
愛想がいいということ
お向かいさんから、すだちをもらった。
徳島の知人のところで収穫したからと。
家のインターホンが鳴った時は、何だろうと思い、
お裾分けだったと知りびっくりしました。
というのは、このおじさんは最近引っ越して来たのだけど、
最初は話したけど、外で会ってもあまり挨拶とか交わさない方だったので。
挨拶をしても返って来なかったり、
そもそもお互い外にいてこちらに気付いてるはずなのに、目線を合わせてくれなかったり。
こちらは何かしたわけではないけど、愛想がわるいなぁと思っていたのでした。
でも、お裾分けとか気にかけてくれるなんて。
愛想がわるいんじゃなくて、ただシャイな方だったのかもしれません。
私は、近所で会ったら声をかけ合うくらいはしたい方なので、今回距離を近付けて来てくれたことがうれしかったです。
うちの家系は、街で知り合いに会ったら話すし、笑顔でいることが多い。
そういうのを見てるから、
愛想がいいこと=良いこと、と覚えて育っている。
だから、愛想がわるい人、
たとえば
挨拶しても返って来ない人、
不機嫌な顔をしてる人、
そもそも挨拶しまいと目線を合わせない人、
がいると苦手に感じてしまいます。
でも、私自身決して陽キャではなく、大人しい方なので、
引っ込み思案でそうしてたり、
元々寡黙な人は、そういう人なのだと分かります。
愛想がわるいと感じる人が、
年上だったり、威厳のある感じ、笑わない人、不機嫌な顔をしてると圧を感じてしまいます。
だから、「何かわるいことしたかな?」と思ってしまうところがあります。
でも、そう見える人は照れ屋なだけかもしれない。
そう思った出来事でした。
すだちは大好物だからうれしい。
でも、それ以上に、距離を近付けようとしてくれたことがうれしい。