なぜ、世の中は忙しくなったのか

「そりゃ、そんだけ『やらされたら』、やりたいこともできなくなるわな」

書いているときは、おはようございます。

もなりんです。

昨日は時間というものについて書いてきました。

「忙しい」という人のことですね。

24時間という、1日というものを勝手に誰かが定めた「時間」という概念のなかで縛られた生き方をしなければならないということ。

確かに何か基準がなければ決められないことがおおいのでしょうが…。

それにしても、ちょっと思ったのです。

「なんで、こんなに忙しいということを連呼する人がいるのか」
と。

漢字では、「心」を「亡くす」とかく。

まさに、「心が亡くなるくらいなにかをしている」という状態。

とはいえ、今の人たちが没頭してやっているかというとそうではないと思いますね。

特に普通の学校教育を一生懸命受けている人達は。
(かくいう自分もかつてはそうでした。まるで時間が迫っているかのように。)

学校では、1日学校で授業して、放課後は中学生以降は部活動か、塾かバイトか。

最近は学校に行かなくても普通のサラリーマン以上に稼ぐ人もいるくらいですが、ここでは一旦置いておきます。

小学生でも受験のために塾に行かされたり、あるいは別の習い事をしたりさせられたり。

で、周りの大人は会社にしても何にしても、リモートワークとか自営ではない限りは1日勤めてきて、帰ってきてからは体はクタクタになる。そうして休んでいるうちにもう翌日。

別にそれが「悪い」というのではないのですが、どうも感じるのが。

「そうやって、型にはめられてしまうものが繰り返されるのか…」

ということです。

しかも。

それが、あたかも「正しいこと」かのように教え込まれてしまうのが恐ろしいところです。

本当はやりたいことが一杯頭のなかにはある。

けど、それをさせてもらえない。
してはいけないと叩き込まれる。
常になにか「やらなければならない」ことがある。

そうしていくうちに、「忙しい」をつかうようになる。

ビジネスもそう。
あれとが語源がbusy+nessですから、まさに「忙しい」と言っているものです。

世の中それが好きな人もいますので否定しきれないのが現実ですが。

そうして、やらなければならないことが終わった頃には、残された時間は少なくなる。
やりたいことなんか、できる時間がない。

そうして、毎日が過ぎてしまう。

これが一般的な見方なのだとしたら、やはり変えられないかなと思いますね。

だから、正社員を辞めたというのはありますね(勿論保険とかお金のこととかのリスクははらんでいるので万人には勧めませんが)。

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