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【ユダヤ人と日本人】皇室のルーツとは。

日本人のルーツは諸説あります。
モンゴロイドは、今のモンゴルですね。

さて、神道の初代天皇は神武天皇です。
紀元前の話です。

この時期に、イスラエルでは、権力闘争が熾烈を極めていたと言います。

アブラハム王の系譜である、失われた10支族の一部の支族が、ぱったりと消えたのです。
その足跡を辿ると、中央アジアを通じて中国シルクロードが出てきます。

この支族はここを通って、秦の始皇帝と繋がることになります。

つまり、中国はイスラエル、つまりユダヤ人が支配していた可能性を否定できません。

その後ベトナム方面経由で日本に来たのか?朝鮮経由なのか?台湾経由なのか?この全てなのか?定かにはなっていません。

時間的なタイムラグは200年ほどです。200年あればイスラエルから日本にも充分来れる時間的余裕があるでしょう。

秦氏は京都に多い名前で権力者でしたが、これが失われた10支族の一派なのではないかという説が有力です。
(秦の始皇帝と名前が一致するのは、偶然でしょうか?)

彼らは独自の才能を生かして様々な技術や文化をもたらしました。

そして天皇家のルーツなのではないかと言われています。
つまりユダヤ人が日本のルーツである縄文人及び弥生人と混血して今の天皇家に繋がっていると考えられているのです。

そして京都といえば祇園祭。
日本三大祭の一つに挙げられる京都の祇園祭は天王祭とも呼ばれ、この祭りの総本山である京都八坂神社をはじめとする多くの神社では例年7月17日に山車が街中にて引き回し、祭は最高潮に達します。

ではどうして全国各地で7月17日という日に祇園祭の山車が引き回され、民衆が熱狂につつまれてお祭りをするようになったのでしょうか?

その答えはどうも聖書に書かれているノアの洪水の話に秘められているようです。

旧約聖書の創世記には大昔、人類は洪水によって滅亡の危機を迎えたことがあり、神の哀れみによってノアとその親族だけが箱舟に乗って難を免れたことが書かれています。

そしてこの洪水が起こった後にノアを乗せた箱舟が陸地にたどり着いた日が7月17日だったのです。

祇園祭のルーツに洪水が絡んでいることは明らかです。山に降り立った7月17日、ノアは山上にて神を礼拝したことからイスラエルではその日にシオン祭を祝うようになりました。

そして日を同じくして日本では祇園祭りが広まりました。

ヘブライ語の「シオン」という言葉は「ズィオン」と発音されることから、それが日本語では祇園祭と呼ばれるようになった所以です。

祇園祭の山鉾のデザインにピラミッドやラクダが描かれています。

イスラエルでの感謝祭と酷似している点は関係者には広く知られており、現在は京都市も公式に認めています。

そして伊勢神宮のお話です。
伊勢神宮には三種の神器が奉納されているという噂や、天皇家とユダヤの関係に携わるさまざまな言い伝えが盛りだくさんです。

まずは石灯篭の存在です。
JR伊勢駅から外宮、そして内宮に繋がる街道の両脇には多数の石灯篭が建てられていますが、その上部には菊の紋章が刻まれているだけでなく、あかり窓の下にはユダヤの紋章と思われる「ダビデの星」が鮮やかに彫られています。

何故、天皇家が参拝し神道の総本山とも言える伊勢神宮の参道沿いに、ユダヤの紋章が印される必要があるのでしょうか。

また、日本のお祭りに必須のお神輿にまつわるユダヤとの関連性について言及します。

秦氏は京都の太秦を本拠地としていました。
その一部は大分の宇佐に住み、
一説には710年頃に成立したともいわれるヤハダ神を信仰し八幡神社を創設ししました。

Yahawada とはアラム語で失われた支族のユダ族を意味します。

八幡神社は749年頃に急に勢力を持ち始め、奈良に上京してはじめて神輿をもたらしました。

これが神輿の起源です。
その後八幡神社は全国に広まったといいます。

また秦氏は平安京の造成に尽くしたとの説があります。
仏教勢力から逃れるため794年平安京遷都が行われ、その直後に京都で祇園祭が始まりました。

また、秦公伊呂具は稲荷神社(イナリ:JNRI/INRI:ユダヤの王・ナザレの・イシュ(イエス)当時の支配者ローマの公用語ラテン語でのキリストの別称)を創建したとされます。

