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渡りの衝動 〜アオバズクの物語
セミの声がうるさくて目が覚めた。
周囲はすっかり明るくなっている。陽が昇ってからすでに何時間も経っているようだ。昨夜はたくさん捕食したから、今は目の前を飛び回る昆虫を見ても食欲は湧かない。
隣の兄は僕に身体を密着させたまま目をつむっている。母は斜め下の枝に止まっている。身動きはしないが薄っすらと目を開けていて、先ほど僕と目が合った。父の姿は見当たらないが、きっと僕たちの姿が見えるところで見守ってくれているだろう。
夏の昼下がり。安心感は眠気を誘う。気づかないうちにまぶたが下りてうとうとしていると、生まれてからこの1ヶ月のことが頭によみがえってきた。
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アオバズク
僕はアオバズクという。フクロウの仲間だ。
秋から冬の間は東南アジアで過ごし、春になると日本や中国など東アジアの国に渡る。夏の間に繁殖し、夏が終わり子どもが飛べるようになる頃に南へと旅立つ。
僕の両親は毎年フィリピンと日本を行き来している。フィリピンにはたくさんの島があって周囲は海に囲まれているそうだ。冬の穏やかな日に上空から眺める島々は息を呑むような美しさなのだという。それに冬の間は台風もあまり来ないので過ごしやすいそうだ。
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そこから3,000kmの距離を飛んで毎年日本にやってくる。そして決まってこの神社で過ごす。お賽銭箱の後ろに立っているムクノキには大きなほこらがあって、子どもを育てるのにちょうどよい大きさなのだそうだ。
生まれた時のこと
母が4つの卵を産んだのは5月20日。卵を温めるのは母の役割だ。父は母のために毎日餌になる昆虫を採って運んだり、巣を見張ったりした。それから25日が過ぎた6月14日。僕は卵の殻を破って外に出た。
僕の記憶はその時から始まっている。ほこらには兄が2羽と姉1羽いて、目が合うとお前は誰だと言わんばかりに変な顔をした。後で分かったのだが両親からもらえる餌が減ってしまうことを心配したらしい。
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約1ヶ月の間、僕たちはほこらで過ごした。父と母は交代しながら餌を運んでくれる。その度に精一杯口を開けてお腹が減っていることをアピ―ルする。遠慮は禁物だ。一瞬の隙に身体の大きな兄や姉に餌をとられてしまう。とにかく目立つように大声を上げる。父も母も誰に餌をあげたのか忘れてしまうので、気づいてもらわなければならないのだ。遅く生まれた子はチカラが弱いから損だと思う。
数週間で僕たちは大きくなり、ほこらの中が狭く感じられるようになった。身体の大きさはもう父や母と変わらない。鳩よりも少し大きく、30cmくらいだろうか。でもお腹の色を見ると見分けは簡単だ。子どもは薄い茶色と白っぽい産毛に覆われていて全体がもこもこしている。大人は茶色の斑点がくっきりしていてとてもシャープなシルエットだ。
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両親は巣の中で過ごさなくなり、外にいるようになった。顔を見るのは餌をもらう時だけ。でもどちらかが近くの枝にとまって穴を見張ってくれているようだった。身体は大きくなっても僕らは何もできない。天敵に襲われたらひとたまりもない。時々カラスが穴に近づくと、その度に両親は飛んできて追い払ってくれる。母も父も傷だらけになった。
外の世界は恐ろしい。いつまでもこのほこらで安全に過ごせればいいのにと思っていた。
外の世界
でも7月に入ってから、両親の様子が変わってきた。せっかく虫をくわえてほこらまで来てくれたのに僕らが口を開けるとそのまま飛び去ってしまう。穴から顔を出しても両親の姿は見当たらず、ホーッ、ホーッという父の声が聞こえた。
父も母も口数は少ない。生まれたばかりの頃、自分たちがどこから来たのか、過去のエピソードをいくつか話してくれたことはある。でも未来のことは教えてくれたことがない。これから先、自分たちはどうなるのか、いつどこへ行くのか。そもそも僕たちの寿命は何歳くらいなのか。何も知らない。
