見出し画像

人生の振り返り②

こんにちは^^ともねぇ❁**です。

9月に入り、少しだけ朝は涼しく感じてきましたね。

台風や豪雨など、災害が多い時期でもあります。

どうか、安全第一な行動をしてくださいね!


さて、前回は私の幼少時代のお話をさせていただきました。


今回は私と親との関係をお話ししていこうと思います。

本日もお付き合いよろしくお願いいたします。


  • なぜ健康に対して意識を高く持つようになったのか。

  • なぜダイエットをしようと思ったのか。


今度、どこかで紐づいていきますので、乞うご期待くださいね!!




❁家族との思い出

私は第一子、長女として誕生しました。

3歳年下の弟と2人姉弟です。

私の父は、母方の養子に入り、母方の祖父母と同居で生活していました。

いわゆる三世代世帯。母親にとって義理の両親ではなかったので、何というか・・・のびのびと生活をしておられました(笑)

父親はそんな状況でも何一つ文句を言わず、明るく優しい人柄で、人を笑わせることが大好きな人でした。

私と弟がおもちゃをおねだりしていると、父は母に内緒で買ってくれていました。しかし、後でバレて怒られても、笑ってやり過ごしてくれる、そんな優しい父親でした。


我が家は、旅行&キャンプ好きな家族でした。仲良しな家族3組で頻繁に旅行に行ったり、キャンプへ行ったりして、色んな体験をさせてもらいました。

旅行はもっぱら車移動。車中泊が楽しみの一つでしたね。

キャンプ時には川で泳いだり、釣りをしたり、キャンプファイヤーしたり。

ビデオをたくさん撮ることも習慣でしたので、親が撮ったり、私が撮ったり。

帰って見返した時、これは誰が撮ったビデオ⁈下手クソー!
なんて話しながら観ていました(笑)


その他にも、違う友人家族との交流もあり、バーベキューをしたり、そうめん流しをしたり、アクティブな家族だったのだと今では強く感じます。


そんな環境で育ったおかげか、いつしか社交的な性格の基盤ができたのだと思っています。今思うとかなり素敵な体験をしていたのだなぁ・・・



❁母との関係

そんな家庭環境の中、私と母親の関係をお話ししていこうと思います。

母親は明るく元気な人です。しっかりしているのですが、少し抜けている所もあり、我が家の中心人物には違いない存在でした。


自宅で和裁をしていましたので、学校から帰るといつも母がいました。

時に嬉しく、時に監視の目があるような気がして嫌だなと思う事もありました。
祖母は働いており、帰ってくるのは夕方6時ごろ。そして、父も祖父も続いて帰宅し、だいたい7時ごろ夕食を食べていました。


ごくごくありきたりな家族関係。仲が悪くもなく、平穏な家庭。家族との時間は当たり前として過ごしていました。

しかし、

私が成長するにつれ、母親と衝突することが多くなっていきました。


大前提で言っておきます!!


母親を決して「嫌い」ではないですよ。

だたちょっと思いのズレがあるだけなのです。


母と私の性格はよく似ているのです。

気が強く、口も立つ。感情的に口走るところとか、そっくりだと自覚しています。


しかし、決定的に違う部分があったのですね。

それは、

「思考」


母は神経質で失敗を恐れ、慎重に石橋を叩きながら進むタイプ。


私はチャレンジ精神旺盛で、失敗を恐れず道は自分で切り開きたいタイプ。


真逆ですよね。


はい、なので何かと衝突してしまっていたのです。


子どもながらに、何で?どうして?したい事をさせてくれないの?とか。
何で分かってくれないんだろう。やってみないと分からないよ。とか。


こんな感情がいつしか、ヒシヒシと湧いてきて反抗的な態度になっていきました。

そしていつも最後に言われる言葉が、


「親になってみないと分からない」


それを言われたら降参しざるを得ない。

なぜなら、まだ親になった事がないのだから。


こうやってどんどん私は、どうせ何か言ってもダメなんだ、とか、
失敗したら、「ほら言ったでしょ!」と言われる、とか。


それと同時に、どんどん自分の思っている挑戦を削ぐようになっていきました。

どうせ言っても反対される、どうせ、どうせ、どうせ・・・・・

自分の意見を言うものの、100%思いは通じず、

時にはあいだを取って半分半分の意見を取り入れることもありました。


今に至るまで、もちろん私の意見が通ることもありましたが、結局は外の世界を見させてはもらえませんでした。


そういった環境で育ち、現在は親元に近い環境で暮らしています。


母親に対してまだまだ心から赦していないかもしれません。



❁おわりに

最後までお読みいただき、ありがとうございます(❁´◡`❁)


母親にとっては娘の存在は特別なのだと思います。

それは理解しつつ、母親とこれからも向き合っていきたいと思います。


「私は私!」そう思うようになったきっかけを次回は書いていこうと思います。


ではこれで失礼いたします<(_ _)>


いいなと思ったら応援しよう!