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いちばん長い旅(5)

もし始めから読んでみたければ、こちらからどうぞ。


一年という期間限定で始まった海外生活もいよいよ終盤に入った。

そのころには、一年前には新鮮で少し違和感を覚えた風景も、私の中で心地よい、こなれたものになっていた。当初は華やかで賑やかな側面しか見えていなかったけれど、やがてどの土地もどこかに影を孕んでいることも知った。そして気がつけばローカルの友人知人もできて、Nativeの話す英語の音も意味をなすようになっていた。

カレンダーに記されたオーストラリア生活の最終日を横目でみながら、日本を離れる前のこと、この地に着いた時のこと、英語での生活の日々、日本にいたら出会うことのなかった人達、海外で何をしたかったのか、そして何を得たのだろうかとつらつらと思いをめぐらせた。

会社へ出した休職届の目的欄には、”Businessで使える英語を身につけること”、と記入していたように思う。海外生活がはじまると、毎日の生活が楽しくて、試験勉強や試験に時間を費やすのが、なんだかもったいないように感じた。だから、結局試験を受けず、Certificateという形で証明することはしなかった。でも昔から持っていた英語への抵抗はすっかり無くなっていて、英語を日常の中で使うことが楽しくなっていた。以前なら避けていた(日本人から見た)外国人とも、構えることなく英語で話す度胸もついた(というより、必要に迫られて慣れた)。

英語力の向上以外は、特にこれといってキャリア的に成果を説明できるもがないことに気がついて、会社に提出する書類にどうやって一年の成果を説明しようかと、頭を痛めた。とりあえず明確な成果とは言えないけれど、”異文化での生活経験、多文化交流と他文化の理解の深まり"、でお茶を濁しておこうという考えに至った。当時の企業はまだまだこういった、仕事に直結しない経験はあまり評価していなかったので、これで大丈夫かとちょっと不安になった。

そして再開する日本での生活を思った。わたしがいた部門は全く英語が必要なかったし、英語を使うとちょっと扱いにくいと思われる節もあった。英語をもっと使う部門に移動願いを出そうか、それともそもそも移動させてもらえるのだろうか?せっかくに身につけた英語を、日本でどうやって維持していこうか?それとも一年の海外生活の思い出と共に、英語でのCommunicationの楽しさも徐々に色褪せてくるのだろうか?そんな思いが私の中に広がっていき、一気に心が萎んでいった。

そんな沈んだ心の底に、”わたしの本当の目的は、日本で作り上げた生活とは全く関係ない生活を、誰も私のことを知らない土地で0からはじめることだった”、という思いが横たわっていたことに気がついた。そう、日本という枠組みから離れた世界を見て、感じて、自分がどこまでやっていけるのか、また何か変るのか、それを試したいだけだった。

海外で生活して、英語でCommunicationをすることになって、何か変わったのだろうか?そう思ったとき、ふと英語学校の先生に日本語で日本向けのマーケティングのプロモーションビデオで話してくれと、頼まれたことを思い出した。なぜ何人もいた日本人生徒の中からわたしが選ばれたのか、と不思議に思いながらも了解した。久しぶりに躊躇なく言葉が出てくる爽快感。でもなぜか、耳から入ってくる自分の話す日本語に違和感を覚えた。その先生は日本語が堪能で、”君は日本語で話すときはニュースキャスターみたいだね”と、収録後に言われた。

どうも拙い英語で話すわたしのイメージからは、かなりかけ離れていたらしい。難しい英語の言い回しを当時はまだ使えなかったから、率直かつ簡潔に話をするしか無かった。I want, I don't want, I like, I don't like, I can, I cannot… そんな風に日々話しているうちに、自分の思いをそのまま伝えることに慣れてきた。また、
自分の意見をさらっと言う人たちに囲まれて、そんな話し方を自然と身につけたのかもしれない。それとも違った言語や環境によって、自分の中に眠っていた、別のペルソナがActivateされたのだろうか。とにかく一年後の私は、自分の意見を以前に比べていえるようになっていた。

そしていろんな国から来たさまざまなBackgroundをもった人たちとのやり取りの中で、それまでの生活環境や経験、Cultural Backgroundを基に、それまでに作り上げてきた個人のLensを通してみんな物事をみていることに気がついた。だから同じものを見ていても、違うことを感じて、違うように解釈して当然。また面白いことに、オーストラリアで出会った日本人の間でも、違うことに感動したり、違う解釈をしていることにも気づいた。だから、他の人のLensを理解することはできても、それに完璧にあわせることはそもそも無理で、それは意味のないものに思えてきた。だったら、自分のLensに焦点を合わせた生き方をした方が自然なように感じた。

そう気がついた時、どこまでも広がる、底抜けに青いオーストラリアの空が心の中に広がって、何だかワクワクとした。まだ私のLensがどんなものなのかよくわからなかったけれども、少なくともそれまでのマクロレンズから、少し周りを見ることもできるLensが加わったことは確かだった。そして今まで見えていなかったものが見えて、新たに興味をそそるものや考えが湧き上がってきた。そんななかからどうやって、自分にあうものを見つけていくのかという、また新たな旅がはじまった。

そしてわたしは半年後に日本での生活に終止符をうって、オーストラリアへ戻っていった。語学留学とは全く違う、一人の移民としての生活。立ち位置が変わって、同じ場所にいても見えるもの、経験するものが変わった。そしてそれに伴ってまた、こんなこと移民の自分にできるのだろうか?自分がやっても良いことなのだろうか?これは本当に自分がしたいことなのだろうか?と気を揉む。時には物珍しさや新鮮さにLensが曇って、時にはその国や地域または組織の中にある雛形に、又性懲りも無く、無理やり自分をはめ込んでみることもある。

必ずしもShort Cutではないけれども、というよりも遠回りしているような感じだけれども、まったく知らなかった場所を訪れたり、人に会ったり、想像もしていなかった経験をしながら、少しずつ自分のLensで見えるものが広がっていく感覚はとても心地よい。そしてその中からFocusしたいものを感じ取り、自分に合うものに寄り添っていくProcessが、私にはなんだかしっくりときている。

スクリーンに映っていたQuoteが再び目に入ってきた。

“The longest journey you will ever take is the 18 inches from your head to your heart.” - Andrew Bennett

まだまだわたしのJourneyは暗闇が訪れたり霧がかかったりするときもあるけれども、少しは見通しが良くなってきているように思う。

Photo by Noah Rosenfield on Unsplash

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