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未来と地下を彷徨って

今日の思い出話は、もしかしたらだいぶ引かれるかもしれません。

70年代後半、私は小学2年生でした。
私はしばしば想像の世界に行っていました。

思い起こせば初めて行ったのは、ドラえもんのコミックを読んで、未来の世界を見たのがきっかけだったと思います。

心がときめいて、
私がそこに住んだらどんななんだろう?
思いを馳せました。

その想像があまりに楽しかったので、現実がつまらなくなると
「未来に行っちゃお!」
未来の自分の家を想像し、想像の中で生活してみました。

そこでは、雨が降っても傘はいりません。
人はみな、外では大きなシャボン玉に包まれて快適に過ごしています。雨の中をスキップしました。

同じ頃、もう一つ想像の世界で夢中になったものがありました。それは、地下に『どんな災害からも守られる場所』を作ることでした。

初めは地下に、自分の部屋だけを作って想像の中で楽しんでいました。でも徐々に家族の部屋、クラスメイト、クラスメイトの家族…人が増えていきました。一人一人の部屋を作りました。

地下の世界では食事はボタン一つで、好きなものが出てきました。私にはよく温かいナポリタンや、旗の立ったオムライスが出てきました。想像の中のみんなは、そのシステムにとても喜びました。ここはとても安全で素敵な所だ助かったと口々に言っていました。

日に日に地下の世界は賑やかに大きくなっていきました。

想像の世界に行くのは、退屈で時間をワープさせたい時。例えば雨の日のひとりの帰り道でした。

「今日は未来にしようかな?
 それとも地下にしようかな?」

行こうと思っただけでワクワクしました。そしてどれだけでもその世界に居られたのです。つまらなくて傘がしんどい長い雨の道は、想像しながら歩き、気づくと家の前にワープしているようでした。

だんだん想像の楽しさに拍車がかかり、そのうち気がつくと授業中にも知らないうちに別世界に行くようになりました。
いつも目は開いて黒板を見たままです。
その間は授業を何にも見てないし聞いてません。気づくと、くり下がりの引き算のはじめの部分が終わっていたり、なぜみんな急に立ち上がったのか、並んでどこへ行くのか全く分からずポカンとしているのが、日常茶飯事になっていました。

途中から、未来の世界より、地下の世界の方が、どんどんゼロから作っていけるので、楽しくて夢中になりました。気づくといつも私は地下の中にいました。

よし、今度は地下に街をつくろう。
どんな街にしようかな。

そこで、私の小学2年生が終わりました。

小学3年生になると、先生とクラスメイトがガラッと変わりました。30代後半の隣の小学校から来たばかりの女性の先生でした。

3年生になりたての2日目のこと、2年生の時から使っているマラソンカードが無くなっているのに気がつきました。

それまで先生に話しかけた経験が一度もなかった私は、空っぽのファイルを無言で先生に見せました。これで新しいカードをくれるかな、なんて思っていた矢先、

『パーン』

私の頬に強烈な先生のビンタがとびました。
(今じゃ考えられませんけどね)

先生がこう言いました。
「カード無くしました。すみません。
新しいカード下さいって何で言えないの?」

私はビンタの衝撃と共に
「こういう時はそう言うんだ、知らなかった」
と思い、
そしてなにか目が覚めました。

新しい先生の授業は緊張感漂っていたけれど、とても面白かったんです。
それに以前の私のようにぼ〜っとしたりよそ見していると、チョークがその人目がけて飛んでくる授業でした。それはなんと参観日でも誰かに飛びました。
(これも今じゃ考えられない光景)

私は無くしたマラソンカードの分を取り戻すかのように、言われたわけでもないのに夢中で毎日休み時間に校庭を走りました。

気づくともう未来も地下も行かなくなっていました。何度か行こうと思いましたが、その先には進めなくなりました。きっとその頃は現実の方が魅力的になっていたんでしょうね。

今でも、未来と地下の世界は、あの日の途中のままです。開発は進んでないけれど、その景色はすぐに浮かびます。愛しくて不思議な私だけの世界。あのままだったら私はどうなっていたんだろう?地下世界はどんなふうになっていたんだろう?なんて思います。

今日も、とりとめのない変な思い出話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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