊びに行くと大抵、そのぴかぴかっぷりにいたく感激して帰ってくる。水回りはプロの掃除を頼んだりもするけれど、毎日使っていればそれなりに積み重なるものはあるわけで。
「ついでなのよ、ついで」
ふと気づくと小さな布を手にあちこちをまた磨きながら母は言う。じぶんも子育てに忙しいころ、掃除にまとまった時間なんてとれなかった。でもなんとかキレイに、と工夫しているうちに毎日の積み重ねが大事なのだと気がついた。それからは特に洗面台磨きを欠かした日はない。おかげで30年も持っちゃったのよ、うちの洗面台…なんて話を聞きながら、たしかに実家はごく普通の一軒家だったけれども洗面台はいつも綺麗だったなぁと思い出す。祖父も同居で子ども3人の6人家族、毎日の家事に育児にそれはそれは忙しい日々だったろうにそんな心持ちで日々を過ごしていたなんて。親、という共通の立場になってからの母との会話で気づくことは、実はものすごく多い。
ついでねぇ、、なんてこちらがぼんやり聞いている側で母はまた、我が家の門の格子一つ一つをきゅっきゅっと磨き上げている。磨き上げられた門の格子はこれまたピカピカで私も少しだけやってみたけれど全然敵わない。自分より10センチは小さい母のどこにこんな力があったんだろうと驚き、そして、いや力じゃなくて、目の前のことに真剣に取り組むってこういうことなのかもなぁとひとりうなづく。
そろそろお茶でも飲もうよ、と誘うと、あと玄関、一拭きね、と言い残しタタタタとかけていく60代。そういえば家で母が何もせずぼんやりしている姿なんて見たことがなかったなぁ。いつもエプロンをつけ、何かをしているところに話しかけていた気がする。
よる。ピカピカになった洗面台に向き合うと本当に気持ちがよくてちょっとだけ背筋がしゃんとする。引き出しには小さな布をストックした瓶と、お気に入りの香りのハンドクリームをおいた。新米母はまだまだだけれど、私もできるところから一歩ずつ磨いていこう、いつかのピカピカのために。少しずつ、少しずつ。