次世代の医療は?
「治す」ことから「予防する」の社会へ。
これは、今自分が学びに行かせてもらっているところのキーワード。
人が病気になる前に、何ができるのか。
そうなると、あらかじめいい環境のなかで生活を行えているようにすることである。
どうも、おはようございます。
月曜日の朝イチから変わらず、もなりんです。
今回も普段通り書いていきますが、ただ書くだけでは、読む人にとっては面白さの欠片もない。
書きながら、考えてみます。
前回は、「医療でなぜ使う側は受け身になるのか」というところで、「そもそも受け身になるような教育を受けたから」ということを書きました。
前回のは↓のとおりです。
よかったら見てください。
「病院へなぜ行っているのか?」の根本|もなりん @tomomontt #note https://note.com/tomomonttbb/n/n4041f8bd4bc8
それで思ったのは、「いかに自分の体や考え方に気づいてもらえるか」ということというのは、どのタイミングでできるのかということです。
普段からいい人間関係を築いて、仕事や私生活が楽しめて、かつお金にも困らないというのであれば、小さい頃から身体的に障害を抱えていない限りはあまり困らないでしょう(障害を抱えていたとしても、そういうものと考えられればその人にとっては幸せなことかな)。
そんな人には医療機関のお世話にはあまりならないでしょう。
ですが、どうも世の中不平等なことが起きているとでもいいますか、なんとも皮肉なことを示しているなというのが起きています。
それは、「周りからみると本当に体をよくして欲しい人に限って、よほどのことがない限り自分から情報をとりにいかない」ということです。
すでに健康に意識がいっている人は、その情報を自分でも取りに行って、学びに行っています。そして実践している人もいます。
けど、そうじゃなくて、明らかに体調をおかしくしているように見える人には、それこそ入院とかしない限りはあまりにも無頓着ですね。
いや、それこそ、入院したとしてももとの生活を過ごすとなるとその生活習慣が入院の原因になるにも関わらずおなじことを繰り返すのでしょう。
これは、他人が言っても治らない、医師がつける診断とはまた違う「病気」なのでしょうね。
だとすると、どういう風にすればいいのか。
それこそ、「その人の周りの環境」を変えられるようにするしかないのです。
「予防」ということを、周りの人が常に意識せずともにできるようにするしかない。
何がどう、というわけではなく、身近なところから少しずつ、変えていくしかない。
それが、これからの社会、これからの医療なのかと学んでいます。
※うん、笑いの要素まるでなし。
また抽象的になりすぎる。
ただ、わかる人はわかる。「これができるなら予防になる」と。
先に与えておくこと。
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