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あのころ、できなかった話をしよう。〜卒業から22年の時を経て〜『#Eぐみに会いに行く。』vol.9 担任・富沢 崇 先生スペシャルインタビュー 【前編】

ライター・神田朋子が、かつて高校時代をともに過ごした仲間たちに会いに行き、近況や卒業後のこと、今だから話せる学生時代のエピソードについてインタビューをする『#Eぐみに会いに行く。』。この企画は、同級生たちが40歳を迎える2023年に始まりました。
9回目となる今回は、担任として3年間、Eぐみを見守り続けてくれた富沢崇(とみざわ たかし)先生へのスペシャルインタビューです。千葉県にある先生のご自宅にお邪魔してお話を伺います。

前編では、富沢先生が生徒たちのために選んでくれた本や、ご自身の人生を変えた本の話題を中心に、学生運動が盛んだった先生の青春時代まで時をさかのぼります。
昨年75歳を迎えられた富沢先生。今回のインタビューのきっかけは、今年のはじめに先生から届いた年賀状でした——。

『#Eぐみに会いに行く。』
vol.9

インタビュアー・神田朋子

富沢 崇(とみざわ・たかし)
1948年生まれ。都立高校国語科教諭として、約40年間勤務。退職後はNPO法人 手賀沼てがぬまトラストに加入。現在は同法人の理事を務め、地元の環境保全や米づくりなどにかかわる。2023年7月に初の著書『死んだら終わり? そんな理不尽ばかな! 「死」への態度変更 「死んでしまう」から「死んでみる」へ』を出版。

本がひらく新しい世界

神田:富沢先生とお会いするのは、去年の忘年会以来ですね。今日はよろしくお願いします。

富沢先生:まぁ、とりあえずそこに座って。今日は神田さんが来るから、パエリアを作っておいたんだよ。

神田:これ、ぜんぶ先生が作ったんですか? 

富沢先生:そうだよ。遠慮しないで食べてね。

神田:はい! いただきます!

具だくさんのパエリアと低温調理器でつくったチャーシューをいただきました。

神田:あたらめまして、今日はインタビューにご協力いただき、ありがとうございます。先生はもともと、この取材の申し込みを断っていらしたのに、どうして今回は受けてくださったんですか?

富沢先生:いや、話せることなんて何もないと思ってたんだけどね。去年、本を出したから、それについてなら何か喋れるかなと思ったんだよ。

今年のはじめに富沢先生から届いた年賀状。

昨年出版された先生の著書について書かれています。
年賀状には、インタビューを受けてくださることが書き添えられていました。


神田:今回はせっかくなので、Eぐみの担任をされていたときのことから、先生の本のことまで、幅広くお訊きしたいと思っています。

富沢先生:はい。よろしくお願いします。

神田:まずは、もう22年以上前のことになりますが、私たちEぐみの生徒がまだ高校生だったときの話からさせてください。実は今日のために、クラスの友達から懐かしいものを借りてきたんです。先生、この本、覚えていらっしゃいますか? 

富沢先生:ユング?

神田:はい。Eぐみの学級文庫に置いてあった本なんですよ。

富沢先生:そうか。あまり覚えてないけど、こんな本も置いてたんだな。

神田:当時の学級文庫の本は、ぜんぶ先生が選んでくださってたんですよね?

富沢先生:そうそう。

神田:わざわざ週末に奥様と池袋のジュンク堂まで行ってくださって。それなのに、みんな、なかなか読まなくて、先生に小言を言われたんですよね(笑)。

富沢先生:そうだったかな(笑)。そういえば、このあいだのニューヨークのインタビュー記事(『#Eぐみに会いに行く。』vol.8)で、Aくんが学級文庫に啓発を受けたというような話をしていたじゃないですか。あれを読んで、「そうか、よかったなぁ」と思ったんだよ。当時は、あんまりそういう実感もなかったものだから。

神田:先生に直接感想を言ってくる人はいなかったんですか?

