「虫食」のひとつ「蜂の子」(ヘボという地蜂の巣から、ピンセットや箸で蜂の幼虫を取り出す作業の記憶)、昔は貴重なタンパク源であり、蜂の子採りは大人の男性の遊びだった。
何歳の頃か記憶にないですが、親父が、「ヘボ採り」に行くと言って、仲間と、早朝車で、出かけて、夜帰ってきた。
そしたら、新聞紙に包まれた、段々になった、蜂の巣を、「採ったぞ!」と自慢げに、持って帰ってきた。
大人の男性の遊びらしい。どいう採り方なのか、うっすらともわからない、蛙を捕まえて、その肉を吊るして、蜂を誘き出す・・。その蜂に綿をつけて、巣まで追っかける。それから、煙幕を用意して。
それ以上は、現場に行ってないので、全くわからない。
女子供の仕事は、ピンセット、箸で、蜂の巣から、幼虫をひたすら取り出す作業。まだ、動きが鈍いから、大丈夫だけど、逃げ出そうと、ハミハミしてくる。そういうのを、嫌がらずに、せっせと、ひたすら、取り出す。ボールに集めて、それからの料理方法も、正直わからない。
母に聞いたら、湯通しして、煮つけたようだが、もう覚えてないと。
「押し寿司にして食べたら美味しかった・・」
やっぱり、薄らぼんやり記憶に、黒の蜂の子がのっかっている押し寿司をこれなんだろうと、考えもせず食べていたような。
(押し寿司とは、秋のお祭りに、木枠に酢飯を入れて、お好みのその時の具材をのせて、蓋をして、圧をかけたもの。食べる時は、枠から出して、一口大に切り取る。苴(かいしき)を昔は使った。)
子供は、親が食べるものを見て、安心して食べるのだから。よほど、チビの時だったような。
父や母だったら、幼虫でもパクッって食べていた。
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そんな体験から、子供心にしては、大人の食べ物に見えて、それ以降なかなか手が伸びなかった。
蜂の巣から、生きた幼虫を引き出すだけでも、おお〜だったから。
嫌な顔をすると、怒られるし。それは、ある程度、「蜂」と意識、「虫食」ってわかるようになったこともある。
やっと、蜂の子の味を知るようになったのは、30過ぎ、結婚してからだ。ぬる燗で、差しつ差されつ、チョビチョビとお猪口で日本酒のアテに。それが、大量ではなくて、本の少しだったからだと思う。
一般社団法人長野伊那谷観光局(産直新聞社より)
(私の説明よりも、わかりやすくて、読んでいても、面白かったのです。実家の地方の方言で、「ズクがない」(根気がない)も出てきますし、うちの親父たちは、地蜂を求めて、どこへ彷徨っていたのか、皆目検討つかず)
農薬を使うようになって、地蜂も減ったし、蜂の子ハンターも少なくなったことでしょう。親父は、独身時代は、猟銃をかついで、キジ撃ち、子供ができると、命を育むものが命を撃ってはならぬという戒めのため、猟銃を返納したそうです。だから、その猟の感覚が蜂の子ハンターに近いものがあるのではないのだろうかと、思います。
地蜂とは、1.5センチほどの黒っぽい小さな蜂で、地面に巣をつくるという。