秋の巣立ち #かくつなぐめぐる
数日前の台風が、夏をどこかへと連れ去ったようだ。一段ずつ階段を降りるように、気温は日に日に下がってゆく。降りた段数の分だけ、空も高くなるのだろうか。秋の空は本当にどこまでも高く、清々しい。そして少しだけ、さみしい気がする。
こんな空へ向けて飛び立つのは、いったいどんな気分なのだろう。夏前に駅の軒下にできたツバメの巣。その周りを忙しなく飛び交っていた親鳥の姿も、今はもうない。私は電車に乗り、内見先へ向かった。
「引っ越しをしよう」、そう思い立ったのは、つい数日前のことだった。
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物心ついた時には、私は今の家に住んでいた。大学生になると、両親が仕事の拠点を地方に移すため家を離れたが、私はこの“実家“にひとりで住み続けた。「家を出る」という言葉にどこか憧れを持っていた私だったが、思いもよらず、「家を出て行かれる」側になったのだ。ひとり暮らしではあるけれど、思い描いていたものとは何だか違う。家電も家具も揃っていて、何不自由ないけれど、家の中にあるものを何でも好き勝手に取り替えるわけにもいかない。両親宛の郵便物は届き続けるし、近所付き合いも続いていく。いわば、長い長い、終わりのない“お留守番“だった。
その後、結婚した私はようやく家を出ることになったが、結局、3年前にまたこの家に出戻った。一部の家具は新調し、模様替えもしたけれど、「またどうせ、出ていくから」と、買うものといえばすぐに捨てられるような“仮り“のものばかり。相変わらず、“お留守番“であることには変わりなかった。
「いつか、またいい人ができたら出ていけばいいよ」——そんな呪縛のような親戚たちの言葉とともに、月日は過ぎた。このままでは何も変わらない。ピクリとも動かない淀んだ水の中に、胸まで浸かっているような気分だった。いっそ実家を出ていってしまいたい気持ちもあったが、今ひとつ、出て行く理由が見つからない。私が出ていけば、ここは空き家になる。だったら今のまま住み続けた方がいい。住む場所があるだけでも幸せなことなのだ。引っ越しなんて、お金も体力もかかるし、面倒くさいことだらけなのだから。しかし、待っていたって「いつか」は来ない。
ぼうっと眺めていた物件探しのサイトに、何となく気になる部屋が掲載されていた。何もしないであれこれ考えているよりは、いくつか物件を見に行った方が、気持ちに変化が出るかもしれない。次の休日、私は内見に行くことにした。
そこは駅から随分と離れた場所にあった。高台にひっそりと建つ白いアパートの一室は、外界から遮断された隠れ家のようだ。部屋に入ってみると、思いのほか狭い。約9畳。実家に比べればもちろん狭いけれど、考えてみれば「1平米」や「1畳」がどのくらいかなんて知らない。本当に、社会科見学のようなつもりで来てしまったのだと気付く。その部屋はちょっと風変わりな間取りになっていて、部屋の端についた階段を登ると、ガラス戸からウッドデッキに出ることができた。眼下には、周りの家々の屋根が広がっている。
案内してくれた仲介会社の人に、他に見たい物件があるかと聞かれたが、答えられなかった。そもそも「住みたい街」や「住みたい沿線」なんて、私にはないのだ。
内見先を後にし、最寄り駅へ向かう。この辺りは閑静な住宅地だ。実家のまわりの賑やかさを思い出し、少しさみしくなる。さっきの部屋でなくとも、もっと他にいい物件があるだろう。わざわざお金や労力をかけなくたって、住み慣れた家に居続けた方がいいのかもしれない。しかし一方で、このタイミングを逃したら、もう実家から離れられないような気もする。頭の中に、空っぽになったツバメの巣が浮かんだ。巣立つのも、新しい土地へ向かうのも、タイミングを逃してはいけないのだ。
その日、私は仲介会社に入居の申し込みの連絡をした。
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「1軒しか内見してないのに決めちゃったの?!」
ほぼ誰の意見も聞かずに引っ越し先を決めてしまった私に、友人は呆れていた。さすがに急過ぎた気もして、2日後の夜、私は再び同じ場所へ内見に行くことにした。この前は昼間だったが、夜はまた印象が違うかもしれない。本当に嫌になったらキャンセルしたっていい。
改めて訪れた部屋は、思ったよりも広く感じられた。ここ数日、私は自分でも意識しないうちに、この部屋に帰ること、キッチンで料理をすること、風呂に入り、ベッドで横になることを想像していた。頭の中ではすっかり新居に住み着いていたのだ。この前、駅に向かう時に抱えていたさみしさの正体は、ホームシックみたいなものだったのかもしれない。居心地が良くなった実家でのひとり暮らしを手放すことに、少しセンチメンタルになっていたのだ。
夜のウッドデッキに出てみる。暖色のライトが足元を照らしていた。手すりの向こう側に、しんと静まり返った家々の屋根が並んでいる。東京にしては空が広い。私は、この小さな部屋と、ここから見える景色が気に入っていることに気付いた。
確かに実家を出るのは面倒くさい。契約とか、引っ越しとか、家賃とか、電気・ガス・水道の手配とか。生活に必要な家電や家具も、一から自分で揃えなければならない。でも、そういった面倒くさいあれこれを、私は今、自分でやりたいのだと思った。自分自身で何かを決めたい。それを「一人前になる儀式」のように勝手に思い込んでいる節はあるけれど、「気に入った間取りの部屋に、気に入った家具を置いてひとり暮らしがしてみたい」——引っ越しの動機なんて、そんな単純なものでもいいのかもしれないと思った。
これからこの部屋は、私の小さな基地になる。夜はここに椅子を出して、空を眺めよう。実家のベランダから見えた空よりも、ほんのちょっとだけ広い夜空。明かりを灯して、ラジオをつけて。もしもこの空のどこかに宇宙人がいたら、そのうち交信だってできるような気がする。そんな取りとめのない空想をしながら、ワクワクしている自分がいた。
家を出る——その決断を、まずは自分自身でしようと思った。