富沢先生:そうだねぇ。あまりそんな話は聞かなかったかな。それでもときどき棚を見ると、本がなくなってたり、また戻ってたりしてたから、読んでる子がいるっていうのは分かってたんだよ。だから、少しでも役に立ったと感じてくれてる人がいたのなら、それはよかったなと思って。

神田:そうですか。

富沢先生:学級文庫もそうだし、授業だってそうだけど、「面白い」とか「つまんない」とかなんて、教師には直接言わないじゃないですか。あのころ、たしか神田さんが「他のクラスの友達が『富沢先生の現代文の授業が面白い』って言ってましたよ」って教えてくれたんだよね。それで、「面白がってくれる子が1人でもいるなら、このやり方でいいんだ」って、そう思ったんだよ。

神田:私だって、面白いと思ってましたよ!

富沢先生:そうですか(笑)。いや、現代文を教えるっていうのは、なかなか悩ましいものでね。古文とか漢文とかであれば、文法的なことを中心にして読み方を教えていけばいいと思うんだけど。現代文となると、小説にしたって評論にしたって、今の言葉で書いてあるでしょ。だから読もうと思えば誰でも読めるわけだよね。そう考えると、「いったい何を教えればいいんだろう?」と思うわけ。

神田:富沢先生の授業では、新書や文庫を印刷したものを教材として使っていましたよね。みんなで一緒に、1行1行、接続詞や主語に線を引きながら読んでいたから、1枚のプリントが終わるまでにだいぶ時間がかかって。私、心の中で、「この授業、ぜんぜん進まない……!!」って思ってたんです(笑)。

富沢先生:ははははは(笑)。僕があの授業で心がけてたのはね、一般的に難しいと思われてるような文章、つまり論理的な文章の読み方をみんなに伝えるということ。ところどころに線を引いて、接続詞に注意しながら読んでいけば、どんなものでも読めるんだよ、と。それに、せっかく授業で取りあげるなら、文章自体が面白いもののほうがいいと思っていたね。

神田:文章の面白さ、ですか?

富沢先生:要するに、論理展開の面白さとか、考え方の新しさ。それまで触れたことがないような、目を開かされるような内容のものだね。教科書に載ってるのは、けっこう当たり障りのないものというか、いかにも高校生向けといった感じの文章が多かったんだけれども、僕はできるだけそうじゃないものを選ぶようにはしていたね。

神田:たしかに。言われてみればそうでした。

富沢先生:たとえば、大学入試に使われてる文章なんていうのは、そのときの最先端に近い考え方が書かれたものが多い。そういう文章は、高校生がふだん読むには少し難しくて抵抗があるかもしれないけど、「こういう考え方もあるんだ」っていうことを勉強するには、いいんじゃないかと思ってね。

神田:学級文庫の本も、そういった視点で選ばれてたんですか?

富沢先生:そうだね。本格的な論文ではないけれど、専門家が手を抜かずに書いているものを選んで置いていたね。

あのころのEぐみ

神田:学級文庫の本の他にも、今日は持ってきたものがあるんです。

富沢先生:ああ、ビデオテープ?

神田:はい。学園祭のときに先生がビデオカメラで撮ってくださったものです。教室で上演したクラス劇が映っているんですが、私がこのテープを保管してたんですよ。

富沢先生:VHSか。今やこれを再生するビデオデッキもないものね。

Eぐみが2年生のときの学園祭の映像が入ったVHSテープ。
ラベルに書かれているのは富沢先生の字。
神田が先生に託され、今まで保管していました。

神田:そうなんですけど……この前、専門のお店に持っていって、DVDにデータを移してもらいました。

富沢先生:あら。今、そんなことができるんだ。

神田:せっかくなので、ちょっと再生してみますね。

富沢先生:あはは。さすがに画像が粗いねぇ。この、真ん中に映ってるのは誰だ?

神田:……私です。

富沢先生:ああ、言われてみればほんとだ(笑)。そうか、このとき主役だったから、神田さんにビデオを渡したんだな。

神田:おそらく。劇の他にも、吹奏楽部とか化学研究会とかの発表も入ってるんですよ。富沢先生がEぐみの生徒の出番を調べて、撮りに回ってくださったんだと思います。

富沢先生:そうだったかな。

神田:先生から見て、当時のEぐみの生徒はどんな子たちでしたか?

