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修行と翻訳

修行って何をするの、とよく聞かれるのですが、今もってうまく答えられません。朝起きて歌う歌や、調息(呼吸法)、いわゆるヨーガ、ジャパ(称名念仏)他、そういうものは大事な要素としてあるのですが。

ひとつ、いわゆる修行とは趣が違うかもしれないけれども、私にとっては行の一環であり世界への奉仕であるものに、翻訳があります。

これまでに、出版されたものではウィリアム・ダルリンプル『9つの人生——現代インドの聖性を求めて』(集英社新書)、師匠パルバティ・バウル『大いなる魂のうた』、あとアルンダティ・ロイの小説が今秋には出るはずです。出版に繋がるか分からないけど29万字ほど訳したものもあります。

このところ高まり続けているというか、深まり続けている感覚として、より行に集注したい、行に生きたい、というものがあって、これで生きるにはどうしたらいいだろう、とここ何年も考えてきました。

本来の、そして昔のバウルであれば、托鉢で生活します。その倫理にもとらない現代的な、日本で成立しうる形は何だろう。理想的には、何か分からないけど行をしているうちにあちこちから声がかかって歌うなり話すなりしに出かけて…となれば良いところですが、幸か不幸かそうはなっていないので、まじめに考えてまいりました。

翻訳するのも、もうそろそろ、行に直接関わる内容の古典詩、それもベンガル語を中心に訳したい、とこの頃、自然と思うようになりました。

『9つの人生』の一章に登場するジャイナ教の尼僧が、サンスクリット経典を雨安居の季節の朝の勤めとして翻訳しています。その姿がどこか脳裏に焼き付いていて、そしてよくよく思い返してみると、たとえば世界的に教団のあるクリシュナ意識協会の祖プラブーパダも、アメリカに渡る前はバガヴァッド・ギーターを聖地ヴリンダーヴァンのお寺の一室で英訳されていたそうです。だから翻訳というのは行者の奉仕行としてちゃんと成立することなんだと認識を改めるようになりました。

翻訳、私は何だかんだと日に数時間は取り組んでいて、中にはバイト的に引き受けている字幕の仕事などもあるのですが、書籍翻訳はよく言われるように(というほど知られていないかもしれませんが)、対労力や時間で考えてしまうと、よほどのベストセラーにでもならない限り、実入りのある仕事ではありません。経費的なことを考えると(集中するためとか家が暑すぎたり寒すぎたりでカフェに行ったりするので)マイナスになるのでは疑惑もあります。それでもその価値があると信じるから心血を注ぎます。

でも、もうちょっと違う形を見つけたいです。それでnoteのサブスクリプションを始めてみることにしました。

このところ田中かん玉さんの訳されたラーマクリシュナ『コタムリト不滅の言葉』を毎日読んでいるのですが、それで保たれる状態、深められるものが確実にあります。田中かん玉さんはのちにバガヴァッド・ギーターを『神の詩(うた)』として訳されていてこちらも名訳なのですが、日本語への翻訳者として、彼女はひとつの理想です。かん玉さんのような仕事がしたい。

私は現状としては数ヶ月に一度はスッカラカンになっているので、本当になぜ生きていられるか不思議なのですが、お金の苦しみに引きずられて解消するのに割く時間は否定しがたく、とても強くあります。それでも取り組むべきことに取り組み、学ぶべきものを学び、自分でもちょっと頭おかしいなと思いながら、たまにまともな仕事をしようとかと考えてもなぜか実現せず、まあとにかく自分の差し出せるものを世界に差し出していくしかないなあと半ば諦めて思っています。

私が世界に差し出せるものは、いちばんはたぶん、ミディアム/媒介としての言葉です。それは翻訳であり、口に乗せた詩であったり歌であったりします。その背後には日々積み重ねる行があります。

ひとまずはここでは、チャンディーダース(別の記事で詳しく書きます)の詩を中心に過程の訳(これについても別記事)を上げていきたいと思っています。

行者として生きるひとりの人間の支援をしたいという方だけでなく、ヴァイシュナヴァ/ボイシュノブ/ヴィシュヌ派の中でも、梵我一如でありながら神を「あなた」として愛する、愛の詩の世界に触れてみたいという方にも有益なものになるかと思います。

基本的には著作権に引っ掛からないものを訳していきたいので、20世紀の詩人が多いバウルの詩はあまり取り上げないかもしれませんが、ラロン・ファキールはじめ、たまには上げるかもしれません。

実は私もまだシステムが分かりきっていないのですが、支援者には投稿がメールで届きつつ、過去の記事もログインすれば読めるシステム、になっているはずです。時折、この記事のように無料閲覧できる記事も上がると思われます。私自身、特に自分へのノルマは課さないので、ものすごく投稿が多いときと、少ないときがあるかもしれません(いちばん日常の一環として出せるものとして翻訳を選んではいるのですが)。なので皆さまも、参加も退会も、ご自由にお気軽にしていただければ幸いです。


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