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“出力元”となるインプットの振り返り【1】


人生初の会社員生活、そしてaudible導入へ

今月から会社員生活がはじまった。満員電車にゆられる日々を覚悟していたが、意外と窮屈さを感じることはなく、タイミングがよければ座れるほどだった。

久しぶりにオーディオブック『audible』を契約し、駅に向かう途中に聴き始める。最初に選んだのは、東野圭吾さんの著書『誰かが私を殺した』だ。

ほとんどの小説では、(当たり前だが)殺された者は2度と発言しない。だが、本書は違う。殺された“私”が魂となって再び登場し、事件の真相を刑事と共に追うのだ。新感覚すぎて、音声を聴きながら度肝を抜かれた。あと2回くらいは聴き直したい。

『audible』を契約した理由の一つに、「岩波文庫(新書)」の存在がある。以前、落合陽一さんが大学生時代に岩波文庫を100冊読破していた、とどこかで耳にし、いずれは自分も読まなければいけないものだと感じていた。私が尊敬しているライターの長谷川リョーさんも、朝渋というイベントで「まず新書を1000冊読むと良い」と発言していた。

ふと目に止まって、選んだのがこちら。

以前、『前科者』という映画を観たことがある。前科者の更生、社会復帰を目指して、保護司が奮闘する物語だ。主人公が保護司になった背景も描かれるのだが、なんとも切ない気持ちに襲われた。それ以来、罪を犯した人のその後には、なんとなく関心をもっていた。

『罪を犯した人々を支える』の中で「他国の方が日本で犯罪を犯した場合、裁判で通訳を担当する人がその国の言語に精通していないと不利になる可能性がある」という話があった(ややうろ覚えなので、正しい内容は本書を読んで確認いただきたい)。

もし仮に、自分が海外で罪を犯すようなことがあったとすれば、同様のハンディを背負うことは容易に想像できる。自分が見えている/想像できている世界は、ほんの一部にすぎないのだと改めて思い知らされた。

この本とは別に、『月の満ち欠け』も聴き始めた。感想は、またどこかで書きたい。

捗る読書と、積まれていく本たち

電車に乗ると、音声から紙の本へと切り替える。音声を聴き続けても良いのだが、なんとなく本を開きたくなる。音声では掴みきれない“何か”があるのかもしれない。

最近知った本に『喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima』がある。エッセイ本などもいくつかあったので、あわせて読みたい。まだ本書は読み途中なので、感想はまた後日に。

本当はビジネス系の本を読み捌きたいところだが、小説を書く上で語彙や文体の幅を広げたいこともあり、物語を中心に読書する日々を送っている。個人的な感覚だが、おおよそ四半期に一度のペースで興味・関心が回転するので、そのうち自分自身がビジネス系にどっぷり浸かることを期待している。それまでは、物語や哲学に対する知見を深めていきたい。

続く、四季報写経。500銘柄を突破

職業柄、上場企業を網羅的に知っていることは欠かせないはずだ。昨年、四季報写経勉強会に参加し、それ以来、ほそぼそと企業の概要や財務情報を毎日写経している。

最近、「四季報写経」という言葉が流行りはじめ、やや優位性が薄れるのではないかと危惧している。が、そんなことより、まずはインプットを増やすことが先だ。

下記のnoteを読んだことも、四季報写経を始めるきっかけの一つとなった。

先日、ようやく500社を突破した。「グロース市場」「水関連」などとテーマを決めて一気に写経すると、傾向がよく見えてくる。たまに「この会社はイケてるな」と投資対象となりうる企業を発見することがあるので、マーカーをつけて調べ直すようにしている。

写経を続けていくうちに「なぜこの会社名なのか」「IRに力を入れ始めているが、実は内部は苦しい状況なのではないか」などいろいろな現状が見え透いてくる。

『IRTV』という投資系YouTubeチャンネルで、誰かが「PBR1倍割れの財務情報をすべてスプレッドシートに書き写し、傾向を調べていた」と発言していた。たしかに「PBR1倍割れが解消された銘柄には、どんな特徴があったのか」を調べてみるのは面白いかもしれない。

全社の写経が終わったら、データベースとしての活用方法を考えている。

見立ての世界、“反復練習”こそが優位性となりうるのか

以前から見たかった、田中達也氏の個展を観に、日本橋高島屋へ。

シンプルにかわいくて、面白い。写真としての切り取り方も、すごく素敵だ。

「みたて」といえば、茶道でよく使われる言葉。本来使うべき道具を、他のもので代用することだが、田中氏の「みたて」は人をクスっと笑わせるようなユーモラスなアートがみんなの心を掴む。「みたて」とは何か、改めて問われている気がする。

展示の途中で、映像と物体が一体となって作品化されたコーナーがあった。“エンタメ”としてのメディアアートを見たのは、初めてかもしれない。メディアアートといえば、どこか複雑でわかりづらいイメージがあり、少し不思議な気分に包まれた。メディアアートの探求も、どこかでチャレンジしてみたい。

壁に貼られたボードには「2011年から作品を発表し続けている」との記載があった。「作品のアイデアを考え、組み立て、発表する」という一連の流れを反復し続けた結果、無限に創作アイデアが思い浮かぶのかもしれない。

ライターも、反復練習の連続だ。書かなければ忘れていくし、書き続ければ、いずれ上手に、早く、書けるようになる。商業ライターとしての活動はお休みしているが、noteの更新だけはできるかぎり続けたいと思う。文章力の鈍りをなくすために……。


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