見出し画像

遠くを眺める

わたしの地元は畑や田んぼがたくさんある。
田畑のある空間は高い建物や壁がないので、空が開け遠くまでよく見通せる。綺麗な三角形の大山と、丹沢の山並みが静かにそびえ立つ。

田んぼが一面に広がるエリアに3年間通った中学校はあった。高い建物、というか建物自体その古びた校舎以外にほぼ何もないので、遠くからもその古びた校舎がよく見える。

家から片道30分の道のりを歩いて登校した。その道のりの大半は田んぼの横にある畦道で、風に吹かれながら歩いた。
遮るものがないのでとにかく風が強かった。

煽られてよろめき膝下まである重たいスカートはバサバサと降りみだれ、髪の毛はボサボサになる。雹が降った時は容赦ない勢いで氷の塊が当たる。

田んぼには初夏になると水が入り苗が植えられ、日に日にすくすくと成長していく。稲が伸びてきた初夏の田んぼは風が吹くと稲が波のように揺れる。一面に広がる水田を風が波のように走り抜けていく。その光景を授業中にぼんやりと眺めるのが好きだった。

山並みや田園風景、遠くを眺めるという身体体験が日常に溶け込んでいたんだな。と最近よく思う。

東京にはなかなか遠くがない。
建物のすきまから小さなスカイツリーがちょこんと見える体験とは違う。自分が今立っているところから遠くに見えている風景までが繋がり広がっている、あの地元での感覚はいまの日常にはない。いま住んでいる場所の最寄駅は再開発真っ只中だ。巨大なビルが駅の反対側に建てられ、高くなっていく青黒いビルで日に日に空が狭くなっていく。

隅田川沿いを歩きながら、離れた向こう岸に広がる高層ビルを眺める。地元で味わっていた感覚とは違うが、開かれた空間に揺れる川の小さな波、歩いてきた距離が視覚で確認でき環境の一部であるような体験、もしかしたらどこか近しいものがあるかもしれない。とも思う。
ビルのその遥か先を眺める。

いただいたサポートはダンス公演などの活動費として使用させていただきます。