選んでいるのは、いつも自分
刻一刻と、毎日何かしらの変化が出ていますね。今までの生活がまるでなかったかのように、これまでの価値観を無にするかのように、世界は変わろうとしていますね。
ただ、そんななかでも変わらないものがあります。
それはなにか?
「自分で決める」
ということを選ぶということです。
どういうことか。
今の世の中を例に出します。
コロナで大分騒がれていますね。
そして自粛しろと周りの人間は色々訴えているわけです。
「感染を広めるな」
「外に出たら危ないぞ」
「マスクはしろよ」
とか。
そこで、じゃあその通りに皆がみな同じように行動するのかというとそうではないでしょう。
ここに、それぞれが
「各個人で行動を選択している」
のですから。
先の例では、周りの声に合わせて行動を自粛する選択をするのはその人自身。
声に反発するかのような行動をとるのもその人自身。
その行動の結果、生じることもその人自身の選択の結果から生じることであり、さらにそこから何を選択するのかもその人自身です。
リモートワークで在宅で仕事をしなさいということになっても、そうはならずに外に出ざるを得ない仕事を選んでいるのもその人自身です。
行動を選択するのは、何もそんなに大きいことばかりではありません。
ふとしたことでも、無意識的に「自分で選んで」行動しているはずです。
朝起きるかどうか、起きたら何をするか、ご飯は何を食べるか、何のニュースをみるか、何時に家を出るか…。
全て、自分で選んで決めているはずです。
例え「いやいや、ご飯とか親が出しているし、服とか買わされたものを着ているわけだし、そこに選択とかないじゃん」というかもしれませんが、
別にこれらのだって、朝ごはんを拒否するという選択もできるわけだし、服もしかり。
欲しいものがあるのなら、自分でお金を稼ぐという手段を選択できますし、かくいえば親にねだるというのも選択です。
今の世の中、中学生でもお金を稼いでいる人がいるくらいですから「義務教育中は親に依存する」という選択肢以外も出てきますね。
こうしてみると、自分にももっとできることは色々あるはずです。
ただ何を選んだかで自分の身の回りが変わってくるだけです。
(かくいう自分も、こうして書いている以上常に受け止めて自分の行動を選択しているというのはわきまえているつもりです。少なくとも人のせいにするというのは大分減ってきました。)
自分の生活をよくするために、自分自身で選択をしてみましょう。