そして元伊勢神社には秦氏の関与するものが多く伊勢神宮の遷宮に関与したとの説があります。
(伊勢神宮のルーツは天照大神を祭神とする元伊勢籠神社にあると言われます)

京都の下鴨神社は秦一族の族長を記念して建てられたという説があり、
皇室の儀式を多数執り行いました。

このことから秦一族は南王国に由来するユダヤ人との見方が有力です。

ウズマサ明神を祀る京都太秦の大酒神社は古くは大辟神社といい、大辟は中国ではダヴィといいダビデを意味するとされます。

なお、神社神道の起源に関して、そもそも神社の創建は仏教の寺院に触発されたものと主張する説があります。

神社の創建は仏教伝来(538年)以降で、(『神道概説』学生社)最初の本格的仏教寺院は飛鳥寺(596年)といわれます。

一方伊勢神宮の創建は674年であるとする説が多数説とされますが、神道の信仰形態が仏教(人霊信仰)からどのように派生(影響・触発)したのかは解明されておらず、また、神道の社(ヤシロ)の形式を見ると、神道信仰は古代ヘブライの信仰に類似点があると言わざるを得ません。

旧約聖書の民ヘブライ人(ユダヤ人)たちが使っている言葉がヘブライ語です。もちろん、現在のイスラエルでも使われている言葉です。

(日本語)    (ヘブライ語)
ヤッホー!     =ヤッホー!(神様)
ヨイショ!     = ヨイショ(神が助けてくださる)
ワッショイ!     =ワッショイ(神が来た)
ハッケヨイノコッタ!     =ハッケ(撃て)ヨイ(やっつけろ)ノコッタ(打ち破れ)
ジャンケンポン!    = ジャン(隠して)ケン(準備)ポン(来い)
ヤマト(大和)     = ヤゥマト(神の民)
かんぬし(神主)    = カムナシ(長)
エッサホイサッサ    = エッサ(持ち上げる)
サアー!     = サア!(出発)
ミヤ(宮)     = ミヤ(神様のいる場所)
アリガトウ     = アリ・ガト(幸運です)神への感謝の言葉
ミカド (帝)     = ミガドル (高貴なお方)
ミコト (尊)     = マクト  (王、王国)
アスカ (飛鳥)    = ハスカー  (住居)
ミソギ (禊ぎ)    = ミソグ  (分別・性別)
ヌシ  (主)     = ヌシ   (長)
サムライ(侍)     = シャムライ(守る者)
ヤリ  (槍)     = ヤリ   (射る)
ダメ  (駄目)    = タメ   (ダメ・汚れている)
ニクム (憎む)    = ニクム  (憎む)
カバウ (庇う)    = カバア  (隠す)
ユルス (許す)    = ユルス  (取らせる)
コマル (困る)    = コマル  (困る)
スム  (住む)    = スム   (住む)
ツモル (積もる)   = ツモル  (積もる)
コオル (凍る)    = コ-ル  (寒さ、冷たさ)
スワル (座る)    = スワル  (座る)
アルク (歩く)    = ハラク  (歩く)
ハカル (測る)    = ハカル  (測る)
トル  (取る)    = トル   (取る)
カク  (書く)    = カク   (書く)
ナマル (訛る)    = ナマル  (訛る)
アキナウ(商う)    = アキナフ (買う)
ヤケド (火傷)    = ヤケド  (火傷)
ニオイ (匂い)    = ニホヒ  (匂い)
カタ  (肩)     = カタフ  (肩)
ワラベ (子供)    = ワラッベン(子供)
アタリ (辺り)    = アタリ  (辺り)
オワリ (終わり)   = アハリ  、

