病人レポート4 : 「息苦しさと生きづらさ」
平熱38度の世界に引き続き、お腹ユルユル全開な今週です。何度踏んだか分からない、お馴染みの道なので心の準備があることばかりですが、、貧血、目眩、頭痛などもオンパレード。いよいよ病人らしくなってきました。
とはいえ、14日間連続投与の抗がん剤も、残すところあと4日。今回の入院の第一関門突破間近です。(突破せねばならない “門”はあと3つくらいあります)
私のいる血液内科の病室は「菌」というものを極端に恐れ、極端に遠ざける、いわゆる「無菌室」となっています。
・窓が開かない
・病棟の外に出られない
・看護士さんも医師も常にゴム手袋で患者に触る
・ペットボトルなどダイレクトに口をつけてはいけない
・生花、生モノ、とにかく「生」という言葉と無縁
・12歳以下の子供は病棟立ち入り禁止
・面会者はマスク必須、基本1時間以内
(風邪などの場合不可、患者状態により家族でも不可の場合アリ)
etc etc …..
一昔前の映画やドラマで描かれていたような、ビニールのカーテン越しに受話器を通して会話する、といったスタイルから大分進歩しているものの、「非接触の世界」をガチガチのルールで作り上げています。
入院している患者さんは白血病の方だけではないですが、いづれも「骨髄抑制」という(https://ganclass.jp/confront/associate/marrow.php)抗がん剤の持つ作用を敢えて強く出して、というかそれを使ってとにかく血液中の細胞を極限まで叩いて追い込んで、、という類の治療をしているので、通常20万人くらいで守ってる身体を10人で防御している、くらいの戦闘力(免疫)しか持たない方ばかりだからです。しかしそこまでやっても、、最終的には自分の中の常在菌に、自分自身が侵されることになります。。
当然、、息苦しいです。生きづらい、、です。発熱、下痢、吐き気、各所の痛み、、などの病状デフォルトの上に、朝起きて夜寝るまで、1度も外の空気が吸えない.。これが加わるだけでも、むちゃくちゃ息が詰まります。ずっと着陸しない飛行機に乗ってるような閉塞感です。ちょっと病院の中のコンビニへ、みたいな気分転換ももちろん許可されません。
「無菌食」と呼ばれる食事は、何もかも一回加熱されてるので、基本ベチョベチョです。食パンもはんぺんのようなしっとり感で来ます。食べる愉しみが無くなります。
時間が流れる世界を仏教では「有為」と呼び、時間のない世界のことを「無為」と言いますが(有為の奥山けふこえて、、というやつです)ああこれ「無為」の世界だなと、、よく思います。というか入院する度、思い出します。
窓の外で移り変わる空や雲や太陽は見えます。だから朝なのか夜なのかは分かる。でも、仮にそこすらも遮断されたら、全てが人間によって作為的にコントロールされている極端な世界だから、「自然なもの」は他にありません。「時間」とか「季節」を認識する術がなくなります。
「無菌」環境と「ゼロ」に向かう身体。修行道のような風景です。
髪を失い、体重を失い、食欲を失い、人に会う気力を失う。全てが「ゼロ」に向かう感覚。「自分」っていうもののアイデンティティがどこかに行き、今まで日常と思ってたものが全て非日常に入れ替わる。よく捉えれば人生ってやつをリセットする良い機会ですが、なかなかそうポジティブにこの状況を受け入れられる人ばかりではないと思われます。
薬を看護師にぶつけちゃう人。先生が全て何とかしてくれると思っている人。とにかく1日泣いてる人。用もないのに看護師を呼んでは自分の人生の光と陰を永遠語る人。。。。病室ではいろんな人間模様(ニンゲンの素の姿)が凝縮されて垣間見えます。
そんな中、、4人部屋には毎回必ずお一人「神」に到達しちゃってるな、と思う方がいます。もう私が目指さんと入院前に決めて来たあの「川の流れにのる」を当然のごとく実践されており、かつ同じ環境にいるはずなのに、なぜか心の潤いを忘れない方です。
「神」は全ての言葉の頭に「ありがとう」をつけます。そして腐るでもなく、空の青さを愛で、ただ、静かに居る。
生きづらさの中に、生きやすさを自分で見い出せる人がいる。ということをそんな「神」を身近に感じていると思います。少し視点を変えてみる、心の持ちようを見直す、そういう「当たり前だけどなかなか出来ないこと」をこんな時こそやってみる。
やっぱり「生きやすさ」って自分の中からしか生まれないんだよなあ、、と思い知る日々です。
後光射す夕暮れ。街の光と翳。翳があるから光がある。陰と陽を思ふ景色と共に。
2018.8.2