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バトンズの学校で出会った仲間たち

今年1月に終了したバトンズの学校。延期になっていた懇親会、そして急遽実施していただけることとなった補講が、昨日開催された。ほんとうのほんとうに、これが最後の講義である。

午前中に降っていた雨も昼過ぎには上がり、太陽が顔を出すと急激に蒸し暑くなった。想定外の暑さに服を選び直していたせいで、会場であるダイヤモンドビルに私が到着したのは、講義の開始10分前だった。

汗を抑えながらエレベーターに乗る。呼吸を整えきれないうちに、最上階に着き、扉が開いた。それと同時に聞こえてきたのは、学生時代、休み時間の教室に溢れていたような、学友たちのざわめきだった。

久々の再会に歓声をあげる者、互いの近況報告をする者、noteの文章の感想を述べ合う者……。昨年7月3日、受講生にとって初めての顔合わせとなったあのガイダンスの日の静けさとは比べ物にならない賑やかな光景が、そこには広がっていた。

いつの間に私たちは、こんなに互いにかけがえのない存在になったのだろう。

講義中の半年間は、全員が全員、ここまで仲良くはなかったように思う。少なくとも私は、毎月の課題に必死だったためか、周りを見回す余裕はなく、前ばかりを見ていた。徐々に、それぞれの文章特有の息づかいみたいなものが分かってきたのは、最終講義を迎える頃だった。

コロナ禍ということもあり、リアルの交流会はなかなか開催できなかったけれど、その分私たちは、相手の存在を渇望するように互いの課題や総評、noteを読んだ。そして少しずつではあるが確実に、お互いのファンになっていったのだと思う。

講義が始まった頃の私の姿勢は、講師・古賀史健さんが上京して初めて渋谷に行った時のそれと似ていた気がする。「俺は絶対に道を譲らないぞ」と心に決め、センター街のど真ん中を歩く。しかも、道を譲らなかった誰かと肩がぶつかったら、即ケンカするつもりで——。

今になって考えると、一体誰に道を譲らせて、誰とケンカするつもりだったのか……。私は何故か、ただただ肩に力を入れて意気込んでいた。もちろん受講生たちの中にケンカをふっかけてくるような人は一人もおらず、今では私にとって全員が尊敬できる、大好きで大切な仲間となった。

この学校で得たものはたくさんあるけれど、やっぱり一番は仲間たちだと思う。

書くことに向き合うこと、自分自身に向き合うこと。それはとても辛いことでもあるけれど、私にはあの半年間を共に必死に駆け抜けた仲間たちがいる。そして今も、みんながそれぞれの場所で頑張っている。その事実が、この先も私に文章を書き続けさせてくれるのだ。

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