(旧約聖書)
また、古代ヘブライ文字と日本語のカタカナは、非常に似ています。

カタカナは日本に渡ってきた景教徒(キリスト教ネストリウス派)である秦氏が作ったものであるという説があります。

ひらがなは漢字の字体を簡略化したものです。
カタカナは漢字の字体の一部を取って作られたものとされています。

そういった知識がない多くの外国人からするとただの偶然とは思えないようで、
古代イスラエルと古代日本の繋がりを指摘する声が相次いでいます。

さて、古代イスラエル人にとって相撲は神事だったと言えます。

また相撲の掛け声「はっけよい」は、ヘブライ語で「はっけ」が「投げつけろ」、「よい」は「やっつけよ」という意味になります。さらに力士は土俵に塩をまき、清めますが、それはユダヤ的な習慣でもあるのです。

お神輿には、神が宿ると言われますが、日本語の「わっしょいわっしょい」と言う掛け声の語源は、イスラエルのヘブライ語であるとする説が強いです。

ヘブライ語で「主の救いが来る」を意味するフレーズの発音が「わっしょい」に近いといいます。

ジェリコの戦いについて。

イスラエルの民が契約の箱を担ぎ、ジェリコの壁(城塞)の周りを7日間廻り角笛を吹くと、巨大な壁の石垣は崩れ落ちたといいます。

契約の箱が担がれる姿はまさに日本のお神輿をほうふつとさせます。

このようにイスラエルのユダヤ人と、
日本人、その信仰、神道との繋がりを持っている事は、自然なことに思います。

最後に、三種の神器と契約の箱アークのお話をします。

紀元前772年、北イスラエル王国が滅びてからまもなくして、日本列島では新たなる歴史が始まりました。

どこからともなく国生みの神々が列島を訪れ、天孫降臨という名の下に日本列島に新しい国家を樹立したのです。

そして早くから神威をもつ三種の神器が祀られるようになり、今でも皇室によって継承され続けてきました。

世界中で三種の神器はイスラエルと日本にしかありません。

天皇家に伝わる三種の神器は、草なぎのつるぎ、八咫鏡、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。

八咫鏡は十戒石板です。昔から、鏡の裏にヘブライ語が記されているという証言がささやかれています。

明治時代に当時の文部大臣の森有礼(ありのり)氏は「私はあってあるもの」 と言われました。

「私はある」とは神の事であり、この言葉がヘブライ語で八咫鏡の裏に書かれている事に関して認められました。

また海軍将校の矢野氏が残したスケッチも残されています。

それでは、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とマナのツボを比べてみます。

マナのつぼはイスラエルの神がマナを与えて死から守ったもの、また八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も神の救いを求めたお守りの象徴です。

