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アイデンティティの崩壊

それは突然に…
半年前に体験した出来事から今
ファッションが大好きになった15歳の私
から28年後まさかこうなるなんて。

変容体験の始まり。

えっと、15歳が始まりのような
43歳が始まりのような。

時間って流れてる?
どっちに?
いや、今ここしかないかも知れない。

だからこれはいわゆるストーリーで
作り話かも知れない。


もし、あの過去があったのなら。

まさかこうなるなんて。 

大袈裟に聞こえるかもしれないけれど
私はそれくらい
ファッションや美的感覚を大切にしてきた。 

でもホントに大切にしてきたのって
それじゃなかったのかも?
えええーーーーーーーーーーー、
っていうくらいここから
随分長い旅が始まりそう。 

というか、だいたいの駅は見えている。

それを題名にどこに辿り着くのか。

果たして。


そう、それは
半年前になんの前触れもなく起こった。

もうびっくりするくらいのあっさりさで
自分の中の何かが
さーーーっと引いていく感じ。

ここ3年ほどは
心理学を学んだことによって
小さな私が「こんにちは」を
してきたことによって

"本当は着てみたかった服"を
勇気を出して着るようになったり

いわゆる、

誰かからの褒め言葉より
自分が着てみたい服や
それまでの自分が
こんなのは私っぽくない!
と着れなかった服などを着るようになっていた。


詳しくはインスタのストーリーの
ハイライトを見てもらったら
多少なりとも
移り変わりのようなものが
垣間見れるかもしれない。

って書いていたら
そこまでのファッションの流れも
書いておきたくなったけど
紆余曲折がありすぎて
エピソードが長蛇の列をなしているので後ほど。


本題に入る前に
私は現在43歳で夫と3人の子供がいる。

これもここまででまた改めてみっちり
プロフィールも書こうっと。

あ、先ほどに続き全然、じらしてない。

つもり(笑) 

はい、戻って、、、


そんな風に自分の気持ちに寄り添って
ファッションを楽しんでいたつもりだった

あの時までは。。。


そのあの時、それは半年前くらい。

寒さに弱い私が寒さに耐えるため
断捨離して温かいコートがないところから
お気に入りのコートに出会うべく

「冬のコート何買おうかな?」

っていつものごとく
ネットを使って検索しつつ
これでもないあれでもないって

これ!!!

っていうのが見つかるまで
粘りつよくスマホ画面に張り付いていたら
ちょっと着るの勇気いるやん
っていう感じの襟がこれでもか!
っていうくらい大きくて
パープルのこんもりした
可愛めのコートを見つけた。これ。

1、2週間ほどネットで何回も眺めて
やっぱりこれ♡と思って思い切って購入した。

ネットで買ったから
現品が届くまでは半分賭けもあったけど
無事?可愛くて
お気に入りのコートさんになった。


が、しかしそれは始まりみたいな終わりだった。


お気に入りでそれを着て
とってもいい気分にはなっていたけど
毎日着ると
それだけが劣化しやすくなるから

「あったかいコートもう1枚欲しい」

と思った。今思えばあの時そう思わなければ
このアイデンティティの崩壊のような
出来事は起こらなかったのか?
っていうくらい

ぽっと出てきた一つの想い。


はい、またお得意のネットで検索。

忘れもしない

「コート ロング トレンチ風」
「中綿 コート ベージュ」

何個かキーワードを入れ替えつつ探していく。

検索がお得意。

「中綿」「なかわた」を

「ちゅうわた」と
本気で読んでいたのが懐かしい(笑)

夫に失笑された後、訂正。
またひとつ学んだ。
漢字の読み方。
子供の漢字書き間違いを
笑ってる場合じゃないぞ。


え?可愛めコートから真逆かい?
っていう寝返り具合になったのは
多分その時ふと目にした冨永愛の影響。

なんか気になる人がいたら知りたくなってYouTubeとかで検索して見まくる(笑)

生き様、その人を創ってきた
要素と思われるもの
その人のエッセンスを吸収したくなる。

で、きっと、冨永愛からは

あの圧倒的なカッコよさ存在感を吸収して
トレンチという流れになったんだと思う。

そして、この後
トレンチコート風コートが届き
その時の気分とのベストマッチして
パープルのコートは出番がほとんどなくなり
その気分の移り変わり具合に
自分でも怖くなった。

でもどこかでカッコいい自分を
また思い出した気がして嬉しかった記憶もある。



その移り変わり心変わり
もはや思考では捕らえられない感覚。
戸惑い。
その間2週間ほど。

そしてこの時が起点となったのか
それまで好きで着ていた
どちらかと言わなくても
派手めな服たちの出番が
一気に少なくなっていったのだ。

なんかそのトレンチコート風コートを
着出してから毎日、
タートルニットのオフホワイトか黒の2枚を
好んで着るようになって。

え、これ私の制服ですか
っていうくらいそれを着ていた。
私は自分でそれをしていて
自分で衝撃も受けていた。

だってそれまで
毎日のように自分の気分に合わせて
服の色やアクセサリー、メイクまで
コーディネイトをして(ここ3年くらい)

今まで培ってきたコーデの組み方
色合わせを最大に生かすことが好きで
息をするようにできてしまう、
と思っていたし。

そして、ここからが肝だが!!


なんと、私はそれを自分の価値
それができてこそ
それができるからこそ私の価値だと思っていた。

逆に言うと

それがないと私じゃないみたいな。

ああ、何物かになろうとしていたのか。
これは、その時から3ヶ月くらい後に気づいた。

制服のようにタートニットを着出したその頃は
まだ、あれ、私変わっちゃった?
およよっといった感じで
まだその流れに乗ったばかりで
景色が見渡せない
目の前しか見れない

そんな感覚だったと思う。


その時よりちょっと前くらいから
「私はなぜインスタをやっているんだろう」
って問いが湧いてきていて

承認欲求もあるんだろうとは思っていたけど
本当は自分自身に認めてもらいたい。

そして次のこれが出てきた時は自分で
自分がショックというかがっかりした。

それはファッションという
自分の人生の中で
とても大切にしてきたものを使って
楽しんでます!をやってるつもりで

「素敵な私のアピール」をやっていたのだ。

ああ、やっぱり恥ずかしい。


恥ずかしいけど

素敵な私のアピールは問題ないのだ。


大事なのは、その奥にある私の前提で
「素敵じゃない私を見ないようにするため」
が含まれていること。

それに気づいてしまった…という感じ。

崩れ落ちる。

それも認めているつもりだった。
あくまでつもり、分かったつもり。
そしてなぜか
「惨め」っていう言葉が湧いてくる。
のはなぜか。

ああ、そうだ、勝手に惨めにしていたんだ、
お母さんを。
そしてまとわりつく「惨めさ」。
本当は大事にしてきたのって

素敵な自分と反対の陰の自分を
隠すことだったのかも知れない。

えっ?なんでここでお母さん?


私が毎日同じ服を着たくなかったのも
この幼い時の体験からも
きているのかも知れない。

勝手に自分でストーリーを
作っているだけかも知れない。

けれどファッションに興味を持ったのも
"お母さんと服”が関わっているように思う。


次の駅は「お母さんと服」か
「惨めさ」かなあ。
「その後の服たち」もけっこう近い。

伏線を書いておくと

あれから
私の服やアクセサリー
メイク道具は半分以下になった。


そして、このアイデンティティの崩壊が
起きた辺りから
仕事をしない(家事や子育て以外の)
居心地の悪さ
無価値観を存分に味わうことが起きてきた。



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