誰がそうしなきゃいけないと決めたのだろうか。
「川とか海とか森とかの、自然界に存在するもの以外はすべて、人の手によって産み出されたものである。そして産み出されたものは、誰かのこうなってほしいという思いから出てきたものである」
書いているときはおはようございます。
もなりんです。
毎日、新しいことに触れていきたいと思えるようになりました。
その方が楽しそうですから。冒険しているみたいで。
過去に「毎日が冒険」というのも書いていたので、また張り出します。
それにしてもよくよく考えてみると、不思議なものだよなというのが実に多いですね。
「学校へ行くか、会社で働かなければならない」
「曜日は7つあって、そのうち5日間は仕事をしなければならない」
「◯◯のことをするには、こうしなければならない」
これらって、本当にそうなのでしょうか。
今しがた生活をリセットしたときに思ったことでもあり、本を読んでいての1文からもあります。
「立派な人になって世の中の役に立つ人間になるため。だから、あなたは勉強するんだよ」
今はこんな言葉が主流になっているのではないでしょうか。
「あなたが勉強していい大学にいくと、いい会社に就職できて、いいところの人と結婚できて幸せになるの。だから自分のために勉強するんだよ」(永松茂久 感動の条件 )
前者は昔の、いわゆる戦前の人の教育であったと話がありますが、後者は明らかに今生きている人達の教え方ですね。
いわば「こうしなさい」という手段が示されて、その通りにしなければならないという、周りからの洗脳で生きるようにとの在りかたでしかありません。
昔の人は、その辺りがわかっていたのかはしりませんが、少なくとも手段は問わず、何かの貢献のために生きるということを示しているのだと思えます。
となると。
周りにあるものというのは、少なくとも産み出される前というのはまずそうする手段がなかったでしょう。
そしてその手段を産み出したり、もっと多くの人に触れてほしいがためにつくられ、創造されました。
となると、時間も働き方も決められているという状態というのは、自然なことなのでしょうかね。
勿論、何も知らない状態からとなると「知っている人に教わる」という手段はあります。
それこそ、読み書きそろばんみたいなものでしょう。これらは最低限、今の世の中ではなくてはならないでしょう。
しかしながら、あまりにも周りに教えられて生きることに慣れすぎてしまうと何もできない人になってしまうのではないでしょうか。
だから、本当は決められたものは存在しないのではとおもいます。
それこそ、生き方とかは「自分で決める」ものであり、手段は問わずに人に役に立つようにする。
それだけのことではないでしょうか。