見出し画像

普通のおばさんの頭の中

noteの記事はずっと読む側でした。

私は、創作活動をしてるわけでもなく、世の中に発表できるような何かを持ち合わせているわけでもないそこらへんにいるただのおばさんです。そんな普通のおばさんの頭の中をだれも見たいとは思わないと思いますが、自分の気持ちとか頭の片隅に留めておきたいこととかをどこかに書き留めておこうかなとnoteを始めてみることにしました。

noteの存在はなんとなく知っていましたが、頻繁に読むようになったのは東京の武蔵小山にあるkenohiさんのサークルに参加したことがきっかけです。
他に知り合いや好きな作家さんが書いておられるnoteも時々読んだりしています。その中から共感できることを見つけたり、忘れていた感覚を思い出させてもらったりしています。そしてこのコロナ禍の中で今まで以上に家にいる時間が増え、パソコンに向かう時間が増えたこともnoteをじっくり読むきっかけになったかもしれません。

忘れないうちに・・・

いざというとき、たとえそれが貧乏くじだとわかっていても、進んでその貧乏くじを引きに行って、ダメージを最小限に抑えながら、それでも避けられないダメージの、その責任をとるのがリーダーなんじゃないのか。そのためにリーダーはいるんじゃないのか。そのために僕らは任せているんじゃないのか。(浅生鴨さんのnoteより)

この書き込みを読んで、同じようなことを教えてもらったことがあるなと思い出したことがあります。

「例えば会社の社員旅行で、幹事が犠牲になって裏方に徹する事で、みんなに満足してもらえる」みたいなことでした。

実際に300人くらいの一泊二日の旅行のお世話係を夫婦でしたことがありました。企画が立ち上がった時からいろんな打ち合わせや関係各所との折衝、お手伝いしてくださる方々との打ち合わせ等々、数か月にわたっての準備期間、また当日もたくさんの方々の協力を得て無事旅行を終えることができました。その二日間は個人的に楽しむということはできませんでしたが、それ以上にたくさんのことを得ることができました。
参加されたみんなに楽しんでもらおうと準備してきた旅行が、誰か一人でも不満の気持ちが大きければその旅行は成功だったとは言えないと思うのです。誰かの不満を幹事が一手に引き受けて、その場の気持ちを収めてもらうこと、それでその人の不満が小さくなるのなら、喜んでそうしようと私はその時思えました。そうすることで、今度自分が逆の立場に立った時に、相手の気持ちを少しは察することができるかなと思えました。
いろんな人がいるから、みんな思い思いのことを言います、私も含めて。それぞれの立場でそれぞれの言い分があるからどれが正しいとかはないのかもしれません。その中でどのタイミングでどこに落としどころを見つけて気持ちを収めてもらうか、自分の気持ちも収めるか・・・これは団体だけではなく、対個人にも言えることかもしれません。もっというなら夫婦や親子関係においても。

娘に「人生って理不尽との戦いやな」って言われたことがありました。何かの本で見かけた言葉だそうです。娘はこの春から社会人一年生の22歳。私の知らないところで理不尽な思いを経験してきたのかどうかはわかりませんが、少なくとも私の22歳の時とは全く違います。突然やってきたコロナ禍の真っただ中で、大学の卒業式も、会社の入社式もなくなり、研修はリモート研修、配属もいつになるのかわからない。それでもちゃんと4月1日からのお給料は保証されているという恵まれた環境に感謝してほしい。
天災も人災も疫病もある日突然やってきます。今から起こりますよとは誰も言ってはくれません。どんなときも目の前で起こることを受け止め「わざわい転じて福となす」の精神で物事に対処していってほしい。そして私もそうありたいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?