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病人レポート1 : 「川の流れにのる」

またまた突然ですが、結論から言って「抗がん剤の治療だけで永遠に押さえ込むことは無理」という、主治医からのあらたな見解を外来で得ました。じゃ、どうしたら良いの?の答えは「骨髄移植パート2をする」というものであることも改めて分かりました。
私の主治医は「起こり得る一番バッドケースな情報と状況をいち早くいう係」(それが先生の愛情であり、想定の中の一番ボトムとして捉えれば良い現実解)と思っているのでこの見解は衝撃でしたが、理解はできました。
※骨髄移植とは?はこちらを ; https://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/HSCT/hsct01.html
そうではない道を選ぶこともできる、というのも主治医から言われました。でもそれは「完治を目指さない」ということです。いつか、抗がん剤が効かなくなる日が来る=病気が勝つ=死に向かう。けど、そういう在り方もある。と。
なぜなら、骨髄移植パート2をしても、2回目ということもあり(※個人差がかなりあります)、一番良くて5年生存率3-40%という見込みなのと、とにかく人体への影響が甚大だからです。(ちなみに初回の骨髄移植でも5年生存率は5-60%が中央値です)実際私も初回時、相当な地獄を見ました。今思うと、よく生きて帰って来れたなと言う地獄であり、その身体中の痛みの記憶は、まだ生々しく自分の中に残っています。
この究極の「選択」なのか、いや?そもそも選ぶことなのか?選べないじゃん。どっちも嫌に決まってんじゃん。てか、それ以外ないんだっけ?嘘でしょ?っていう負のループ。この数日、本当に自分で自分を追い込みました。
自分としては依然として、「今回の抗がん剤だけで一生悪いものは出てこなくなる」説を強く信じてもいます。そもそも人間の人生、生き方、死に様は、医学のモノサシ(だけ)で計るべきではない、とも思ってます。
相変わらずピンピンしている自分とこの「目の前に突きつけられてる現実」「なんかわからないけど、血液、しかもその中の細胞という非常にミクロな世界で勝手にはじまってる生と死をかけた存亡の危機」との乖離が甚だしく、軽く気が触れそうにもなりました。実際、そうなっていたと思います。
多くの友人の支えをもらい、言葉をもらい、選ばないし、決断しない。そんな力みたくない。消去法として。「川の流れにのる」「先のことを考えない」この答えに、数日かけてようやく辿り着くことができました。
ネガディブに聞こえるかも知れないですが、極めてポジティブです。1日でも長く生きられる道を進むために、何も考えず、目の前に流れる川に身を任そう。考えても答えのないことを考えるのをまずやめよう。そう、思うことにしました。
次々押し寄せる「予期せぬこと」に、相当わちゃわちゃしつつも、自分を失い切らずにいられる。前回の投稿に「強い」というお言葉もたくさんいただきましたが、私が強いのではなく(むしろ相当弱く)、こんな時、支えてくれる友が、私を押し上げてくれるエネルギーが強いのです。そういう友のいることのシアワセ。本当に日々、感謝しかないです。みんな、ほんとにほんとにありがとう。
そしてこんな頼りない私を一生懸命支えてくれている、弊社および関係してくださっている全てのみなさまにも、本当にこころから感謝しています。
「自分を貫くとは 自由と挑戦と 少しの苦痛でできている」(いただいた言葉を、深く胸に刻みたいと思います)
(今後の予定)
骨髄移植のコーディネートが落着するまでに最短で半年はかかります。7月末には治療に入り(入院日まだ未定です)、8月末には一度退院する予定です。9月からおそらく年内はこれまで通り、外来で経過を観察することになりそうです。早ければ年明けすぐ。2回目の骨髄移植を目指します。
みなさまにお目にかかれる日を楽しみに、とにかく前に進みます。