東尋坊は、意外と低かった。・・ (『アシカを待つあした』(FMシアター)を聴いて)
夫の存命中に、「福井蟹食いしごきツアー」バスで、日帰り旅行をした。
その前の年末の年越しから、私は、どうでもいいことに、イライラしてしまい、怒りおさまらず。夫は、私よりも、自分の山の先輩を大事にしているという事実に腹が立って、腹が立って、どうしようもなかった。
年が明けて、前から日帰りバスツアーの「蟹食いしごきツアー」に行こうねと、約束していたものだから、その日は、いそいそと、腹立ちの心は別肚にして。
バスガイドさんは、途中「あれが、桜田淳子さんのお住まいのマンションですよ・・・」とか案内しながら、そんな話をのほのほと聞いて。
途中、東尋坊で、バス休憩タイム。
自殺の名所とか聞いていたが、岸壁の高さを見ると、意外に低いやんと。なぜならば、ヒマラヤの山々の懐で過ごした時間が長かったせいもあるような。
ドボンといかず、飛び降りても、ゴロゴロと、岩にぶつかって、さぞかし痛いだろうなあと思っただけ。それよりも、崖沿いに植えられた、咲いた小さな水仙に雪がかかり、ああ〜けなげに咲いているものよと。
私たち夫婦は、海を見ると、必ず、波打ち際まで降りて行って、海水に触れるのが好きで、東尋坊を下る小道があるので、それをおりて、波打ち際まで、ぴょんぴょんと、岩をとび、打ち寄せる波を眺めてすごす。
上に上がると、古びた茶店が木の引き戸で、傍に、ビン入りの牛乳が置いてあったり、ストーブもあったような。力餅のようなものも見たような。
まさに、ここに「ヒデ」さんのようなおじさんが常駐してるんかなあと、今は想像する。
自殺するにしても、ちと低すぎるなあと。
昼食は、ある食堂のお座敷で、蟹御膳。みなさん、無口になって、必死に蟹を食べていた。私は、お持ち帰りバッグを用意していたので、蟹以外の料理を食べた。
それよりも、福井に、夫の原戸籍があったことを話してもらいたかった。
で、バスーツアーは、楽しく過ごし、家に着いたら、私の持ち帰った蟹で、夫が、美味しい蟹雑炊をつくってくれ、満足。
そして、二月になると、また私の具合が悪くなり、本当は、山にいかず、そばにいて欲しかったけど、山人ガイドの仕事を入れているらしく、また不安になってしまった。そういう時って、本人は死ぬつもりって、毛頭ないんだけど、行動が支離滅裂になってしまい、薬の過剰摂取と、おまけに寒さで、肺炎を起こして。夫が天気が悪い、今日は山行きキャンセルだ!という結論に達して、お客にその旨連絡後、私の異変に気がついた。「いびきかいて寝ていて、起こしても全然起きない、おまけに泡ふいて・・」
夫、大慌てで、まずは、かかりつけ医に連絡。それから、かかりつけ医から、「うちでは対処できない、大きな病院に・・救急車・・」
夫、救急車を呼ぶ。ほっといて、死なせたら、それこそ大問題。
と、ここまでにしておきます。そして、今の私があるわけです。
この、放送聞いていたら、明らかに過呼吸発作だ、「紙袋、被せろ!」と自然に声が出てしまいました。
夫の場合は、マウンテンフライトをやると、過呼吸発作が2回ほど起きたそうで、その度に、そういう夫の弱さを知っている先輩から紙袋を被せられたようです。
衝動的な時が一番怖いですね。本当は、生きたい!の表れで、でも行動は真逆になるようで。私の場合、「気がついてほしい」が根底にあったみたいです。