一番上の兄と姉が、ほこらを飛び出したのは7月7日だ。そして次の日にはもう一羽の兄がいなくなった。ほこらには僕だけが残った。わいわいと騒がしく暑苦しかった穴の中が、がらんと広く感じられた。
それまで自分たちが飛べる日がくるとは思っていなかった。だから一緒にいた兄たちが羽を広げて飛んだ時は本当に驚いた。それはとても格好よかった。
自分にもできるのだろうか。どうやって羽を動かすのだろうか。うまくいかなかったらどうなるのだろう。失敗はすなわち死を意味するのではないか。そう考えると勇気が出なくて、僕は6日間、一羽だけでほこらの中で過ごした。臆病な僕を見かねて父が時々餌を持ってきてくれた。
自分も飛ばないといけないのだ、それをみんなが待っているのだと分かったけれど、ほこらから顔を出して何mも下の地面を見下ろすと足が震えた。落ちたら痛いだろうな。カラスに襲われるかもしれないな。色んな心配が頭を駆け巡った。
でもそのうち別の恐怖が心をよぎり始めた。もし自分だけがほこらに取り残されてしまったらどうしよう。そんな不安だ。
いずれ両親はフィリピンに旅立つだろう。兄も姉もそうだ。僕に何か声を掛けることもなく、ある日突然いなくなるのではないか。そうすると誰も餌を持ってきてくれなくなる。餌の取り方も知らない僕はここで朽ちて死んでいくしかない。そう考えると急にいてもたってもいられなくなった。
夜になったら飛び出そう。そう強く思った。
僕たちは夜行性だ。夜のほうが身体が動くし、餌の動きもみえる。天敵のカラスは夜はあまり動かないから、初めての飛行は夜のほうが安全だ。
失敗するかもしれないとか、何かに襲われるかもしれないとか、そういう心配よりもただ衝動的に自分は飛び出さなければならないのだと思った。
家族のぬくもり
ふと身体の周りで何かが動いたような気がして目を開けた。隣にいた兄はいなくなっていた。見渡すと別の木に飛び移った兄の背中が見える。
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そうだ。自分はもうほこらの外にいるのだ。
あの夜、人生の賭けに打って出る気持ちで羽根を広げて飛び出した。ばたばたすると身体は自然に宙に浮いた。不思議な感覚だった。これが飛ぶということか。数m上昇すると少し離れた木の枝に兄と姉の姿が見えた。うれしくなって兄の隣にとまったのだった。
それから1週間。見よう見まねで飛び回るセミを捕まえることもできるようになった。父も母も相変わらずそばにいて捕食する姿を見せてくれたり、高く飛ぶ姿を見せてくれる。兄はよく僕の隣に止まって遊び相手になってくれる。
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家族のぬくもりを感じる幸せな時間。でもこんな時間はそう長くは続かないのだろうなと思う。
未来へ向かう衝動
自分の身体に異変を感じたのは昨日のことだ。これはなんだろうか。ただだ無性に、南へ向かわなければならないという衝動的に沸き起こる感情。
7月下旬。35℃を越える日が続いている。まだまだ暑くなるだろう。でも、季節は確実に次に向かっている。日照時間は少しづつ短くなり、風の匂いにも違いを感じる。そうしたわずかな環境の変化が自分の身体に渡りの衝動のようなものを起こしているようだ。
僕は南へ行かなければならない。
でも、きっと父も母も、兄や姉も決して僕を導いてはくれないだろう。ある日突然、父も母も飛び立つ。兄も姉も。僕たちは自分の身体の中で「渡りの衝動」が爆発する時に飛び立つのだ。
どこに向かって飛んでいけばよいのか正確なことは分からないけれど、どうやら僕たちの身体の遺伝子にはあらかじめ飛ぶ方角がセットされているらしい。細かな場所までは行ってみなければわからない。父や母と同じ国に着陸することになるのか。もっと住みやすそうな自分の居場所を見つけるのか。
どこかで皆と出会った時、僕たちは互いに覚えているだろうか。
未来のことは誰も教えてくれない。すべて自分で見つけていくものなのだ。答えがあるわけでもない。精一杯、生きた結果が人生なのだ。
そう考えると覚悟を決めたような気持ちになって心が落ち着いた。不安は少しずつわくわく感に変わっていく。
僕は再び目を閉じて、南の海を渡る自分を思い浮かべてみる。
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<参考文献>
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