秋のお祭り・・田舎の風景
10月13日、お天気も良く、各地で秋祭りのようでした。
実家の庭仕事の片付けもあり、行き来してました。
実家のある田舎では、熊野神社のお祭り?あまり詳しくありませんが、愛知のオマント(馬の塔)の系列のようです。
母は、足腰が悪いので、御神輿が来る時間が、朝九時と、検討をつけて、ご祝儀袋も前々日から準備。
当日は、お天気がよく、早めに、手押し車をコロコロさせ、庭先を行ったり来たりしていた。
私は、母の様子を見ながら、外堀のツツジの植木からナンテンが中途半端にニョキニョキ出たものを小さなのこぎりで元から切って、庭に放り込んでいた。剪定ゴミを、井戸のそばまでまとめておいた。
それから、音録と、カメラの準備。
もしかしたら、過去形になるかもしれない風景と、音かもしれない。
そんな思いでした。
母も、必死でした。午前中は辛うじて足は動きます。午後になると、足がむくみ始めて、動きがさらに鈍くなり、「ダメ、手伝って!」と、乾いた洗濯物を物干し竿から外し、回収するのを手伝います。
町内を子供達が神輿を引いて、廻ります。各家々が、ご祝儀を少しばかり包んで、渡すと、オマントを受け取ります。宗教の違いとか、色々あるようですが、義兄がお宮さんの役をやっているのと、熊野神社とは昔から、信仰がありました。
昨年のオマントと取り替え、大晦日、お正月のどんどん焼きの時に持って行き、燃やしてもらいます。
オマントは、「青」は空、「白」は風、赤は「火」、緑は「水」、黄は「地」を意味する、チベット仏教の仏塔(チョルテン)になびく、旗(タルチョ)を思い浮かべてしまいます。
お馬さんは、人を運び、ものを運び、農耕にも働いてくれました。今は、そんな時代ではありませんが、11月には、新嘗祭も行われ、五穀豊穣を祝って。
小学生の女の子が、オマントを。母は、ご祝儀を渡すと、ペコリと、お辞儀を。
メンズの通称イベント屋ヤッケを着て、庭仕事をしている自分を、女の子はスタッフと間違え、「ご祝儀は?」と私に向かってきたので、スタッフの方に、目で合図を送り、受け取ってもらう。
来年も、母とお祭りが迎えられますように。
姉イノキも、祭りもとの役があり、朝から出てました。
お昼時に、母が、「こんな日は、お赤飯だけど、・・・」ない。
「なんか寂しい」と。
三時過ぎに、姉イノキが、栗おこわと、鮎の塩焼きを持ってやってきました。
仏壇の、お供え用に少し取り、わたしにも持たせてくれました。
鮎は、長良川の鮎?白鳥の鮎のようです。
六角形の器に二つ、おこわを入れて。
一つは、お友達に、鮎も1匹つけて。トースターで温めて、どうぞと。
分け合うことって、大切だなあと。
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お宮さんの役の義兄は、一升瓶のお酒をもらい、お祭り元の姉と、お昼のお弁当がそれぞれ違い、中身と値段を比べた話。
一升瓶のお酒、「千古乃岩」という地元の地酒を味見した姉、みりんのような味がして吐き出したと。わたしは、神事用だから、お正月のおとそに近い感じでないのかなと思いました。