富沢先生:どんなって、みんないい子で、手のかからない子たちでしたよ。今だってみんな立派にやってるもんね。大したもんだよね。

神田:もう、だいぶ大人になりましたからね。40歳ですもの。

富沢先生:そうか、僕が君らに最初に会ったときは、まだ15歳だったのにね。じゃあいつまでも「若い」なんて言っていられなくなるでしょう(笑)。

神田:そうなんですよ! 毎年忘年会でEぐみのみんなに会うと、「変わらないね」なんて言い合ってるんですけど、そう思ってるのは本人たちだけで、ちゃんと歳はとってますからね(笑)。
そういえばこのビデオ、富沢先生もちょっとだけ映ってるんですよ。

富沢先生:ああ、ほんとだ。

富沢先生:クラスの誰かが撮ってくれたんだな。

神田:このときの先生は、たぶん52歳ぐらいですかね。

先生が影響を受けたもの

神田:ところで、先生ご自身はどんな高校生だったんですか?

富沢先生:僕が高校生のころは、ちょうど学生運動が盛んな時期でね。僕も『マルクス主義入門』とか『共産党宣言』とかいった本を一生懸命に読みあさって、どんどんマルクス主義に傾倒していったんだよ。卒業するころにはいっぱしの論客になって、教師批判とか学校批判とかをガリ版で書いて新聞にして、配ったりなんかしていたね。

【ガリ版】
謄写版とうしゃばんの俗称。ろうを塗った薄い紙をヤスリ板にのせ、鉄筆てっぴつで文字を書く。鉄筆によって蝋が剥がれた部分に、インクを滲み出させて印刷をする。鉄筆で用紙を削るガリガリという音から「ガリ版」と呼ばれる。

神田:私の親も先生と同世代なので、「学生のころはガリ版を削る音が校内に響いていた」という話を聞いたことがあります。だから学生運動についてもなんとなくは知っているんですが、当時の若者たちがなぜそういった活動をしていたのかが、私には今ひとつピンと来なくて。

富沢先生:要するに、当時の僕らには「今の世の中、間違ってる」という思いがあったんだよね。貧しい人たちは大変な生活をしているのに、権力とお金を持っている人たちが世の中を支配している。労働者の儲けのほとんどを、支配者階級が吸い上げてしまっている──だから僕らは、その労働者の立場のほうについて、こんな世の中をひっくり返さなきゃいけない、と。非常に簡単に言えば、そういうことだった。

神田:なるほど。

富沢先生:僕の場合は、大学を卒業したあともずいぶんと長い間──だいたい35歳くらいまでは、そういう立場で発言や行動をしていたから。今考えてみると、いろんな人に迷惑をかけたり傷つけちゃったりしたと反省してるんだけどね。

神田:そんなに長くですか? 学生時代だけかと思いました。

富沢先生:当時、都立高校の教師はほとんどが、“都高教とこうきょう”(東京都高等学校職員組合)──つまり教員の労働組合に入っていたんだけど、僕もそういった組合活動を熱心にやっていたよ。

神田:どんなことをされてたんですか?

富沢先生:入学式や卒業式で、「日の丸」を掲げたり、「君が代」を歌ったりするでしょ。あれを組合は、「過去の軍国主義に戻ることだ」と捉えて、反対してたんだよ。職員会議でその議題が出ると、教員たちはみんなで反対をするわけ。でも校長は校長で、上から言われてるから、引くわけにもいかない。そんなやりとりが、式の前日の夜中まで続くんですよ。

神田:そんな状況だったんですか。

富沢先生:だけどあるとき、「日の丸反対」の議論をしていたら、ある若い教師が言ったんだ。「でも、万国旗ってあるじゃないですか」って。

神田:ああ、運動会で飾る?

富沢先生:そうそう。「万国旗にはいろんな国の旗が並ぶじゃないですか。じゃあそのとき、日の丸だけ外せっていうんですか?」って。

神田:あぁ……。

富沢先生:それを聞いてね、なんだか妙に、「なるほど……」というふうに思ったんだよね。ものすごく簡単に言えば、これが僕がマルクス主義者をやめるきっかけになった。当時の僕らの理屈では、「日の丸」や「君が代」を、「過去の軍国主義をどう考えるか」という教育問題として捉えてたんだけど、今思えば、共産系と保守派という、政治的なぶつかり合いの中のひとつの駒に過ぎなかったのかもしれない。そしてもうひとつのきっかけとなったのが、ソ連の崩壊だね。

神田:1990年前後のことですね。

富沢先生:うん。もともとマルクス主義の人たちの中にも、ソ連のあり方に批判的な人たちはいたんだけど、社会主義の国ということで、基本的には擁護する立場をとっていたんだよ。だけどそのソ連が崩壊しちゃった。それをきっかけに、今まで自分が信じてきた考え方っていうのは、根本的に間違ってたんじゃないかって、そう思うようになったんだよね。

神田:先生がお読みになっていた本も、そのころから変わっていったんですか?

