田附勝『DECOTORA』インタビュー記事(2008年、VICEマガジンv4n9掲載)
文・トモコスガ
写真を撮ることは、被写体と対峙するということ
日本にはデコトラという、目がチカチカするネオンを車体にくまなく装備し、コンテナにエアブラシで鮮やかに描いた長距離トラックが存在する。日本独自の色彩感覚やアングラ感を漂わせるそれは一言でいうと、ファッショナブルだ。1970年代後半にヒットした映画『トラック野郎』をきっかけに、それは日本中に溢れたが、その後に施行された法規制の影響で絶滅危惧種となり、じかに見かける機会もほぼないに等しいほど、その存在感は薄れている。
写真家の田附勝は、初めてデコトラをその目で見たときの衝撃に突き動かされ、デコトラばかりをひたすら撮り続けてきた。その甲斐あって昨夏に写真集『DECOTORA』をリトルモアより出版。近頃ではろくに時間もかけずに写真集が出される傾向も見受けられるなか、彼のように時間をかけてひとつのテーマと向き合う写真家というのは稀有な存在と言えるだろう。一瞬の露光が全てを決定づける写真において、作品の善し悪しはそうした差から自ずと決まるのかもしれない。
彼とデコトラの関係、10年にも及んだその軌跡について話を聞いた。
田附 勝:最初の2、3年は、デコトラの表面的な特徴ばかりを意識した撮り方しかしていなかった。でもある時、気づいたんだよ。「デコトラだけじゃなくて、それに乗っている人たちも写さないと意味ないんじゃないか」ってさ。
俺の中でのトラックが、次第にただトラックというだけではなくなっていった。トラックと運転手で1セット。これは絶対に切り離せないんだと。トラックだって、トラッカーがいるから存在するわけで。乗り手たちの生き様に触れない限り、このシリーズはきっと形にならない。
単なるデコトラ写真のアーカイブじゃなくて、それを操縦するトラッカーの人生も垣間見えるようなものにしたい。そう思うようになっていった。
俺の家からはるか遠くに住んでるトラッカーから電話で「うちまで遊びに来いよ」と言われたら「わかりました、行きます!」と答えて実際に行く。
その時点ですでに、彼らとの対峙は始まっていて。相手に試されるからには、その気持ちに応えたい。そこで築き上げられることもあるだろうしさ。そうやって、外で彼らとのコミュニケーションがうまくいくようになると、今度は逆に、彼らを自分のホームに連れてくることも可能になる。
上の写真を撮った時は、彼らが普段訪れないような都会の中心にわざわざデコトラごと来てもらった。そうした相互関係を積み重ねることで、彼らからも積極的に関わろうとしてくれるようになる。
デコトラって見た目の衝撃がすごく強いけど、それに乗っている人たちってのは、他のトラックの運転手となんら変わらない。
トラックの仕事は過酷だし、労働の中でも特に厳しい世界だと思う。そんな中でも、彼らは強く生きている。その誇りや男らしさがデコトラの華やかさとして表れていると思うんだ。
彼らのホームタウンを訪れるようになって初めて知ったんだけどさ。あれだけ派手なデコトラも、昼間は普通のトラックと変わらず機能しているんだよね。移動してない時は普通の車と変わらない感じで、そこらの駐車場にポツンと置かれている。
運転手だってずっと気を張っているわけでもないし、24時間365日ずっと誇りを抱いて生きてるわけじゃないだろ?
だからさ、夜にイルミネーションを照らしながら颯爽と走るカッコいいデコトラの姿だけじゃなくて、昼間の何気ない姿も撮って見せる必要があると思ったんだよ。夜の姿だけがデコトラじゃないってことだよな。
デコトラはもう撮らない。というのは、俺がこの写真集を出したことによって、彼らトラッカーが俺に対して接する態度だったり、互いの関係性が変わってしまったと感じるからだ。
あいつになら、きっとうまく撮ってもらえるだろうって雰囲気になってしまう。そうなるともう、“撮る撮られる” の関係とは言えないだろ? それを対峙とは呼べない。だからもう、撮る必要性はなくなったんだ。
【関連動画】
もう撮らないと決めたデコトラを再び撮ると決めた理由。|田附勝『decotora hachinohe』ブックレビュー
https://www.youtube.com/watch?v=9WTWGuQfjRM
田附勝の写真に見る「気づき」(YouTubeライブ配信)
【著作】
田附勝『DECOTORA』(2007年刊行)
田附勝『DECOTORA Hachinohe』(2021年刊行)
田附勝『東北』(2011年刊行)
田附勝『魚人』(2015年刊行)
田附勝『KAKERA』(2020年刊行)