「自分以外のお話」が面白いのは何故だろう。
最近しみじみと、自分自身が面白くないことを実感する。それは、平凡という点と、既知という点においてである。
私は何か特異な育ちなわけでも、画期的な発想ができる人間なわけでもない。そんな自分の「今日の出来事」や「頭の中で考えたこと」を文章にするのは、ある種の“整理“にはなったとしても、私にとっては面白みに欠けることだ。
対して、自分以外の人の話は面白い。俗にいう「オチのない話」だったとしても、冗長な話であったとしても、それが私の中にないものである以上、そこには新しさと驚きが存在する。
自分自身について書いた文章よりも、自分が書いたインタビュー記事を褒められた方が、格段に嬉しい。インタビュー記事は、私を介在しつつも、結局は自分以外の誰かについての面白さを、多くの人に分かって欲しくて書いている。もちろん私の書く技術はまだまだ未熟なので、読み手に面白さを伝えることが十分にはできていないかもしれない。
それでも、「あのインタビュー記事面白かったよ」と言われることがある。そんな時私は、「ありがとう」ではなく「そうでしょ? 面白いでしょ!」と返したくなる。インタビューの時に私が感じた面白さを、記事を読んだ人が同じように面白いと言ってくれたこと、つまり、共感してくれたことへの喜びなのである。
私は、自分以外の面白い人たちの話を、1人でも多くの読み手に「面白い!」と思ってもらいたいのだ。