人を当てにして残念な気持ちになった話
人を当てにして残念な思いをしたことはありませんか?
人を当てにしてしまえば、その通りにならないと「何で?」という気持ちが湧いてきます。ひどいときには怒りさえ覚えることも。
普段は人に何かをしてもらいたいとか思わないのですが、最近無意識に人を当てにしてしまいました。それが見事に外れてちょっと残念な気持ちになったことがあったのです。
人を当てにしていいことはありません。逆に予期せぬうれしいことをしてもらえると、とても幸せな気持ちになります。
自分の中で勝手に「○○してくれたらいいのに」「○○してくれることが当たり前よね」と人に期待すると、ほとんどその通りにはなりません。
そのせいで自分の機嫌が悪くなるのは、自分でも疲れてしまいます。
助けてほしいときには言葉にして言う。
こうすると自分の機嫌もとれるし、相手の気持ちもわかりますね。
悲しいかな勘違い
その日は、仕事の締め日が近づいていて、へとへとになりながらの帰宅でした。
電車を降り改札を出たところで、地上に上がるエレベーターを使用します。エレベーターは扉が開いていて、中で3人が扉の閉まるのを待っていました。
エレベーターの奥に手押し車のおばあさん、入り口の両側にサラリーマン風の若い男性が2人。
エレベーターの扉が開いていたので急いで乗り込み、しばらく沈黙のあと地上へ到着しました。
ここで私は無意識に「わたしがドアに一番近いから先に出ないといけないよね」と思い、ボタン近くの男性が「開く」ボタンを押してくれるものと想像していたのです。
エレベーターを使用するとき、暗黙のルールではないですが、ほとんどの方がそうしてくださいます。
今回もそうしてくれるだろうと、当てにしていたのです。
しかし実際は、ドアが開くと同時に、ボタン近くの男性はスマホを見ながらさっさと出て行きました。
ちょっとあっけにとられながら私が出たあと、もう一人の男性が出て、最後に手押し車のおばあさんが出てきました。
私が歩き出したその先に、最初に出た男性がスマホを見ながら歩いていたのです。
最初にさっさと出たので急いでいるのかと思ったのですが、別に急いでいる様子はなく、ただスマホを見ながら歩いて行きました。
この男性にとっては、これが普通なのです。
こんな人もいるよね
人は自分が考えていることが世間の常識と考えてしまいがち。
今回のように、わたしの中での常識が、他の人にとっては常識ではないパターンが多々あります。
そもそも押しボタンの近くにいる人が、「開く」ボタンを押して、最後に出なければいけないという決まりはないのです。
ですが、もし私が押しボタンの近くにいたら、開閉ボタンを押しているでしょう。その方が人の流れがスムーズにいくと思うからです(これも私の勝手な思い込み)。
自分の勝手な思い込みで、勝手に人を当てにすることは、気持ちがザワつく原因になると感じた出来事でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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