大人になって気付く、セリフの秀逸さ〜『魔女の宅急便』が描く"厳しい社会"
幼い頃からジブリ映画の『魔女の宅急便』が大好きで、セリフを覚えては保育園の友達と「魔女の宅急便ごっこ」をしていた。いつもメンバーは決まっていて、主役であるキキ役の子と、猫のリリー(黒猫ジジのガールフレンド)役の子、そして、それ以外の全ての役を担う私の合計3人だった。
ジジ、トンボ、パン屋のオソノさん、オソノさんの旦那さんなど……私は、セリフのほとんどを覚えていた。今考えると、2人の友達は嫌々私に付き合ってくれていたのかも知れない。物語の中盤に登場するウルスラ役をやった記憶があまりないので、ごっこ遊びが始まると早々に他の2人は飽きてしまい、私も仕方なく別の遊びに切り替えていたように思う。
それでも、私は自分が演じる役を全力でやっていた。オソノさんが、乳母車を押す女性の後ろ姿に向かって、忘れ物のおしゃぶりを片手に叫ぶシーン。
「奥さ〜ん、忘れもの〜! 奥さ〜ん!!」
雨の日、プレイルームの窓際に立ってこれを大声で叫んだところ、園庭にいた友達のお母さんに怪訝な顔で見られたのを今でも覚えている。
どのキャラクターも魅力的だったが、私は特にジジのセリフが好きだった。貨物列車から見える美しい海に、「なーんだ、ただの水溜りじゃないか」なんて言ってしまう。可愛いのにちょっと憎たらしい言葉が魅力的だった。
昨夜、テレビで久々に『魔女の宅急便』を観て、セリフの秀逸さに驚かされた。私が特に注目したのは、13歳のキキが社会に接することで触れた、大人たちの些細な言葉の数々だ。
例えば、ジジにそっくりなぬいぐるみ(ということになっているが、本当はジジがぬいぐるみのフリをしている)を配達した先でドアを開けた女性のセリフ。依頼主の妹と思われる彼女は、開口一番「遅かったわね」と言う。
例えば、とても重い荷物の配達を依頼しに来た男性のセリフ。配達先を質問したキキに対し、「箱に書いたはずだが?」と答える。
私はこれらのセリフに対し、幼心に「いじわるだなぁ」と思っていた。ぬいぐるみ配達の依頼主は「日暮れまでに」届けるよう言ったはずなので、キキは約束の時間を守っている。だから「遅い」なんて責められる筋合いはない。重い荷物の依頼主だって、確かに箱に宛先が書いてあるかも知れないけれど、その場で改めて答えてくれたって良いはずだ。幼い私はそれらのセリフに、ちょっとずつ傷付いていた。
ところが、大人になってみると、このようなやりとりは日常茶飯事なのだ。努力したことが相手に伝わらなかったり、思わぬところで責められたり、良かれと思ってやったことが裏目に出たり……。社会には色々な人がいて、その分色々な考え方や表現がある。自分にとっては傷付くような言い回しをする人もいるし、自分自身だって知らない内にそれを言う側にもなっている。そしてそれらをサラリと受け流したり、互いにコミュニケーションで補ったりしているのが現実なのだ。
この映画には、そんな何気ないやりとりが散りばめられている。子供だましの優しさでもなく、単にストーリーを前進させるだけでもない、リアルな言葉の数々がそこにはあるのだ。もし私がこれらのセリフに触れずに育っていたら、社会に出た時に受けたショックはもっともっと大きかったかも知れない。
『魔女の宅急便』のセリフは、ウィットや喜びやワクワクだけでなく、社会の厳しさみたいなものを幼い私にさり気なく教えてくれた。