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私の小学生時代3、4年生は、先生は、ロウ原紙に鉄筆で、教材を手書きで、印刷して授業をしていた。5、6年生になると、ボールペン原紙だった。

倫理もクソもありませんね。あるもので、全てが教材に早変わり。

例えば、社会見学の作文をある優秀な児童から、引用して、それを原紙に書き出して、印刷して配る、そこから授業が始まる。

時には、テレビの報道番組、時代も時代でしたから、「横井庄一さんの帰還兵」の日本に到着し、マスコミ囲まれ、皇居まで出向き、外ボリで、「ただいま、帰ってまいりました!!」と、頭を垂れる姿は、私は、今でも虚しさでいっぱいになります。

そんなことを、道徳の時間を潰し、みた感想をまとめよと。

それを、全て、30人足らずの児童の感想文をこれまた、「鈴木先生」という男性の既得な教師が、気になる一文、一文を拾い上げて、原紙で手書きガリ版刷り。

それをまた、児童に配る。それをもとに、また授業が行われる。戦争に関しては、PTAから、睨まれていたので、印刷物を配られていただけのようだ。


そんな授業を、通して、各々の、noteみたいな、ゲラ刷りの塊を「雑草」というタイトルで、一人一人の「雑草」を製本してくださり(糸通し、簡易製本)を学年が上がるときに、渡してくださいました。

今から、思うと、どこにパワーがあったのか不思議で、不思議で、たまりません。

そうかといって、父兄には、評判が非常によくなく、「あの先生に習うようになってから、うちの子おかしくなったわ」でした。まあまあ、片田舎の「右へ倣え主義」が未だ横行している世界なので、十分あり得ます。

今の、iPadだか、端末だか、使う授業とは、比べ物になりませんでしたね。

本当に、あの先生は、報われない先生のようでも、作文で、個人的に扱きに扱いたある、優秀な児童が、作文で県で優秀賞をもらった時、確か、卒業式の時に、表彰式が行われ、それが一番嬉しかったのかもしれません。あの子は、別格でしたから、「贔屓」「エコ贔屓」なんて、助平な見方はしませんでしたね。

私たちの、時代の先生は大変でした。ボールペン原紙になっても、自分で、テスト用紙、資料を用意して、授業にかかる。


私も、社会人になって、山の会に入会して、山行記録を、会報に載せるからと、ボールペン原紙を渡され、私は、もともと字が下手で、筆圧がないので、「筆圧がないんじゃないの?」とか、はっきりいう会員の方から苦情がきます。でもそれが、自分自身だから、仕方がありませんでした。性格的に弱いので、いつもビクビクしておりました。
輪転機なんてございませんでしたから、現役教師陣が主軸をになってましたから、学校の備品のお下がりを一枚、一枚、インクをつけて、ローラを回して、謄写版手刷りという時代も経験しております。暗い山岳会ですね。昔の山岳会なんて、そんなものですよ。

ガリ版とは
授業(じゅぎょう)で使うプリントやクラスの文集(ぶんしゅう)など、紙にかいたものを何枚(なんまい)もつくるのに、いまはコピー機(き)やプリンターなどがありますが、いまから120年いじょう昔にはありませんでした。
 そこで、蒲生岡本町(がもうおかもとちょう)に住(す)んでいた堀井新治郎(ほりいしんじろう)と息子(むすこ)の耕造(こうぞう)は、かんたんにコピーがつくれる謄写版(とうしゃばん)という印刷機(いんさつき)を発明(はつめい)しました。
 ガリ版では、鉛筆(えんぴつ)の代(か)わりに鉄筆(てっぴつ)をつかい、紙の代(か)わりにろう原紙(げんし)をつかいます。ろう原紙をヤスリの上(うえ)に乗(の)せて、鉄筆で字(じ)や絵(え)をかくときに、ガリガリと音(おと)がするので、この印刷機をガリ版というようになりました。
 最近(さいきん)では、このガリ版はほとんど見かけなくなりましたが、途上国(とじょうこく)では、電気(でんき)のいらないエコな印刷機として利用(りよう)されています。
 また、芸術(げいじゅつ)の好(す)きな人たちの中には、いまでもガリ版をつかって、絵や年賀状(ねんがじょう)などの作品(さくひん)をつくっている人たちがたくさんいます。
                        東近江市ホームページより。


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