かぞく
先日、NPO法人「東京レインボープライド」共同代表理事の杉山文野さんがラジオに出演していた。番組のテーマは「家族」。杉山さんによる“家族の定義“は「1番大切な他人」だという。
それを聞いて、面白い力を持った言葉だな、と思った。
社会的事情や法的理由があって家族になれない人たちにとっては、固定観念の中にある「家族」の枠を広げ、相手との距離を近づける言葉になる。一方で、関係が近すぎるが故に問題を抱えている血縁者たちには、一定の距離を与える言葉になるからだ。
「家族」と一言で言っても、その言葉が意味するものは、大昔に比べれば全く違うのではないだろうか。家族を構成するメンバーや、それぞれが担う“役割“は、時代とともに変わっていく。
時代につれて変化する「家族」に、いつでも変わらず付随するもの……それは、詰まるところ、「めんどくささ」なのではないだろうか。互いに選んで家族になったわけではない血縁者にも、望んで家族になった夫婦にも、その関係から生じる「めんどくささ」は、家族を続ける限り付きまとう。それは、たとえばお金であったり、責任であったりするのだろうけど。少なくとも、望んで家族になるということは、その「めんどくささ」をも望んで受け入れるということなのだ。
100年後、200年後、もしも“家族の定義“が今よりもずっと広いものになったとしたら——。人は、今よりももっと沢山の「めんどくささ」をしょい込むことになる。そしてその分の寛容さも備えるようになるのかもしれない。
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