見えなかったものが見えた瞬間、そこは淡路の駅だった。 (AMO #1)
バレエと暮らしを近づけるアパレルブランドを立ち上げるぞー!と言い出してからはや1年。
それを「やる」ことはどこか自分の意思とは関係ないところで決まっていてご縁でブランドに携わってくれる人にもたくさん出会って、
立ち上げに向けてすこーーーーーしずつ進んではいたのだけれど
なんだか形になるところをイメージしても
モヤがかかったみたいにぼや〜〜〜〜〜っとしていて
ん?はっきりと想像できないということは
これはここまでしていてどこかでボツになってしまうのか?
でもこれは何がなんでも
少しずつでも
進めていかなきゃいけないということが
どこかで決まっている気がするから
やめてはいけないのは知っているんだよなあ
なんて不思議な感覚で少しずううううううつ進めていく。
なかなか縫製工場が見つからず、
もやもやも晴れず、
でも、やることは決まってるんだよなあ、、、
でも、もやが晴れない限りきっと進まないんだよなあ。。。
という状態が続いていた
ある日。
バレエの指導のお給料をもらい、
カバンの中のお給料のことを
電車で帰りながら考える。
自分の仕事の報酬に対する気持ちを考え出すと
お金という物質をもらっているという感覚。
ん?でもお金をもらうってお金をもらってるわけじゃなくて
その時間から生まれたありがとうの気持ちが
お金になって出てきてる訳であって
だから自分の指導のお仕事で生まれるお給料も、
アパレルの方で生まれるであろう報酬も、
本当はお金をもらってる訳ではないんじゃないか?
と。
そうすると急に、
私が作った洋服を買って、着てくれて、
この洋服になんだか背中を押された気がしたんです、ありがとう。
と素敵すぎる咲き誇る笑顔で言ってくれる女の人の映像が頭にぽっと浮かぶ
不覚にも、淡路の駅で電車を待ちながら嬉しくて、泣きそうになる。
あ、そうか、数字のことを考えなきゃな、なんて焦っていたけれど
服を作る先には、自分が作るものでちょびっとでも背中を押されて幸せ、と言ってくれるヒトがいるんだな、と。
生活していく上でお金の管理も必要だし、
ブランド立ち上げにかかる費用も
数字として把握していかなきゃいけないわけで、
数字のことをきちんと考えなきゃって思ってたけど
そう思いすぎて一番大切な部分を忘れていたことに気づく。
今は自分が作る服の未来を考えた時のもやはなくなって
びゅんびゅん話が進んでいる。
とても不思議だけれど、
きっと大切な部分を忘れたままブランドを立ち上げてしまわないための
ロックだったんだなと思う。
芸術にできることはたくさんあるけれど、
本当にそのポンと浮かんだイメージのように
私が作る服で何かしら一歩踏み出したり、
自分に自信を持てる女性が増えたら幸せだなあと思う。
らぶ。