あのころ、できなかった話をしよう。〜卒業から22年の時を経て〜『#Eぐみに会いに行く。』vol.9 担任・富沢 崇 先生スペシャルインタビュー 【後編】
かつてお世話になった学校の先生。最近、そのころの先生の年齢に自分が近づいていると気付き、はっとすることがあります。
ライター・神田朋子が、高校時代の同級生にインタビューをする企画『#Eぐみに会いに行く。』9回目となる今回は、スペシャルインタビューとして担任の富沢崇(とみざわ たかし)先生にお話を伺っています。
前編では、かつてのEぐみの話から、先生ご自身の学生時代、そして教員時代のエピソードについてお訊きしました。後編ではいよいよ、昨年先生が執筆された著書の話題を中心にインタビューが進みます。
『#Eぐみに会いに行く。』
vol.9
インタビュアー・神田朋子
著書出版のきっかけ
神田:それではいよいよ、先生が昨年出された著書についてお話を伺っていこうと思います。
富沢先生:はい。よろしくお願いします。
神田:この本の出版は、昨年の7月でしたね。私も読ませていただきました。
富沢先生:あら、わざわざ印刷までして。線を引きながら読んだの? 時間がかかったでしょう。
神田:はい。高校時代の富沢先生の授業を思い出しました(笑)。
富沢先生:そうですか(笑)。
神田:私、このタイトルをはじめて見たとき、けっこう衝撃を受けたんですよ。『死んだら終わり? そんな理不尽な! 死への態度変更 「死んでしまう」から「死んでみる」へ』』──出版の数ヶ月前……去年の春先だったでしょうか? 私がインタビューを申し込んだときも、他のEぐみのメンバーが食事にお誘いしたときも、先生には断られてしまって。そのあとに出たのがこの本だったので、だいぶ心配していたんです。先生が私たちを避けていることに加えて、本のテーマが“死”だったので。
富沢先生:まあ、歳とともに人に会いに行くのが面倒になってね。時間がないわけじゃないんだけど、いろいろとやることもあったものだから。それに、“死”に関する問題は、最近になって急に考え始めたものでもないんだよ。
神田:そうだったんですね。この本の内容を大まかに説明すると……先生は子どものころから、死に対して、ある恐怖をお持ちだった。「いつか自分は死んでしまう。それなのに、世界はそのあとも続いていく」、そう考えたときに感じる“理不尽さ”──それが先生にとっての恐怖でした。そして先生は著書の中で、あらゆる考え方を持ち出すことによってこの恐怖の克服を試みている。
富沢先生:まあ、そういうことだね。
神田:先生はそもそも、なぜこの本を書こうと思われたんですか?
富沢先生:もともと、死に関してはいろいろと考えていたんだけれど、そんなことを他人に言うのは恥ずかしい、というか、はしたないという意識があったんだよね。話したところで共感を得られるかどうかも分からないし、もしかしたら相手のことも自分と同じ恐怖に引きずり込んでしまうかもしれない。もちろん、「何バカなこと言ってるんだ、死んだらおしまいに決まってるじゃないか」なんて返す人もいるだろうけれど。とにかくそういうことを、喋ったり書いたり、読んでもらったりすることは、やってはいけないと思っていた。自分ひとりで考えて、自分ひとりで死んでいけばいいんだと思っていたんだよ。
でもひょんなことから、Amazonに自分で出版できるシステムがあるというのを知ってね。まだまだ不恰好ではあるけれど、もうかれこれ2年以上、断続的に書いてきたものもあったから、いちどまとめてみようと思って本にしたんだ。
神田:この本を読んで私がまず驚いたのは、先生がここまで長く、死にまつわる恐怖と向き合って来られたということです。私も子どものころに「死ぬのが怖い」と思ったことはあります。でも、その期間はとても短かったんです。だから私にとっては特に直視して考え続ける問題ではなくて、先生のように「これを誰かに言うのは恥ずかしい」なんて感じるほど、深く悩んだことがなかったんですよ。
富沢先生:たしかに、この本には子ども時代のことも書いたけど、僕だってずっと何十年もジクジクと考え続けていたというわけでもないんだ。
神田:そうなんですか。
富沢先生:本格的に考え始めたのは、退職してからかな。いろいろなものを読みあさるにつれ、はまっていった。そのうちに、「子どものころのあの気持ちは、これだったんだ」と、繋がっていったという感じかな。
でも今、神田さんに言われて、あらためて振り返ってみると……たぶん35歳ぐらいのころだろうね。同僚と一緒にいるときに、「人生70年だとして、今、半分まできた。あと残る問題は、“死”というものをどう考えるかだよね」というようなことを、話した記憶はある。だから、絶え間なく考えていたわけではないけど、完全に忘れていたというわけでもない。そしてだんだん、まわりの人の死を経験するようになって、自分の中に潜在していたものが出てきたのかもしれないね。
神田:この本の中でも、ご友人が入院されたときのエピソードについて書かれていますよね。
富沢先生:うん。親しい人が入院したときに、お見舞いに行くことがどうしてもできなかった。これから死んでいく人に、どんな顔をして「大丈夫だよ、すぐに良くなるよ」なんて言ったらいいか、わからなかったんだよ。さらに本音を言えば、「今、死のうとしているあなたは、どんなことを考えているの?」と、訊いてしまいたかった。
