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韓国語のプロなのか、経営のプロなのか?
韓国料理研究家としての活動は人生で一番長く携わることになり、15年の月日が流れました。お陰さまでメディアの仕事もいただくことが増えたのですが、仕事を受ける度によく聞かれるのが「韓国料理研究家になったきっかけは?」です。
2004年の韓流ブームと日韓交流会
私は元々商社に勤務していました。その商社にはソウル支店があったため、韓国人スタッフとやり取りする機会が多々ありました。こういったご縁があって、海外旅行が好きだった私は、韓国に数年に一度訪れていました。
その後、2004年に日本で韓流ブームが巻き起こり、改めて韓国の魅力を再認識。そこで友だちと一緒に日韓交流会を開催することに。
そして、日韓交流会の流れで目先を変えて料理交流会を行ったところ、思いのほか好評だったので、韓国料理を学び料理の世界に飛びこみました。
とおおまかには上記の内容です。ここに嘘はないのですが、実際はもっと根の深い理由がありました。
元々私は裏方だった
日韓交流会とともに、韓国語を習いたい人と教えたい人のマッチングサービスも実施していました。
このサービスを始めたころ、私はちょうど個人事業主に。6年間勤務した市場調査会社の下請けとライターの仕事も平行していたので、韓国語関連はできる範囲内でちょこちょこと。
一年後、運よく知り合いから比較的安い金額で築地に事務所を借りられることになったので、韓国人の先生にお願いして、事務所での韓国語レッスンをスタート。その後、経済的に徐々に苦しくなっていきました。
売り上げが不安定な一方で、固定費は容赦ないので、自分の貯金を切り崩すことに。
築地での運営が2年ほど経った後、どうにもこうにも打開できない状況に陥り、以前に勤めていた市場調査会社の社長に相談しました。
その時言われた言葉は今でも忘れられないのですが、「ほんださんは、韓国語のプロなのか? それとも経営のプロなのか?」です。
そこでハッとしました。私はどちらも中途半端だったのです。鋭い一言がすっと心に響きました。自分はプロにならなくてはならない!
話が前後しますが、私は専門学校を卒業してから、人の裏方として長年仕事を続けてきました。
料理は小学生の高学年から好き勝手にやり、OLになってから2年ほどベターホームで学びました。
仕事としてはライターのときに、メルマガを担当していたハム屋さんのレシピを100個くらい考え、市場調査会社時代は社長が新規事業を立ち上げると言うので、栄養士さんと一緒にメニュー開発等をしました。今の仕事をするまでは、料理に関しても裏方だったのです。
韓国料理のプロになる!
市場調査会社の社長の言葉からプロを意識した時、経済的には火の車だったのですが、幸いにも社長が仕事と称して資金を援助してくれたことと、明るい兆しがありました。
その兆しとは、築地に事務所を構えた後も日韓交流会を継続していたのですが、スピンオフとして開催した料理交流会が好評だったのです。
自分の八方ふさがりの状況を打開するには、これしかない! と、築地の事務所を閉め、私は表に出て韓国料理のプロになる道を選びました。