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ファクトフルに見ること、歪んだ現実を妄想すること【5】


特段、忙しかったわけではないのに、今週は読んだ本の数が少なかった。脇道を逸れて、電車の中で調べ物をしていることが多かったからかもしれない。

まぁ、そんなどうでもいい話は置いておいて、今週も読みながら考えたことを簡単にまとめておく。

あえて“幸福を追求しない”生き方

『河合隼雄の「幸福論」』は、臨床心理学の第一人者である河合隼雄さんによる、生き方のヒントとなるエッセイをまとめた一冊。一つひとつのエッセイは短い。読了後には、ものの見方に変化が生じる。

本書を読んで、こんな問いを考えた。

「人は、幸福をもとめて生きようとするが、果たして幸福を追う必要など本当にあるのだろうか?」

どちらかといえば、私は幸福を追うことに懐疑的だ。「幸福」という実体のない概念に囚われてしまうがゆえに、自分自身が不幸に思えてしまう瞬間があるのではないか。だったら、はじめから幸福を追わなかったほうが幸せなのではないかと思わずにはいられないからだ。

私自身は、幸せになるために生きている感覚はほとんどない。どちらかというと、この世界を淡々と生きているほうだ。人に期待することはなければ、ものに執着することもない(最近「LEICAほしいな」とちょっと思って入るが……)。固執すればするほど、それらが得られなかった時の反動が大きい。そんなものは、はじめから持たないのが身のためだと思っている。

そういえば、ブッダは幸せについてどう捉えていたのだろうか──。

仏教について学ぶ機会はあっても、原文に触れることはほとんどない。書籍を見れば、みんな初心者向けにわかりやすく書かれているものの、原型をとどめていないがゆえに「果たして手元にある情報はブッダが語ったことなのか?」と疑問が残る。本当のことは、何も学べていないのではないか。そんなことを思ってしまう。

他にも、「空」という概念を知っているが、それがどういう位置づけにあるのかなんて1ミリもわかっていない。やはり時間をかけて古典を見るのが大切なのだろう。

物事を正しく知ること、そして正しく捉え直すことの重要性を改めて感じる。

駄文だが、SNSによって個人の声が大きくなった今、その声だけを信じることは極めて危ういように感じる。投資においても、あの人が良いって言った銘柄を買えば必ず上手くいくわけではない。他人の声を聴きながらも、地に足をつけて、自分と対話しながら正と思える道を歩きつづける他ないのだろう。

あるはずのない世界を妄想する

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』を読了。

現実と非現実を行き来する不思議な世界。それが本書を読んだ感想だ。エレベーター、地下鉄、影、頭骨、夢──と現実世界で見知っているものばかりが描かれているはずなのに、何かが違う。それでいて筋が通っていて、本当に非現実な物語の世界に入り込んだかのようだ。

こんなストーリーは、私には書けっこないと思ってしまった。私の想像力は、自分が思っている以上に乏しいのかもしれない。

動いているかわからないエレベーターなんて、もはやエレベーターではない気がするし、影を切り離してしまうなんて、もはやそれは影として成立するのかと突っ込んでしまうし……。そう考えてみると、私はわりと現実を生きている。

こういう本こそ、何度も写経すべき対象なのだろう。個人的に好きな東野圭吾さんの小説とは全然違った雰囲気で、新たな視点が得られた。

知らないことを、いかに知っていくか

少し前に、『生きるとは、自分の物語をつくること』を読んだ。そこから派生して、手に取ったのが『博士の愛した数式』。はじめに断っておくが、私は数学がまったく得意ではないし、難しい数式なんて何も知らない。

それでも、本書を読むと、世の中には数や数式を美しいと感じる人がいることに気づかされる。どちらかというと「数学=小難しいもの、複雑なもの」と捉えていたので、「美しい」という感覚は意外だった。

たしかに数学の問題を解くときに「この解き方はセクシーだね」というように、美意識的なものは存在するのかもしれない。

小説を読むこと、ドラマや映画を見ることは、知らない世界を知るための一つの手段。いわば、世界を相対化するための道具になりえる。

数々の物語を手中に収め、より良い人生の分岐を選択していきたい。

* * *

来週は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の下巻を読む日々が続く。世界を相対化するために、ちょっとずつ遠い国のニュースにも目を向けていきたい。

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