勾玉の正式名称は八坂瓊(やさかに)之五百箇御統(イホツミスマル)です。めちゃくちゃ長いんですが、これは実はヘブライ語です。

ヤサカニはヤサコニで「神が私を守ってくださる」の意味。イホツミスマルはへオッミシュマルで「神、あなたは守り主」ということになります。

草なぎの劔はアロンの杖なのでしょうか?スサノヲの神話に登場する草彅の剣の由来は謎に包まれています。

八岐大蛇の神話は有名ですね。日本の有史は、大陸から渡来してきた人々によって始まり多くの人々が船に乗って海を渡り、

日本に住み着き、日本の歴史を動かしてきました。皇族の祖となるスサノオとその一族も、元来、西アジアから日本列島に来たと考えられます。

スサノオが活躍した時代は紀元前7世紀。同じ時期イスラエルの民が姿を消しました。草彅の剣を持って現れたのがスサノオ・・・。

そして、何より契約の箱であるアークは日本の神輿とそっくりですね。

契約の箱はヘブライ語で「船」を意味しますが、日本でも神器(シンキ)を収める器を「御船代」ミフナシロと呼ばれています。

いつしか日本の島々では神を祀る際、イスラエルにて契約の箱が2本の棒によって担がれたように、

神輿が担がれ大声で「ヨイショ」と掛け声をかけながら大地を巡りました。ちなみにヨイショはヘブライ語で神が助けてくださる。

わっしょいはヘブライ語で神が来たを意味すると言われています。

私は淡路島に数年住んでいた頃、日本の起源とストーリー、日本のルーツに関心を強く持つようになりました。

あまりにも、その根源的エネルギーを国生みの島、淡路島に感じていたので自然な導きだったのだと思います。

そして、自分自身と向き合い、新しい旅路、人生の指針を定めていくために必要なプロセスだったと感じています。

私は5年前淡路島を離れる際、徳島県にある剣山に向かいました。

私は、この場所がユダヤと、日本の結びつきを示す、そして現在の天皇皇室に繋がる大きな、秘密が隠された場所だと考えていました。

徳島県 剣山にはソロモンの秘宝伝説があります。

周辺には祖谷など高地性集落が多数存在し今も多くの人々が暮らしています。

預言者モーゼが神から授けられた十戒の石板をしまった箱のことを契約の箱(アーク)と言います。

アークは驚異的なパワーを発揮し、約束の地に向かうユダヤ人を守り続けました。しかし、扱い方を間違えると一瞬にして命を奪われてしまうので、取り扱い方には注意が必要でした。

古代ユダヤ大国が滅亡寸前の危機を迎えた頃からアークに関する記述が消えてしまったことをきっかけに、失われたアーク(the lost ark)と呼ばれるようになりました。その失われたアークが徳島県 剣山に隠されていると言われていますが、今もまだ発見されていない状態です。

卑弥呼が支配した邪馬台国の九州、畿内説はよく知られていますが、
結論は出ていません。

中国史書の記述に「四面が海に面している」という箇所に注目すると、
九州も本州も大きすぎて「四面が海に・・・」の表現には無理があります。

四国山上は人口 面積 食料自給など矛盾なく比定が可能です。

最近 邪馬台国徳島阿波説が脚光を浴びてきました。ただ阿波地方のみではあまりにも狭すぎます。

誇大は海抜も現在よりは高く海岸線も現在よりは狭かったと考えられます。
現在の徳島市は広大な平野がありますが当時は今の市街地は海の底です。

魏志倭人伝の「邪馬台国のそばに21の国がある」という記述。

中央の山上の邪馬台国を囲むように平野部に21の国があった痕跡を掴みました。

現在でも市街地があり集落のあるポイントを地図上に仮定して、次に日本の古い地名 郷名などの発音が倭人伝の漢字の発音と、三分の二がほぼ一致しました。

漢字の発音は古代から中国ではそれほど変化してないといいます。

四国の周辺を囲むように邪馬台国の属国が順番通りに並び古い地名が倭人伝通りの発音で読めることに注目です。

つまり山上は卑弥呼の国。平地は邪馬台国の属国であったということとになります。
ご覧のように四国の四国山地を中心とした高地性集落付近を邪馬台国と比定しています。

高い山の山頂付近が草原になっている事に注目し人工的に山焼きを行い草山の風景を作り出しました。

尾根伝いに幹線を整備し四国内の移動を容易にしたと思われます。現在でも標高の高い山々の山頂付近に大小の人工の池 池跡を確認する事ができます。

多くの人々の飲料水を確保するために、大土木工事を完遂しています。この事からも山上に多数の人々が生活していたことが伺えます。

現在のように人々は、平地に集まり生活するという常識に捕らわれていては、四国の不思議は理解できません。邪馬台国阿波徳島説ではなく四国の山上に邪馬台国はあったのかもしれません。

ここで私の日本人のルーツ、天皇家とユダヤ人との関連を探求する旅は終わりました。

何が正しいのか、学者を含めて結論は今後も出ないことなのかも知れません。

宮内庁が知っていたとしても、表には出てこないことでしょう。
天皇家のルーツがユダヤ人と関係があるという真実関係を認める事は出来ないでしょうから。

ただ、これから世界は更なるグローバル化の渦に入ります。日本も例外ではありません。価値観もグローバルなもの、国境や、人種、性別を超えて、人間の本質が問われていくでしょう。

インターネットやSNS、5Gの進化、地球規模の気候変動など、スマートフォンの発明、人類はいつも繋がっています。

リアルとネットの融合もこれまで以上に進む事は必至です。

人間の根源的な心理や内面、本質的な存在への造詣を深めて、人それぞれが向き合うことが、とても重要で、この混沌とした世の中を生き抜く力になるのだと感じます。

長文を最後までお読み頂きまして、ありがとうございます。