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育ってくるのを待つ大切さ

 現在オーストラリアに留学中の長女。小学校1年の2学期1日目終了後、もう学校には2度と行かない宣言をして以来、家で、あるいは自分の好きな場所で、自由気ままな生活を楽しんでいました。

 たまに気まぐれで勉強らしきものもしていましたが、基本好きなことをして過ごす毎日。親側から「勉強しなさい」は(たまにはあったかもしれませんが)ほぼ言わず、野放しの状態でした。一応、時々先生が見にこられたり、学年が変わるごとに、数日だけ学校に行ってはみたものの「やっぱりいいや」となって行かない、というのを繰り返していました。

 ところが4年生になった頃、急に「お母さん、進研ゼミやりたい」と言い出したのです。どういう風の吹き回しだろう、と思いましたが、本人の言うとおりにしました。教科書だってろくろく眺めたことがないのですから、進研ゼミも分からないところだらけだったと思います。それでも、彼女なりのペースで続け、赤ペン先生の丁寧な添削ぶりにも感激していました。

 後年、急に勉強しようと思った理由を「ある時急に、このままじゃ私はダメになると思った」と、友人に話しているのを耳にしました。結局、手放しに長女を信頼し、やりたいようにやらせていたのが良かったのかな、とその時思いました。

 親が子どもを、子どもが親を信頼するのは自然なことです。その子にはその子なりの成長の仕方がある。時には、世間の用意したステップとは合わないこともある。親は「親」と言う漢字の通り「木の上から見守る」ことが仕事。世間の常識に囚われず、子どもを信じてじっと待つことの大切さを、長女から学ぶことができたように思います。




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