神田:私がもうひとつ驚いたのが、先生が死に関して、どの点に恐怖を感じているかということです。「死ぬのが怖い」というのは多くの人が感じることだと思いますが、先生はそれをさらに突き詰めて、「死んでしまう自分」「それなのに続いていく世界」、そこに生じる“不可解性”に着目している。
富沢先生:そう。この世界というのは、自分を通してしか見ることができない。つまり、自分自身がこの世界をひらく“焦点”であるはずなのに、その自分が死んでしまったとしても、どうやら世界は続いていくらしい。それはいったいどういうことなんだろう、と。そう思ったんだよね。
神田:だから先生は著書の中で、「死ぬことによって消えてしまう私」とは別に、「死んだあとも存続する私」を仮定している。それを、世界をひらく“焦点”とすることで、先生が感じている“不可解性”を乗り越えようとしているんですよね。
富沢先生:簡単に言えば、そういうことだね。
神田:最初にこの本を読んだときは、先生が感じている恐怖というのが理解できませんでした。でもよくよく考えてみると、私が死に対して感じている怖さも、それに近いのかもしれないと思ったんです。死んだら私はいなくなって、たぶん“無”と言われるような状態になる。だけど、その“無”っていったい何だろう? ……理解不能だなぁ、と。その不可解さに、怖さみたいなものは感じます。
富沢先生:そうでしょ?
神田:でも私の場合はそれに対して、特にどうこうしようとは思わないんです。「死とはそういうものだよ」「そう思うしかないんだよ」と言われれば、「ああ、仕方がないんだな」と思って飲み込んでしまいます。
富沢先生:なるほどね。
神田:それに、「生きているうちだけだ」と思うから、現状、何とかやっていけてるとも思うんです。もし死んだあとも、この記憶と意識を保持したまま、自分が何かしらのかたちで存続しないといけないのだとしたら……なんだかそれは、単純にシンドイです(笑)。
富沢先生:あははは。そうですか。
「論文」なのか 「エッセイ」なのか
神田:そういえば著書の中にも引用されていましたが、先生のお母様も本を出されてましたよね?
富沢先生:ああ、あれは自作の短歌を1冊にまとめたものだね。母がもういよいよというときに、僕が慌てて母が書いたものを探し集めて、製本屋に持ち込んだんだよ。亡くなる2日ほど前にようやく出来上がってね、お葬式に来てくれた人にも渡すことができたんだ。
神田:そうなんですね。すると、今回のようにご自身で本を出すというのは、やはり先生にとっては特別なことなのでしょうか。
富沢先生:まぁ、そうじゃないとは言わないけど。正直言って、今回まさかこんなふうに自分の本を出すなんて、思ってもいなかったからね。
神田:まわりの方からはどんな反響がありましたか?
富沢先生:それがね、ああやって年賀状で宣伝した割には、思ったほどの反響はなかったんだよ(笑)。でも、中にはしっかりと読んで、論理的な側面から鋭く批評をしてくれた人もいたから、それは本当にありがたかったな。
神田:私には、この本を批評するような知識や技術はないのですが、読み進めるうちに、これはもしかすると、先生の自伝的エッセイなんじゃないかと思ったんです。
富沢先生:なるほど。
神田:先生の幼少期や学生時代、ご両親のエピソードも入っていて。何かの主張をするための本というよりは、考えの軌跡をたどるようなもののように感じました。だとすれば、これは“死”をテーマに据えて、その恐怖を克服するすべを模索しつつ、これまでの先生の人生を振り返るようなものなのでは? と、そう思ったんです。
富沢先生:まさにその通り。そういうふうに読んでもらえると、実は嬉しいんだよ。
神田:でも言い方を変えれば、論文のようにも、エッセイのようにも読めるから、どんな態度で読んだらいいか正直迷う本ではあると思います。
富沢先生:そういう意味で、この本は中途半端、どっちつかずなところもあるんだよね。だいたい、「現代の物理学的な考え方に合うように死の問題を考えて、克服する」と書き出しておきながら、最後にはそうじゃなくなっている。自分で言うのも何だけど、いろいろ指摘をされてしまうのはもっともだと思うんだよ。
神田:それでも、こういった死の捉え方があるということを知れるのは、読者にとってはとても価値がありますよね。この本には、先生が「死への恐怖」を克服するために、なりふり構わずあがいた記録が、包み隠さず書かれている。
富沢先生:そう、まさにあがいたんだよ(笑)。
僕だってね、本当はわかってるんですよ。「死んだら終わり」なんだよね、やっぱり。だけど、それじゃああんまりじゃないかと。死の恐怖という問題があるのに、「死んだら終わり」だけで片付けられてしまうなんて、あまりにもどうしようもない。だからなんとか、無理矢理にでもそれを乗り越えていくことができないかと、そう思ったわけ。
神田:そうだったんですね。
富沢先生:この本を出してから、またいろいろと考えたことがあってね。それで原稿に少し手を加えようかと思って最近パソコンを開いたんだけど──なぜか、関連ファイルがぜんぶ消えてしまっていたんだよ。
神田:え?! どこにもないんですか?
