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迎え入れることの楽しさを〜更年期の味わい2〜
もうすぐ52歳になる私は現在、いわゆる「更年期」のまっさかりです。
前回更年期のことを挙げてから約半年経ちました。
その半年でも、自分の中の感じ方(感受性)がさらに大きく変わりました。今日はそのことについてお話ししたいと思います。
更年期になって気づいた無意識の行動
上記の記事にも書かせていただいたのですが、生き物の中で「更年期」があるのは人間とシャチや鯨だけだそうです。
どれも集団で生活する社会性の高い生き物です。
集団生活をする中で、共同で子育てすることにより、生存効率を上げてきた。
それを考えても、生殖機能がなくなっても、自身の子育てをし、長く生きていた経験を生かして地域やコミュニティの子どもたちの世話をするのは理にかなっています。
更年期になると、身体に大きな変化があり、それに伴って物事の受け止め方や価値観も大きく変わります。
人によっていろいろな変化があると思うのですが、私自身はこんな変化がありました。
閉経するということは、ある意味、機能的に「女である時期」が終わるということです。それを経験して初めて分かったのは、これまで異性の目にどれだけ自分が縛られていたかということ。
あらゆる場面で、無意識に異性の視線を意識して生きてきたのがわかります。
ファッションやお化粧など見た目の問題だけでなく、異性が好むような振る舞い方や考え方に、いつの間にか寄っていたということです。
私はいわゆるフェミニストではありませんので、女性性が後天的なものだとは思っていません。それに常々、異性を意識して美しくみられるようにしておこう、と意識的に考えてきたわけでもありません(私のことをご存知の方は、おそらくご理解いただけるかと思います笑)
そんな私でさえ、ありとあらゆる部分において、異性を意識していたというのはかなりの驚きだったし、新鮮でした。
更年期の気持ちの高ぶりのようなものが収まってくると同時に、そういった「異性の目」から解放されていくのが感じられました。
ある意味、本当にフラットに、性差に関係なく人間性で人を見ることができるようになったような気がしています。それだけでなく、あらゆる多様性を以前よりずっと容易く受け入れられるようになりました。
また、困難な場面に出くわしても、よりスムーズにオルタナティブを考える方向に切り替えられるようになってきました。
長生きの意味
そういうことを考えるうちに、人間が生殖機能がなくなってからも長生きをして、後進の面倒を見るようになった理由がわかるような気がしてきました。
生物的な視点からいえば、極論、若い人や子どもたちの面倒を見ることや、何かを伝えようとすることがなければ、長生きをしても意味がなくなってしまう、と言えるのかもしれません。
ただ、それは本人が意識的に「何かを伝えなければ」とか「面倒を見なくては」と考えて行動するということよりも、むしろ無意識に近い部分において、長く生きてきた人だけが到達できる姿を見せてくれることに意味があると思います。
自分の両親のことを考えても、年老いてできることが少なくなっても、やはり私たち子どもには学ぶべき点が多くあります。
一生懸命に生きていてくれるだけで、何かを示すことができる。
そういうことが人間の品格ともいえるのかもしれません。
老人を敬いなさい、年上の人を敬いなさい、と昔は口を酸っぱくして言われたものですが、今、自分がその入り口に立ってみて初めて、その意味が肚に落ちてきています。
シフトチェンジする時期
更年期は辛いイメージで語られることが多いですが、その字が表す通り、「更に年を重ねるために必要な時期」、シフトチェンジする時期です。
できなくなることよりも、できなくなることによって変わる視座。
学ぶことよりも学びを共有できることの喜び。
などなど、ある意味、今までの価値観を手放すことによって、新しい価値観が得られる。
今まで慣れ親しんだものを手放すのはなかなか勇気がいることですが、更年期で身体が変わることによって、いつのまにかそれを迎え入れることができている。
身体って本当にうまくできているな、と。
更年期を経れば、これまで経験したことのなかった楽しみが多く待っているような気がして。今からワクワクしています。