旅が好きだ。
仕事柄移動が多いため、移動中の過ごし方もどんどん自分流にアップデートされていて、楽しい時間のひとつになっている。
海外へのロングフライト、みんなが寝静まった真っ暗なシートの中は、最高の創作環境だったりする。移動中にできた歌詞も数知れずだ。
だから、少しスケジュールの隙間を見つけると、昔からよく旅に出てきた。
そんな数々の旅の中で、印象に残っているシーンというのがいくつかある。
短いショートビデオクリップのような感じで脳裏にいつまでも残り続けるような風景。
ある時にふと気づいたのだが、そのほとんどが、スケジュールとスケジュールの間に過ごした何気ない時間たちだった。
それに気づいたのは、皮肉にも、人生で一度だけ参加した「ツアー旅行」の中で、だった。
友人と一緒に「エジプトに行こう!」と盛り上がり、普段なら個人旅行で全て手配して出かけるところなのだが、そのときは、英語圏でない国であること、行きたい遺跡がいくつかあって、それが比較的離れていたことから、今回はツアーで行くのがいいんじゃないか、という判断だった。
しかし参加してみると、その過密スケジュールに参ってしまった。
ある遺跡なんかは、宮殿跡のような広大な場所で、15分後にバス集合、と言われたときはずっこけてしまった。端までサラッと行って帰ってきても15分以上はかかりそうなのに、古代のロマンに夢を馳せる暇なんて1秒もない感じであった。
(そのくせ、超ぼったくりジュエリー販売店では滞在時間が1時間だったりと、怪しさ満載なプランだった、笑)
その旅の中で、いつまでも忘れられないシーンがあった。
それは、過密すぎるスケジュールを一箇所パスしてホテルに一人で残り、ナイル川のほとりで静かに過ごしていた時間だ。
キラキラと輝く水面と、たっぷりとした水量を力強く押し流しているナイルをぼうっと眺めているだけで、ああ、エジプトってこういうことだ、ってなんだかわかってしまうような、そういう瞬間。
そうしてはたと気づいた。印象的な旅の瞬間はいつもそうだったのだ。
オーストラリアの森のホテルのバルコニーで木々の香りを嗅ぎ、鳥の声を聴いていた時間。
ハワイのビーチで、暮れゆく夕陽が描き続ける美しい色のグラデーションを、肌寒くなるまで砂浜に座って眺めていたこと。
タイのジャズフェスの合間に、ホテルのガーデンで飲んだ香り高いお茶。
その全てが、本来の「予定」の隙間にある輝きであった。
それに気づいた時から私は、旅はほぼ予定を入れないことにしている。
もちろん行ってみたい場所、とか、お店とかはいくつかピックアップするけれど、あくまでもふわっとした希望にしておいて、当日は気持ちのむくままに行動する。
素敵な場所があったら好きなだけ長居して、気になるところがあったらすぐさま寄り道する。
でもそうすることで、旅がより一層楽しく心地よいものになっていった気がする。
隙間に感じること、書いた文章、歌詞なんかがいつのまにか作品に変身していく。
そういう話をしていると、よく、人生もそんな感じなのかもね、という話になる。
こういうふうにしよう!という予定を立ててあれこれと過ごした経験ももちろんエキサイティングだけど、もしかしたら最後に思い出すのは、なんてことない日常の隙間の豊かな時間たちなのかも、と。
そしてそういう隙間を楽しめるような心こそ、幸せの秘訣なのかも知れない、と。
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