富沢先生:もちろん「ごみ箱」の中も見たんだけどね。不思議なことにこの本に関するものだけが、ぜんぶきれいになくなっていたんだ。これはもしかしたら、「もうこれ以上はやめておけ」という啓示かな、なんて考えも浮かんだくらいだったんだけど(笑)。
いずれにしても、復元するには手間がかかりそうだから、今はいったん止まってしまってるんだよね。
神田:そうなんですか……。でも、また何かお書きになったら、ぜひ私にも読ませてくださいね。
現在の活動
神田:執筆作業は一区切りついたかたちかと思いますが、最近先生は何をして過ごされているんですか?
富沢先生:退職後にここに住むようになってから、「手賀沼トラスト」というNPO法人に所属しているんだけど、今はだいたい、その仕事をしているね。
神田:テガヌマ?
富沢先生:そう。あそこに大きな川みたいなのが見えるでしょ。あれが手賀沼っていう沼。その周辺の環境保全だとか、農地の管理とかをやっているの。手前に見える茶色い部分がぜんぶ田んぼなんだけど、そういったものを、市から任されているんだよ。
神田:じゃあ、ここ一面にお米ができるんですか?
富沢先生:そうだよ。
神田:夏は青々として素敵でしょうね。
富沢先生:秋もきれいだよ。稲穂が黄金色になってね。とてもいいところですよ。
神田:そのNPOって、どうやって運営してるんですか?
富沢先生:おもに200名ほどいる会員の会費と、市からの補助金で活動しているね。「遊休農地」と呼ぶんだけど、農作物を作っていた人が高齢になったりして面倒が見切れなくなった土地を、市に依頼されてうちのNPOが管理しているんだよ。田植えとか稲刈りを手伝ってくれた人たちには、採れたお米を配るんだけど、これがけっこう好評でね。
神田:私もやってみたいです! 楽しそう!
富沢先生:楽しいといえば楽しいけど、やっぱり大変だよ。そろそろ本格的に米作りが始まるからね、また忙しくなってきますよ。
その他の時間は、もうほとんど、孫の世話だね。まだ小さいんだけど、本当に元気いっぱいで。
神田:お孫さんは、やっぱり可愛いですか。
富沢先生:可愛いね(笑)。可愛くて困っちゃうよ。
神田:先生、今日いちばんの笑顔ですね(笑)。
富沢先生:面白いもんだよね。自分の子どもも可愛かったけど、あのころは育てるのに精一杯だったから。でも孫となるとさ、ぜんぶ面倒をみるわけでもないでしょ。やったってせいぜい、幼稚園のお迎えと、風呂入れと、夕飯作りぐらいなもので。
神田:いいとこ取りができるんですね。
富沢先生:そうそう。
神田:これはお孫さんが描かれたんですか?
富沢先生:前に描いていったのが残ってるんだ。こりゃ太陽だな、きっと。
神田:かわいいですね。私には子どもはいないんですけど──なんだか最近、自分が歳をとっていくことにばかり目がいってしまうんです。でも、もしも自分に子どもがいて、そういうふうにみずみずしく育っていく存在を身近に感じることができたら、「生命って、トレードオフだなぁ」なんて、思えるんじゃないかと。
富沢先生:どうなのかな。子どもが小さいうちは、そういう感覚があるかもしれないけど。だんだん大きくなるにつれて、いろいろとうまくいかなくなることもあるからね(笑)。
神田:そういうものですか(笑)。たしかに、子どもだっていつかは大人になりますからね。
***
神田:先生、今日はいろいろなお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
富沢先生:こちらこそ。楽しい時間を過ごさせてもらいましたよ。
神田:富沢先生がEぐみの担任で、本当によかったです。またお会いできるのを楽しみにしています。
次回は他の生徒も連れて遊びに来ますね!
(取材日:2024年3月23日)
『#Eぐみに会いに行く。』vol.9 担任・富沢 崇 先生スペシャルインタビュー
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