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「放課後カルテ」第8話、『場面緘黙』の話。

今は、なんでも病名がついているのでびっくりしてしまった。

私こそ、保育園、小学3年生のはじめ頃、「場面緘黙」だった。

昔は、単に「内弁慶」と、流されていた。

2年生の時の、トイレ行きたくても言えず、教室でお漏らしをしてしまって、保健室で、パンツをかえてもらい、漏らしたパンツをビニール袋に入れて帰ったのは、痛恨極まる。

さらには、何にも反応しないことをいいことにいじめの対象となる。

もっと、ひどかったのは、教室で同じ並びの女子児童が私の音楽の教科書を間違えて持っていってしまって、いつも音楽の時間になると、教科書がない私を、担任の先生がやっと、気がついて親に連絡がいく。

 原因はわかっていたのに、それを親にもダンマリを通して、近所の上級生の児童の家に親が頼み込み、お古の音楽の教科書をもらい受ける。

 すると、隣の児童が、「あっ、間違えて持っていた」と。

かなりの重症であった。

 小三のはじめの頃、担任も男性教師に代わり、事細かにチェックされて、場面緘黙という言葉もなかったけど・・。

 この子は、言葉には出せないけど、黙って行動する子と気がついてもらえた。

 そんな時、図画工作で、粘土で好きなものを作くる、怪獣を作った。

男性教師は、怪獣がひん曲がっていたので、いきなり市民展に。

そしたら、入賞。

 場面緘黙は、徐々に回復。4年生になると、読書を教えられて、本との出会いが唯一救いになった。

 あの頃、自分の世界の自分自身に話しかけていて、「もしも・・」とばかり考えていた。目は宙を彷徨っていたような。先生の話は、目を見て聴いていた。

 今でも、言葉はすんなり出てこない時がある。

その分、突飛な発言をする衝動が怖かった。今でもそうだ。

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