発表しない芸術活動のススメ

クラリネットを始めてわずか2年余りの吹奏楽部員だったとき、初心者集団の中学生にはとても吹きこなせないような「難曲」でコンクールに出場した。若さゆえの体力と根性に物を言わせ、ありあまる時間のすべてを注ぎ込み、たった7分の曲のために部員全員で毎日何ヶ月もの練習を重ねた。一音ずつ音をとり、つなぎ合わせ、テンポを上げた、青春の断片を押し込めたような一曲を、広いホールで三度演奏した。いつもと違うステージ、照明の眩しさ、客席のざわめき。不思議と緊張はしなかった。曲が始まってしまえば、目に映るのはいつもどおりの制服で座っている仲間たちと、真っ黒に書き込んだ譜面、それから、いつもよりちょっとだけおしゃれな指揮者の先生だけだったのだ。「あれだけ練習してきた」という自信と「いつもどおりやれば大丈夫」という安心感。「私たちの一夏の頑張りを聴いてほしい!」という気持ちも少なからずあった。あのコンクールがなければ、私たちはあんなに上達しなかったし、私がクラリネットを続けることもなかっただろう。

音楽に携わる多くの団体は、コンクールや演奏会などの「発表の場」を大切にしている。「人前で発表しなければ上達しない」といわれることもあり、どこの教室でも団体でも、なんらかの発表の機会を用意しているものだ。そうした場の貴重さは、私も身にしみてわかっている。問題は、参加し続けるにはそれなりの費用がかかるということだ。これまでに参加してきた多くの演奏会の参加費用は2〜3万円ほどでだいたい年に2〜3回だ。月々の団費やレッスン費よりも高いお金があっという間に消えていく。先日は、6歳の娘が通い始めたばかりのバレエ教室から「発表会費用は1曲3万円+衣装代」というプリントが配られてクラクラしてしまった。どうやらバレエやダンスでも事情は似たようなものらしい。自由参加の場合もあるけれど、演奏会や発表会への参加が活動参加の条件になっていることも多々ある。芸術活動にはお金がかかるもので、それが払えないと続けられないことさえある。実際、私は一度、アマチュアオーケストラの入団オーディションに合格はしたものの、海外演奏旅行の費用が工面できないと感じて、入団自体を諦めたことがある。そのときは「好きなことを続けるためのお金を惜しんでしまった」と、好きな気持ちにケチがついたような、自分を責めたいような気持ちになった。

それでも、ときおり演奏会に出演しながら、長年クラリネットを続けてきた。金銭的な負担を感じることはあっても、「団体で音楽を続ける=演奏会に出演する」という構図自体には大きな疑問を抱いたことがなかったのだ。けれど、去年になって、ようやく気づいた。私はクラリネットは続けたいけれど、高いお金を払ってまで演奏会に出たいとはもう思っていないのだ。

新型コロナウイルスの影響で、「発表の場」は激減した。私が関わってきた音楽団体のほとんどがコンサート中止を経験し、活動は大きく制限された。職場や教育現場が急速にオンライン化に対応したように、音楽団体ではリモート合奏や演奏会動画配信が流行した。そんななかでも対面での合奏を続けるための「苦肉の策」として、有志のメンバーで少人数のアンサンブル活動が始まった。誘われるがままに何の気なしに参加したのだが、これが予想外に楽しかった。

アンサンブルの活動内容はとてもシンプルだ。会場を借りて、5〜6人で月に1回程度集まり、自分たちで決めた曲を練習するのだ。市販の楽譜を買ってきたり、昔演奏した譜面を発掘したり、ときにはメンバーが自ら編曲した譜面を用意してきたりよする。人数が少ないアンサンブルは、それぞれのパートに明確な役割があって吹きごたえがある。何回か練習を重ねるうちに、それぞれの人の演奏のスタイルがわかってきて、合わせ方で演奏が変わる面白さが生まれた。自分一人だったらこうは吹かなかったけれど、この人と合わせると違う吹き方になる。そんな新しい演奏を見つけると、なんだか嬉しくなってしまう。「この箇所はこんなふうに吹いてみたい」という提案が全体にできるのも、呼吸だけで全員の音を合わせられるのも、大きな団体ではなかなかない機会だ。最近では、新しいことをやってみたいという欲が出てきて、「この場所でだったら」と前々から吹いてみたいと思っていたアルトサックスにも挑戦し始めた。会場費は毎回数百円程度と、これだけで2つの楽器分の音楽活動が続けられてしまうとは驚きの金額だ。

こうして気心の知れた人たちと、定期的に曲を合わせる場所を手に入れてみてはじめて、自分が音楽の何が好きだったのかに気がついた。一人で練習するのも好きではあるのだけれど、やっぱりクラリネットは人と合わせるのが楽しい楽器だと思うのだ。ピアノみたいに同時に複数の音を出すことができないから、たくさんの人数が集まって音楽の一部ずつを担当し、合わせて一つの曲にする。自分の少しの工夫や努力が、いい曲にほんの少しの貢献をする。「ほんの少し」をみんなで積み重ねるために、それぞれが練習に励む。すべてが自分の思い通りになることはないけれど、だからこそいつも新しい発見があって、ここにしかない音楽が生まれる。そういう演奏をするのが好きなのだ。

それはなにも、何万円も払って大所帯の演奏会に出演しなければできないことではなかった。「当たり前じゃないか」と言われるかもしれないが、音楽団体に所属したら演奏会に出演することこそ当たり前だと思ってきたのだ。多くの音楽団体は演奏会の開催を活動目標にすえているのだから、団員が演奏会に出演することも費用を負担することも当然のことなのである。だから、コロナ禍で「仕方なく」アンサンブルが発足するまで、「本番を目指さずにただ曲を合わせるだけ」で人を集めることができるなんて思い至りすらしなかった。

だけど、よく考えてみれば、そんな団体こそが、今まで必要とされてきた団体だったのだ。きっとこれまで、たくさんの人がお金を理由に芸術活動の継続を諦めてきた。舞台でしか得られない成長や喜びもたしかにあるけれど、アマチュアとして活動を続けようとする人全員が、年に何度も舞台に上がりたいわけではないはずだ。発表はしたくないけれど、誰かといっしょに、まるで本番が控えているかのような真剣さで練習がしたい。趣味の世界では、そんなささやかな「わがまま」くらい許されてもいいのではないだろうか。ただその場を楽しむことだけを目的に集まったっていい。今の私に必要なのは、まさにそんな場だった。

「コロナ禍が終わったらリモートワークをなくしたい」「早くも元のような生活をしたい」と言う人がいるように、音楽の世界でも「早くコンサートをしたい」「もとのような活動をしたい」と思う人もいるだろう。せっかく見つけ始めた音楽との新しい付き合い方が、いつまで続けられるのかはまだわからない。だけど、発表するあてもない曲をみんなで練習する楽しさを、今は知っている。コロナ禍で偶然見つけたかたちだけれど、おかげできっと、もっと長く楽器を続けていける。今はそんな気がしている。


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