“自分らしさ”がはっきりしない人が、やるべきたった一つのこと。
自分らしいとは何か?
あるテレビ番組で、天海祐希さんが言っていた。
「“自分らしく”なんて、甘えの言葉ですから。」
芸能界の厳しさを見たような気がして、芸能人の苦労を想像した。
テレビの中では四六時中演じることを求められ、売れ続けるために、自分らしい発言はなかなかできないのだろう。求められるまま、視聴者の理想の姿で居続ける。その苦労が“甘え”という言葉を使った心理ではないだろうか。
私自身もSNSを通して見られている自分は、自分ではないという違和感を持ったことがある。
ロンドンで暮らすようになり、facebookを始めた。異国の綺麗な写真を投稿する。すると、友人達が「素敵〜」と反応してくれる。投稿した写真が醸し出すイメージ程、幸福を絵に描いたような素敵な空間ではないけどな…と本音がよぎる。
写真に映らない反対側は、部屋がごちゃごちゃしていたり、素敵な旅行中にも、嫌な思いをした瞬間があったりするのだ。
良い所だけを切り取った一枚。「FBってなんか虚像だな」って思ったこともある。
では、“自分らしく生きる”とはどういうことか。
それは、理想や願望に生きるということだ。
“自分らしく”は耳障りの良い受け入れやすい言葉だが、実際には、自分という主観的な視点で語る理想の生き方に過ぎないと思う。
みんな、声を大にして言いたいのではないか。
「自分のやりたいようにやって生きたい。」
そんな気がする。
「“自分らしく”がわからない」「やりたいことがみつからない」人が、まずやるべきたった一つのこと。
“自分らしく”=“自分のやりたいようにやる”、“なりたいようになる”だと仮定したら、やりたいこと、なりたい自分を決めなくてはならない。
「やりたいことがわからない。」と言うのは、10代や20代で極々一般的にぶち当たる壁だ。初めて勉強する義務から解放され、選択の自由を手に入れた瞬間に、どうしていいかわからなくなる。
学校にしか行かない毎日では、他の世界は情報でしかなく、体験が伴わない。体験しないとわからないことがあることも実はわかっていないかもしれない。
私の親の世代では、大学の教授に「おまえはこの企業に行け。」と言われ、その通りにしていた人が多かったと聞く。やりたいことなんて考えなかった、、ということも多かったという。世の中を知っている教授が、学生の個性と企業の個性をマッチングしていたわけだ。
会社用パンフレットしかない時代に、限られた誌面で入手する情報だけで、社会に出たこともない学生が、やりたい仕事、行きたい会社を選ぶことができるわけがない、と今なら思える。
でも、今は、インターネットで何でもわかる。会社へのアプローチの仕方も様々。裏情報も盛り沢山。とはいえ、知識と情報だけだから、結局選べないのだ。体験していなければ、楽しいもつらいもわからないから当たり前の話だ。
では、世の中の酸いも甘いも嚙み分けて生きた大人が、“自分の(やりたい)ことがわからない”とはどういうことか。
恐らく、自分の感情を押し殺して、論理的な思考で過ごす時間が長すぎているのではないか。
「○○しなくちゃいけない。」「こうするべきだ。」
左脳を使って、正しい選択、求められる役割を演じ続けて、自分の感情なんてないがしろにして生きる毎日。
もしかしたら、多くの人は、感情に赴くままに行動するのは悪だと思っているかもしれない。
ただ、感情は正直だ。
他人にも、思考にも、湧いてくる感情を押さえつけることはできない。
嘘のつけない、本当の自分がそこにいる。
つまり、自分のことがわからない人は、まず、感情と向き合う必要がある。
では“感情と向き合う”とは、何をすればいいのか?
実践「自分らしいを探る」
”感情と向き合う”とは、例えば日常生活の中で、嬉しいと思ったり、楽しいと思ったり、気持ちが良いと感じたり、居心地が悪いと不快に思ったり、可哀想と感じたり、イライラしたり、泣きたい気持ちになったときに、「今、私がこういう気持ちになっているのは、なぜか?」を考え、認識することだ。
ニュースを見て嘆く言葉、ドラマを見て共感する気持ち、夫婦のやりとりや親子のやりとりでイライラする感覚、嬉しかった瞬間、恥ずかしかった事柄。なんでもいい。
その気持ちの動きをやり過ごさず、認識する。心理学ではこれをメタ認知と呼ぶ。感情が湧いたとき、自分の身体から幽体離脱して、状況を眺めるような感覚だ。
そして、その状況(相手)はなぜ、私を喜ばせたのか、なぜ怒らせたのかと考えると、そこに自分ならではの価値観だとか、自分だけが思っている常識だとか、執着だとか、色々な自分らしさが潜んでいることに気がつく。
自分の人生において、起こったこと全てのことが分子となって存在し、その結合体が自分である、、というイメージ。親の価値観も世間の常識も、部活の体験も、上司から言われたことも、全部自分を構成する分子になっている。
感情は嘘をつけない。
感情から自分の価値観を探る作業は、物事の善悪やこうありたい、こうしたいと頭の中でグルグル考えることより、よっぽどシンプルで、ありのままの自分を語っている。
具体的な感情から、抽象的な「理想」へ。そして、また、具体的な方法を探る。
楽しい、面白い、高揚する、嬉しい、気持ちがいい、清々しい。
そんな気分で過ごせる毎日が続けば、それはとても健康的で良い人生な気がする。
できれば私は、そんな上機嫌な毎日を過ごしたい。時々、心が乱れるようなことが起きても、全体的にオッケーなら、人生楽しそうだと思える。
そういう気分になれるときはどんな時か。積極的にそういう時間を増やす生き方はどんなだろうか。
我慢したり、イライラしたり、怒ってばかりいる生活は、誰にとっても“自分らしくはない”のではないか。
まず、自分を知る。
人生をより良く生きるために、それ以上の方法があるだろうか。
ただ、日常はほとんど同じことの繰り返しでできている。
感情が動くような出来事が頻繁に起こるとも言えない。
(だからこそ、毎日イライラしているなと感じる時は、そこからメタ認知して、執着している価値観はないか、自分ではなく他人に求めていないか、自問自答してみるのが得策だと思う。そのうちの1つを解決するだけで、平穏が訪れるかもしれない。)
特にオススメなのは、毎日の繰り返しの中で、非日常のアートの時間を作ることだ。アートの力を借りるとメタ認知がしやすくなる。
アート観賞は、自分を見つめるきっかけになる。
自分の中に内在する価値観を言葉にし、他人の意見を聞き、他人との相違を知ることで、よりにより自分らしさを見つける。
感じたまま、ありのままの自分を知る。
それができるのがアート観賞なのだ。
この後、”なぜアートで自分を知ることができるのか?”についても、書いていきます。