富沢先生:そうだね。それまでは、いわゆるマルクス主義的な哲学や経済学の本ばかり読んでいたから、それで自足していたというか、そういう世界の中だけで生きてたんだけど。転機になったのは、僕より10歳くらい年下の浅田彰あさだあきらという人が書いた『構造と力』という本に出会ったことだね。当時これがベストセラーになったんだ。

富沢先生:それまで僕が読んでいた本とはまるっきり違う考え方が展開されていて、すごく衝撃を受けたんだよ。「ああ、そうか、こういう考え方があるのか。しかもこれが、こんなふうに流行ってるんだ」って。それをきっかけに、いろいろなものを読むようになったよ。

神田:他に印象に残っている本はありますか?

富沢先生:やっぱり、大森荘蔵おおもりしょうぞうの書いたものかなぁ。たしか、彼の『真実の百面相』というのが、高校の教科書にも載っていたでしょう。

神田:あぁ、「岩が人に見えた」っていう、あの話ですね。

「夕暮れに山道を歩いていてふと前方の道の曲がりかどに人がたたずんでいるのが見えた。だが近よってみると奇妙な形をした岩であった。こうしたとき人は先刻見えた人影を錯覚だとか幻影だとかと言うだろう。(中略)だがこの一見無邪気で至極当然な考え方が実は危険な世界観の発端になる。というのはこれが、真実の世界と私に映じたその世界の姿という「本物ー写し」の比喩の入り口だからである。(中略)
 だがこの比喩こそが実は幻影なのではあるまいかと私には思われる。だからこの比喩の入り口に立ち戻ってみよう。山道の人影はそれが私に見えたとき真実そこにあったのではないか。そのとき世界は真実そのような姿であらわれたのではあるまいか。奇妙な形の岩は白昼近よって見ればまごうことなく岩の形であらわれる、それと同様に薄暗がりの遠目にはときに人の姿であらわれる、そういった種類の物ではないか。その岩もまた、そしてその岩を含む世界もまた百面相であらわれるのである」

大森荘蔵「真実の百面相」
(『流れとよどみー哲学断章ー』産業図書)

神田:岩が人影に見えた。それはそのとき、本当に人の姿としてそこにあらわれたのではないか。……考え方が斬新すぎて、初めて読んだときは「この人、何言ってるんだ?!」って思いましたけど(笑)。

富沢先生:あははは。それまでの日本の哲学者というと、海外のものの翻訳とか、それについて解説を書くようなこととかをする人が多かったんだけど、大森荘蔵は違う。彼のすごいところはね、自分の言葉で、日本語で問題提起をするんだよ。そしてそれを考え詰めていって、論理展開していったっていうところなんだよね。非常に頭のいい人だし、誠実だし、すごい人だよ。彼が生きているうちに、一度でいいから話を聞いてみたかったんだけどね。

神田:先生、今まで、大森荘蔵に会えそうなタイミングなんてあったんですか?

富沢先生:僕がちょうど大学生になるころに、彼は東大の先生をしていてね。もし東大に入っていれば会えたのかもしれない。でもあそこは基本的にエリートが行くところだから。東大に入るというのはつまり、権力の側について、権力そのものになるようなコースだと思っていたんだよね。当時熱心なマルクス主義者だった僕としては、そんなところに行くわけにはいかなかった。もっとも、まだそのころの僕は大森荘蔵のことを知らなかったんだけど。
もっと早くに知っていれば、教師じゃなくて、哲学の道を選んでいたかもしれないね。

***

教員時代、生徒たちのために真剣に本を選んでくれた富沢先生。ご自身の人生の節目にも、やはり本があったようです。
後編ではいよいよ、先生が今回のインタビューを受けてくださるきっかけとなった著書についてお話を伺います。

(【後編】につづく)

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