成功法則に反したことをやってみた②
①のつづき。
社会人生活で、人数の少ない会社で勤めたことも影響してか、
仕事は自分の範囲はきっちりする、
その代わり人に文句は言わせないし、人の手助けもしない、
という環境で働いて来た。
もともとは、困ってる人がいたら協力するし、自分も協力してほしいと思ってる方だったけど、「それは学生の考え」みたいに言われたり、人には頼ってはいけないみたいに言われたことから、
仕事では何でも自分でしないといけない、
逆にいうと、
何でも自分でできないなら仕事を引き受けられない、
という考えになった。
せこい人間になってたよ。
社会人時代の話を書くと、やり切れなかった思いが溢れて長くなったけど、冒頭の話に戻ると、そういう経験もあって、係や役を引き受けるのには慎重になる。
でも、社会でできなかった、やり残した「協力」ということを、私はこの団体・友の会でさせられた。
人にお願いするのが苦手。
年上の人に意見を言うのが苦手。
そういうことも、状況的に言わなければいけないことがあった。
でもこちらが意見を言うことによって、反発するような人たちではなかった。
協力の気持ちがあった。
協力といっても、私がしなければいけないことを代わりにやってもらうということではない。
リーダーとは名ばかりで、誰の仕事か曖昧な細かい仕事、雑用も多かった。
皆から何かの申込を受けた時、代表してお金を持って行くことがあったりした。昔ながらの団体なので、金額を揃えて持参ということがあった。そういう時、会計係の人が「両替なら、私がするよ」と言ってくれた。
ふだん仕事をしてる人も、自分の得意なことがあったら、できることに手を挙げてくれた。
画像の編集が得意な人は、当番で回してるインスタの画像を編集してくれる。イベントがあれば、顔を出してストーリーズに上げてくれる。
ご主人の転勤で海外赴任に行った人が2人ほどいるけど、オンラインで会に参加する人もいれば、帰国時は少しの時間でも参加する人もいる。
ふだん中学で給食を作る仕事をしてる人が、定期テストなどで平日が休みになった時、料理講習会を手伝いに来てくれて、打合せなしでも持前の要領を生かして、助けてくれた。得意の書道を生かして、講習会のプログラムも書いてくれる。私が遠慮しながら聞いても、快く引き受けてくれた。
Tさんは有職者でありながらも、平日に月1回他市にミーティングも行かないといけない係を受けた。地元でミーティングしてる場所が職場から近いこともあって、平日でも昼休みだけ参加もしてくれる。
仕事で半休を取って机上講習でオムレツ作りをした人もいた。
空中でひっくり返すなんて、あんなん私に役が回って来たらどうしようかと思った。
自営業されてるKさんは、子育て世代向け講習会と家計に関する講習会で、自分の生活の様子を話してくれた。人前で話すのは苦手だというのに。
1か月に2回あるミーティングにふだん出席している人たちも、出席して意見を言ってくれることも協力だ。高年でふだんの会には出れない人たちも、手伝えることがある時は手伝いたいと言ってくれる。
仕事の肩代わりをしてくれるわけではないし、それは頼めない。でも、みんなそれぞれ自分ができることを探して手を挙げたり、提案してくれる。
何でこの人たちはこんなに協力できるのだろう。
私が会社で働いていた時は、寸分の余裕もなかったから、仕事を休んでまでボランティアをするなんてことはできなかった。
その一つの答えが、この団体を創った羽仁もと子の歌の歌詞にある。
「人一人おるは良からず」
人と協力して何かを成し遂げた時の達成感は、一人でした時のそれとはまた違う。お互い喜び合える。
それを体感してきているからかもしれない。
人生は良いことばかりではない。
役を引き受けた年度始めには、ある人に皆の前で公開処刑されたり、腹が立つこともあった。
「やりたくないことをやめて、やりたいことをやる」が成功法則のはずなのに、それに反したことをやってはうまくいかないのかなと思った。辞めたくなった。でも、次々と仕事が来たら、腹立ててるどころじゃなくなって、そっちをこなさないといけないと、と切り替えた。
そんな姿に、敬服しますと言ってくれる人もいた。
ちなみにリーダーっていっても、周りは人生の先輩ばかり。
私が何か決めて、従ってというものではない。
でも、私が一生懸命動いてたら、周りも何かできることを探してしてくれたという感じ。
この絵の下の方が表してる感じ。
方面リーダーを引き受けた今年度は特に、「友の会とは何ぞ」を考える旅でもあった。
人生でやり残した宿題は、形を変えて、乗り越えられる形でやって来ると言う。協力するために、方面リーダーという役割を与えられたのかもしれない。これは導かれたものだったのかもしれない、と約1年経ったいまは思う。