助けられて生きている
アリストテレスは言った。
ひととして生きる以上、他者との関わり、社会の一部としての生活が必要不可欠であることが、古代ギリシャの時代からわかっていたのだ。
インターネットが普及して、直接人の助けを借りずにものが手に入るようになったこの時代、ひととの繋がりが感じづらくなっていると言える。
高校を卒業してからの私は、コロナ禍という未知の時間を過ごし、一人でパリに行き、帰国して日本から受験してフランスの大学に入って、わからないながらも自分なりに奔走してきたつもりだった。
再び日本に帰ってきて、改めて3年間を振り返ると、全てが夢であったかのような非現実感を覚える。これまで自分が選んできた道は正しかったのか、この時間を無駄にしてはいないだろうか、不安で眠れないこともあった。
自分の道がわからなくなりそうな時、私は人に会うことが怖くなってしまう。迷っている自分が恥ずかしくて、他人に批判されるのが怖くて、なんとか自分の中で解決策が出るのを待つ。本を読んだり文章を書いたり、(今もそうかもしれない、、)なるべく人と会うことがない選択肢を選んでしまう。
でも悩んでいて、孤独で、不安な時、助けてくれるのはいつも周りの人たちであることにようやく気がついた。
直接的ではなくても、勧められた映画を見たり、本を読んで、(不思議とそんな時にぴったりな作品を、完璧なタイミングで勧めてくれる人がいる。)その中から新しい視点をもらったり、気持ちが前向きになってくる。悩んでいることを打ち明けた時には、無条件に励まして、応援してくれる人がいる。
そんな人たちのことを、私は大切に考えられていただろうか。それに気がついた時、私は周りの助けに感謝することも、気がつくことさえ、していなかったかもしれないと思った。
自分で悩んで、考えた気になっていたアイディアは、必ず誰かが与えてくれたものだった。
助けられたことを自力と勘違いして、一人で生きている気になっていた。不安なのは自分で、苦労しているのは私一人なのではないかとさえ思う時もあった。
孤独とは、助けがあるのに見ることができない、明るい部屋で自ら目隠しをしているようなものかもしれない。
目隠しをとれば自分が生きているだけでどれだけの人に助けられているのか、見えてくるかもしれないと思った。
自力では何もすることができない自分を認めて、助けてもらえることに感謝しながら生きていきたい。
tomo
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